第5話 その殺し屋、気付いてしまった
新雪のように真っ白な髪が、光を受けて淡く輝いていた。
さらさらと揺れるその様は、人間離れした神性を帯びており、見惚れるというより、見つめることすら躊躇う――そんな存在感があった。
肌は陶磁器のように滑らかで、頬に落ちる睫毛の影さえも計算された造形のように美しい。
そして、毛髪同様に真っ白い睫毛がふと持ち上げられると、青い影を宿した深紅の双眸が、周囲の空気を震わせる。
ルビー。
そう形容するしかない。深く、紅く、静謐で、どこか寂しさを孕んだその瞳が、ゆっくりと辺りを見渡している。
(う、うそ……。嘘だ…こんなことって……)
私は一歩も動けずに、ただその姿を見つめていた。
鼓動の音が、喉元から漏れてしまいそうだった。
あの髪、あの目、あの表情、あの佇まい…間違いない。幼い姿であろうと私には分かる。私は、彼を知っている。
知っているどころか、画面の向こうで何度も何度もその姿を見て、ストーリーを追い、台詞に涙して、エンディングを見届けた。
忘れる訳がない。あれほど心が揺さぶられたキャラクターを。そして、物語を。
「ルベル・フォン・カルブンクルス……」
思わず名前を呟いた瞬間、心臓がひときわ大きく跳ねた。胸が、ぐっと痛むほどに締め付けられる。呼吸が浅くなり、指先が少し震えているのが自分でもわかった。
(うわああああッ!!!! どうしようッ!!!! ここ!!!! 〈アルカナ∽クォーツ〉の世界だッ!!!!)
その事実が脳内で言葉になると同時に、世界の音がすうっと遠のいた気がした。
すぐ側で談笑する令嬢たちの声も、靴音も、風のざわめきも、全部が霞がかったように消えていく。
とんでもないことに気付いてしまった。――その瞬間、私の中で何かがプツンと音を立てて切れた。
〈アルカナ∽クォーツ〉。通称〈カナ∽クォ〉。
それは、約十五年前に発売されたシミュレーションRPGで、人気シリーズ〈アルカナ〉の派生タイトルだ。
今作は女性プレイヤー層を意識して作られていて、主人公は『原初の魔女見習い』ラピスという少女。
そのラピスと六人のメインキャラクター達が、時に悩み、時に戦い、時に絆を深め、物語の舞台である〈クォーツラント王国〉の運命を切り開いていくと言うストーリーだ。
わかりやすく言うと、乙女ゲーム要素の入ったSRPGなんだけど――〈カナ∽クォ〉ガチ勢たちに向かって「乙女ゲーなんでしょ?」と言うのは、禁句中の禁句。
なぜならこのゲーム、戦略マップは他のアルカナシリーズに負けないどころか、シリーズ随一とまで評される本格仕様。
恋愛要素も、他の乙女ゲームに比べると控えめで、あくまで〝絆を深める〟ことに徹しているのだ。
他にも、錬金術を模したクリエイトシステムもあって、やり込み要素は盛りだくさん。
素材集めや調合、アイテム作りに夢中になって、寝不足のまま学校や〝仕事〟へ向かうことも少なくはなかった。
でも、何より――物語が、いい。とにかく、いい。
私が初めて出会ったのは中学三年生の時で、気付けばそれしかやっていなかった。
私にとってのゲームらしいゲームはこれだけで、唯一の娯楽。唯一の救済。唯一無二の物語。
謂わば、〝生涯の推しゲーム〟だ。
前世では、生きて行く上で大事なことは「叔父」から教わったけど、楽しいとか嬉しいとかそういう感情や、情緒的に大切なことは、大体〈カナ∽クォ〉から教わった。
私の目の前にいる真っ白な美少年こそが、〈カナ∽クォ〉の六人のメインキャラクターの中でも重要人物である、メインヒーローのルベル・フォン・カルブンクルスだ。
(……嘘嘘嘘! 信じられない! こんなことがあっていいの!?)
