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質問の日

「だってぇ、しょうがないじゃーん」


 見事な赤ワイン色の髪を無造作に結っただけの男はふてくされていても美しかった。

 ジルラールのためにとシーリントンが用意していた新しいコートやタイを悪びれもせずにまとっていても、その傲慢ささえ似合っているのだからジルラールとまた違う種類のふてぶてしさである。

 どんな場でも居ることを許される存在感がある。


「女に化けるの趣味なんだもん」


「僕の友人だということで贔屓目に見ても、変態だと思うよ」


 なんだかんだと言いながら朝食を食べ終えてから、ジルラールに食堂へと呼ばれたリンネは、改めてハヴィを紹介された。


「改めておはよう、リンネ。私はハヴィエリ・グラスコ。爵位はジルと同じ伯爵。ジルとは寄宿学校の同期でね。同じ時期に騎士団にも入ったものだからかれこれ二十年近い付き合いになる」


 貴族の子女が同じ学校で育ち、似たような進路を歩むことは珍しくない。

 珍しくないが、年が見た目でいまいちよく分からないのは彼らだけの話なのだろうか。   


「そうだ、ジル。頼みがあるんだけど」


 食後の紅茶をリンネに注がせたジルラールは、ハヴィエリに呼びかけられて渋々彼を見遣った。領内では誰に対しても朗らかなジルラールだが、以前カントリーハウスまでやってきたミシェルといった友人にはいささか態度が冷たい。

 そんなジルラールを物ともしないのが彼の友人たちである。

 ハヴィエリも例にもれず向き直ったジルラールににっこりとその美貌で微笑んだ。


「彼女、私にちょうだい」


 それ、と男にしてはほっそりとした指がさした先には、リンネ。


 間違いかと思ってそっと指先から外れてみるが、ハヴィエリの指はついてくる。

 つまり、間違いではないと。


(ちょうだい、って…)


 くれ、と言われて、はいどうぞと差し出されてはたまらない。

 リンネは使用人ではあるが、物ではないのだ。猫の子にだってもっと言いようがある。


 顔をひきつらせたリンネを楽しげに眺めながら、ハヴィエリはジルラールに語りかける。


「いいメイドじゃないか。何も言わないでも一見たら十察してくれるし、可愛いし、そばで着せ替えやるにもちょうどよさそうだし。気に入ちゃった。――給金は弾むよ。私の専属にしたっていい。どう?」


 最後の方はリンネに向けて言ったのか。

 給金を弾むと言われてもリンネ本人だけで決められる問題ではないのだ。


 どう返したものか。


 さすがに困ってジルラールに目を遣ると、彼は紅茶を飲み干して笑った。


「言いたいことをそれだけか?」


「え?」


 一見、穏やかな様子のジルラールを見て、ハヴィエリは目に見えて青ざめた。

 そんな彼を一瞥し、ジルラールは柔らかく「ハヴィ」と呼んだ。


「少し話をしよう。何、短い話だよ」


 そう言って立ちあがり、有無を言わさずハヴィエリを連れてダイニングから出て行ってしまった。


 残されたリンネはとりあえず朝食は終わったと判断して、ダイニングを片付けたがジルラールたちが何処へ行ったのか分からない。

 後片付けを終えて掃除をやろうと廊下に出ると、何やらひと仕事を終えたらしいシーリントンがのんびりとやってくる。


「あの、旦那様がたはどうされたんですか?」


 気になっていたことを尋ねると、いつもはぐらかすか冗談交じりに返してくるシーリントンが珍しく言葉に詰まった。「あー」だの「えー」だのと考えた末、彼はやんわりと首を横に振った。


