第21話 その殺し屋、あたたかさにふれる②
「戦乙女?」
私が首を傾げると、ルベルはハッとした顔をして、すぐに頬を赤らめた。おずおずと、照れくさそうに続ける。
「あ、えっとね、『九人の戦乙女』っていう、九人の戦乙女たちの活躍を描いた物語があって、大劇場で人気の歌劇の一つでもあるんだ。……僕が小さい頃、お母様が絵本を読み聞かせながら、よく歌ってくれてて」
と、話してくれた。ルベルの口から『お母様』という言葉が出た瞬間、彼の母であるパライバ様の顔が脳裏に思い浮かんだ。
彼女はゲームの回想シーンでたった一度だけ登場し、美しい銀白の髪と透き通るようなネオンブルーの瞳。そして低く包み込むような優しい声を持った、印象深い女性だったことをよく覚えている。
私が頷くと、ルベルは少し息を整えるようにして、それからゆっくりと語り始めた。
「戦乙女たちは、女神カンティヤ様の使徒。彼女たちが地上に降り立って、この世の邪悪と戦い、人々を導いていくんだ。大まかに言うと、〈ガルティア教〉の教えを大衆向けにしたお伽話なんだけど……聖女候補のサフィラからしたら、ちょっと子どもっぽいよね」
ルベルは、私の顔を見ると少し恥ずかしそうに笑う。
〝聖女候補〟であったサフィラの記憶を持たない私には、その物語が子どもっぽいものなのかどうか、正直わからない。
でも――好きなものを一所懸命に語る彼を、そんな理由で笑う筈がなかった。ただ、そのまっすぐさが愛らしくて、胸がじんわりと温かくなる。
それに、『九人の戦乙女』……この響きには覚えがあった。
確か、ルベルが大切にしていた絵本であり、この国で最も有名な歌劇の一つだ。
第一戦乙女は〝ソレヤ〟、第二は〝シャンドラ〟――ゲーム内でもその名前が断片的に登場していた。
そして、ルベルの母であるパライバ様は、大劇場の看板歌姫で、かつて国民的人気を誇ったアイドルだった。
彼女は、この『ナヴァ・ラトナ』の物語では第七戦乙女である〝シャニ〟を演じていた。
シャニには、彼女を象徴する代表曲がある。クォーツラント国民なら誰もが知ると言われていた、あの曲だ。
「その歌劇でしたら………〈サートゥルナーリア〉と言う曲に覚えがあります」
女神カンティヤの誕生と繁栄を願う、毎年冬に行われる祝祭の歌。
〈白ルート〉――特にルベルの大切なイベントで流れていた曲で、私の大好きな曲の一つだ。
冷たい冬の終わりを告げるように、優しく、けれど力強く響いた旋律をよく覚えている。
私が〈サートゥルナーリア〉の名前を口にしたら、ルベルはふっと安堵したように微笑んだ。
その表情があまりに柔らかくて、胸の奥が少しくすぐったくなる。
「この曲のことは、覚えてくれてたんだね。ありがとう」
「はい。だって……有名ですから。この曲も、パライバ様も」
私が頷くと、ルベルはその微笑みを深めた。母の名を口にされたことが、きっと嬉しかったのだろう。
「〈サートゥルナーリア〉は、僕の大好きな曲なんだ。……そして、第七戦乙女シャニの代表曲でもある」
シャニ――その名を口にした瞬間、ルベルの瞳がふっと遠くを見つめるように揺れた。
「シャニは、冬の厳しさと人生の試練を司る戦乙女。いつもは凛々しくて、北風のように厳しい。ちょっと怖いくらいにかっこいいんだ。でも、この歌を歌うときだけは、すごく優しい声になるんだよ」
そこまで言って、ルベルは少し照れたように笑った。
その笑みの奥に、幼い頃に抱いた憧れと、遠くに去ってしまった誰かへの想いが滲んでいた。そして――私の顔を見つめる。
「あの日の君はシャニみたいで……すごく、かっこよかった」
その言葉と同時に、風が強く吹いた。
初夏の香りを纏った風が頬を撫で、薔薇の匂いがふわりと舞う。あまりにも、彼の言葉が優しすぎて、綺麗すぎて、思わず息が詰まってしまった。
「……そんな」
言葉を返そうとしたが、うまく喉が動かなかった。私なんかに、そんなふうに言ってもらえる資格があるのだろうか。
あのとき、私が勝手に動いたせいで、〈アルカナ∽クォーツ〉の物語の軌道は逸れてしまった。