この国……そう。クォーツラント王国の第三王子。
ゲームのルベルは十八歳だったけど、今は十二歳ぐらいに見える。
ファンの間では、その白を基調とした儚げな美貌から〈白王子〉の愛称で呼ばれており、もちろん私もそのひとりだった。
ルベルはメインヒーローと言うだけあって、ゲーム内でも特別な存在で、ストーリーの鍵を握るキャラクターのひとりだ。
彼の言葉や行動が、私の心を幾度となく揺さぶり、色んな彼の姿が見たくて、分岐をやり直すため、セーブデータもいくつも作った。
ゲームを周回すればする程、彼という人物が、物語が、私の心を掴んで離さなかった。
忘れる筈がない。
この人は、私の大切な〝推しキャラクター〟。
ずっと、ずっと、大好きで、憧れの人なのだ。
そんな、大好きなゲームの世界に転生して、大好きなキャラクターが目の前に居るこの現実。
そんなことってある!?
貴族の美少女に生まれ変われただけでも、奇跡なのに、こんなご褒美があっていいの!?
……もしかして、私、死ぬの? 転生して、前世の記憶を思い出したばかりなのに、幸福の臨界点で爆発する予定なの?
私は震える手で胸元を押さえながら、再びルベルの姿を視界に入れる。
美しい新雪のような髪が風に揺れ、ルビーの瞳が、眩くキラキラ光り、存在感を放っている。
その瞬間、ふと、彼の瞳がこちらを向いて、微笑んだ……?
(えっ……)
目が合った。いや、今のは絶対合った。ルベルと、私の目が、合った。そして微笑んでた。
その事実に、頭の奥から聞いたことがないような警報音が鳴る。
(うわあああ!!!! む、む、無理無理無理!!!!)
何か、喉から声にならない変な音が出そうになる。でも今、悲鳴をあげたらただの怪しいお嬢様だ。
体温と心拍数が、今まで体験したことない位上昇している気がする。これ以上見ていたら、心臓と脳が持たない。
そうこうしていると、彼が、ルベルが、口を開いた。
「皆さん、今日はご足労いただきありがとうございます。短い時間ですが、楽しんでいってくださいね」
(しゃ、しゃべった……!? ルベルが、しゃべった……!?)
声が柔らかい。変声期前の少年らしい、高すぎず低すぎず、澄んだ水のような声が耳に届く。
良い。え、すごく、すごく良い声。
ゲームだと、部分ボイスはあったけど、フルボイスではなかったから、全文を聞けるわけじゃなかった。
でも、今は違う。
生のルベルボイスだ。肉声だ。語尾の感じや、抑揚がイメージ通り。しかも本人登場。……どうしよう、やっぱり死ぬのかもしれない。
そんな覚悟すら過ぎったちょうどその時だ。脳内の大騒ぎがようやく一段落したのか、ふと、冷静な自分が戻ってきた。
そして、頭の片隅にあった〝違和感〟が、輪郭を持って浮かび上がる。
(ちょっと待って…ってことは、私って……?)
急激に冷える血の気。背筋に、じわじわと氷水が流れるような感覚が走る。
(落ち着け、確かにこの名前は〝彼女〟と一緒ではある。でも、もしかしたら……)
そう思った瞬間、私の身体は、勝手に動いていた。
「ねえ、あの……ちょっと、変なことを伺いますけど…」
横にいた令嬢に向かって、私は恐る恐る話しかける。
「私の、名前を言っていただけない? ……その、できれば、フルネームで」
令嬢は私の唐突な問いに対し、ポカンと目を丸くする。
「え、サフィラ・フォン・パパラチア公爵令嬢様、ですわよね?」
と、訝った声音でそう言うと、小首を傾げた。
(うっっっっわああ!!!! 完全一致だああ!!!!)
脳内はもう警報音どころではない。
たった今、大切な何かが、落ちた音がした。
今にも膝から崩れて、地面に頭をぶつけて蹲りたくなる衝動に駆られる。
……でもダメだ。こんなところでそんな真似をしたら、この可愛くていたいけな貴族令嬢たちに、大変なものを見せてしまうことになる。
ぐらり、と身体が揺れそうになったのを誤魔化すように、私は脚を踏ん張り、引きつった笑みを浮かべた。
「そう、よね? ありがとう、ちょっと確認したかっただけなの……うふふ…」
我ながら、ひどく乾いた声だったと思う。
令嬢はまだ不思議そうな顔をしていたが、深追いをしてこなかったのがせめての救いだ。
そして、私の名前である、サフィラ・フォン・パパラチア。間違いない、彼女だ。
……私はとんでもない人物に転生してしまったようだ。