「聞かない方がいいよ」


 何とも不気味な返答である。

 シーリントンが隠した嘘が気になったが、リンネはそれ以上尋ねることはせず、「掃除をしてきます」とだけ残していつものように過ごした。


 リンネがジルラールに呼ばれたのは、ちょうど昼食の時間だ。

 シーリントンが窓拭きをしていたリンネを探して呼びに来て、書斎へ行って欲しいという。

 昼食をどうするのか尋ねなければならない時間だ。

 リンネはバケツをシーリントンに押しつけて書斎へ向かうことにした。


 一応、メニューの希望は尋ねておくが、献立をいくつか用意しておくべきか。

 確か野菜かごに豆があったはずだ。うらごししてスープにでもしようか。それともサラダにしようか。メインはチキンをさっと焙ろうか。

 最近は屋敷の皆が忙しかったせいか煮込み料理が多かった。具をたっぷりにしたクラブハウスサンドもいいかもしれない。


 しかし献立をあれやこれやと考えていると廊下の向こうから何やら俯いた男が歩いてくる。


 まさか、普段は見えない屋敷の住人か。


 さっと青ざめかけたリンネだったが、見覚えのあるコートに縮みかけた身を緩めた。今朝確かに見たものである。

 だがコートをまとったその人は、まるで別人のように憔悴しているようで道を譲ったリンネのこともしばらく気がつかない様子だったが、歩調がゆっくりだったため何歩か進んだところで彼女に振り返った。


 ワインのような赤い髪の、ハヴィエリである。


 だが、精彩に欠いたその様子はお化け屋敷の方がまだマシといった有様で、怖いというより何があったんだとつい尋ねたくなる。

 使用人から声をかけることはできない。しかしリンネの複雑な心配が伝わったのか、ハヴィエリは青いというよりももはや白い顔でリンネをじっと見つめ、おもむろに口を開いた。


「……私が悪かったよ」


 何かおかしな物でも食べたのだろうか。

 いや、彼らの食事はリンネが用意したものだ。誰に疑われようと、決して変な物は入れていない。

 リンネの怪訝な顔も目に入らないのか、ハヴィエリはどこか焦点の合わない視線を彷徨わせながら続ける。


「私が悪かった……もう君にちょっかいを出したりしないし、迷惑をかけたりしない」


――やはり頭でも打ったのだろうか。

 リンネもさすがに心配になって、ジルラールに相談でもしようかと考えていると、ハヴィエリはかっと目を見開いて彼女を凝視してきた。今にも肩をつかみかからんばかりの様子で近寄ってきて叫ぶように言う。


「――これでいいよね!? 私はきちんと君に謝ったよね!? 誠心誠意、まごころ込めて謝ったよね!?」


 誠心誠意はどうかわからないが何か悪い物でも食べたような尋常ではない様子であるのは確かである。

 是以外は認めないとばかりに凄んでくるハヴィエリに深く頷いたリンネは「確かに謝っていただきました。もったいないお言葉をありがとうございます」と付け加えておいた。

 するとハヴィエリはほっとしたように胸を撫で、いささか顔色を取り戻した。


「ああ、ありがとう! これで帰れるよ!」


 すでに昼食の時間である。客人を食事にも誘わずハウスリングの主人は叩きだそうというのだろうか。

 不思議そうなリンネの様子を見て取ったのか、ハヴィエリは苦笑する。

 横暴だがハヴィエリは使用人の顔色をよく読んでいるので、仕えやすい主だ。逆にジルラールは横暴ではないが何を考えているのか分からないので主人としては非常に厄介だった。


「昨晩からお世話になりっぱなしだからね。早く自分の家に帰って寝なおすさ」


 今晩も夜会があるし、というハヴィエリは貴族としては至って真っ当に見えた。

「本当はさっきまで馬鹿みたいに謝罪の練習をさせられていてお腹が減っているんだけどね」


 謝罪の練習。

 確かにハヴィエリの辞書に謝罪の文字は無さそうだが、ジルラールは今の今までそんな練習をさせていたというのだろうか。

 何だかぞっとしない話である。

 リンネが思わず眉根を寄せると、ハヴィエリは慌てたように「忘れてくれ!」と叫んで廊下を足早に去っていった。


「じゃあね、リンネ! 見送りはいいからまた会う機会があれば紅茶をご馳走してくれ」


 旨かったよ、と残してワイン色の派手な髪は廊下の向こうに消えていった。

 本当なら追いかけていって見送りをするべきだが、すでに見送りはいらないと言われている。その場で礼をしてリンネは見送ることにした。恐らくすでに玄関では先ほどすれ違ったシーリントンが待ち構えているような気もするからだ。


(さて)


 息を一つ吐いて、書斎へと向かったリンネは幾らかの覚悟をして戸を控え目に鳴らした。返事を聞いてから部屋に入ると、書斎机で頬杖をついたジルラールがリンネを出迎えた。

 昨夜の夜会から帰ってきてからハヴィエリと飲み明かしていたからか、コバルトブルーの双眸はどこか眠たげだ。


「ハヴィエリは帰った?」


「はい」


 手招きをされて机の前に立ったリンネが頷くと「そう」と言って、少し息を吐くとジルラールは大きく腕を上げて猫のように伸びをした。


「ああ、疲れた。本当にたまらないね。皇都っていうものは騒がしくていけない」


 都の喧騒からは大分離されているこの屋敷の中にあって、ジルラールは心底不愉快そうに目を細める。


「なるべく早くハウスリングに帰ろう。ね、リンネ?」


 まるで子供をあやすような目線に、リンネは少しだけ憮然となる。

 リンネは田舎から出たことのない世間知らずではない。皇都へは以前の奉公していた貴族のシーズンに駆り出されて何度もやってきているし、彼らの常の住まいも皇都から遠いものではなかったので、街の空気にも慣れている。そもそも普通の貴族はジルラールの滞在期間に比べ、その何倍もの時間を皇都で過ごすのだ。

 ジルラールの言いようでははまるで、リンネの方がハウスリングを恋しがっているようだ。

 煩わしいシーズンから逃げたくてハウスリングに一刻も早く帰りたいのは、ジルラールの方だろう。


「……旦那様の仰せのままに」


 辛うじてそう応えたリンネの顔があまりにも皮肉めいていたのか、ジルラールは仕方ないな、と言わんばかりに苦笑した。


「まぁ、帰るといっても時間もかかることだからね。今すぐにとはいかないよ。皇都見物にでも行くかい?」


 シーズンの期間に使用人が休みをもらって皇都の街へ出かけることは珍しいことではない。むしろ一年で一番慌ただしいシーズンにおける使用人たちの唯一の楽しみといっていいだろう。 

 しかしリンネは首を横に振っていた。


「私が出かけてしまっては、食事などはどうなさるおつもりですか」


「シーリントンがいるだろう」


 そう言われて、リンネははたと気付く。そういえば、ここにはリンネ一人ではないのだった。

 伯爵以外に人が居ることに違和感を感じるほど、長く二人きりで暮らしていたわけでもないというのに。

 ここではリンネは大手を振って休暇をとることができる。たとえ二人だけの使用人であっても主人は一人だ。一人あたりの仕事は増えるが休めないことはない。

 どう応えたものかと口を噤んだリンネに、ジルラールは笑った。


「休みなんかとらなくていいというなら屋敷に居てほしいよ。君の姿が見えないと不安だから」


 子供のような言い訳だが、捉えようによっては意味が違って聞こえる言葉に、リンネは眉根を少し寄せた。

 それを質問と見たのか、ジルラールは穏やかに続ける。


「そのままの意味だよ。僕の目の届かないところで危ない目に遭ってはいないか、不埒な男に声をかけられてはいないか、詐欺にあってはいないかと気になるから」


「……私は何もできない子供ではありません」


 思わず睨んだリンネに、ジルラールはなおも笑いかける。


「心配なだけだよ。君を自由にさせて気を揉むぐらいなら、早くハウスリングに連れ帰るか、休暇なんて取らせないでいつものように屋敷に居てもらった方がいい」


 あまりにもはっきりとわがままを言われて、リンネの方は何故か毒気を抜かれたようになってしまった。常日頃から扱いにくい主人ではあるし、リンネがジルラールの言動に悩まされることはしばしばだが、彼が意図的にリンネの意思を無視して我を通そうとすることは案外少ない。

 すっかり威勢を削がれたリンネは怒られないことを確信して「旦那様」と呼びかけた。

 ずっと、尋ねられなかったことがある。


「――質問を、お許しいただけますか」


 静かなリンネの視線に、へらへらとしていたジルラールは少しだけ視線を上げて面持ちを真面目なものにした。

 彼の様子を諾と取り、リンネは続けた。


「どうして、私を気にかけてくださるのですか?」



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