本来であれば、ルベルは丁度今頃、ヘリオドール卿に救出されていた筈だ。そして同時に、心に深い傷を負う。
あの事件で起きた出来事をきっかけに、彼は「強くなりたい」と思うようになり、努力の末、物語のヒーローとして活躍をする。
確かに、今目の前に居るルベルは笑っているけれど、本当にこれでよかったのか。彼の未来の可能性を、私が摘み取ってしまったのではないのだろうか。
今まで抑えていた〝罪悪感〟が、心の底から泡のように湧き上がってきた。
「私はただ、殿下を助けたかっただけです。でも、」
小さくそう告げながら、自分の腕を握りしめる。力が入ってしまうのは、自分を責めているからだ。
「………勝手なことを、してしまって」
胸の内からこぼれたのは、抑えきれなかった本音。
涙は――まだ落ちていない。なるべく声が震えないよう、奥歯を噛み締める。
するとそっと、握りしめた腕に、やわらかなぬくもりが触れた。
ふわりと、ためらうように。それでいて、確かな意志を秘めた温度。驚いて顔を上げると、ルベルが私の手にそっと触れ、静かに首を横に振っていた。
「ううん、それは違うよ」
目が合った瞬間、その真っすぐな眼差しに息を呑む。陽光を受けた深紅の瞳が、かすかに揺れた。
「自分が行ったことを、誇ってほしい。……君は、僕の命の恩人だ」
ルベルはそっと表情を綻ばせると、私の頬に白い指を添えた。背丈は私と変わらないのに、長く、少しだけ硬い指先に触れられ、思わずハッとする。
(これ、同じだ。私が彼を助けた時に、触れたのと……一緒)
あの時は氷のように冷たかったのに、今はしっかりとした熱を帯びていた。その体温が不思議なくらい心地良い。
「ねぇ、サフィラ。僕ね、あの日の君から、勇気をもらったんだ。そして、決めた事がある。僕は――」
銀白の睫毛がそっと持ち上がる。深紅の瞳が大きく見開かれたその瞬間、ひとすじの光条がきらめいた。……いや、違う。これは、光なんかじゃない。
(星、だ……)
「僕は――君みたいに、誰かを守れる強くて優しい人になる。君が僕を救ってくれたように、今度は僕が君を助けられるような、そんな人になりたいんだ」
はっきりと、誓うように言い切った彼の瞳は、薄闇に浮かぶ一番星のようだった。
誰よりもまっすぐに輝く紅い輝石。それを見た瞬間、私の中で〝あの日の彼〟が重なった。
凛々しくも聡明。儚さの中にある確かな強さ。
孤独だった前世の私を照らしてくれた、あの〝憧れの王子様〟と、同じ。
「――ッ!」
そのイメージが胸の奥で弾けると同時に、張りつめていた涙が決壊してしまう。
そして、頬に添えられた彼の手を、反射的に取り、強くギュッと握りしめた。
「……なれます」
溢れた声は、自分でも驚くほど震えていた。
「絶対に、なれます。アナタが理想とする、強くて優しい素敵な王子様に。……必ず、なれます!」
頬に涙が伝っても、声が掠れても、ちっとも気にならなかった。ただ、彼に私の想いを伝えたくて必死だった。
その瞬間、ルベルの表情がふわりと和らぐ。そして、彼は穏やかな表情で微笑んだ。
「ありがとう、サフィラ」
そう言って私の大好きな口癖と共に、笑みを深める。まるで星の矢が射し込んだように、彼の言葉が、深く、静かに胸に届く。
私はあの日からずっと、取り返しのつかないことをしてしまったのだと悔やんでいた。
大好きな〈アルカナ∽クォーツ〉の物語を汚し、ルベルの未来を狂わせてしまったのだと。
彼が辿るはずだった道を、私が奪ってしまったのではないか。その予感が、ひたすらに怖かったのだ。
でも、それ以上にずっと怖かったのは――
私が憧れた〝ルベル・フォン・カルブンクルス〟が、私の知らない〝別の誰か〟になってしまうことだった。
(……けれど、そんな〝もし〟はもうどこにも存在しない)
私はこの世界にやって来て、サフィラとして生き、物語に背いてしまった。変えてはいけないものを、変えてしまった。でも、きっと、それでもよかったのだ。
だって、私も彼もこの世界に今、〝生きている〟のだから。
温かいぬくもりに身を委ねていると、私という存在が、そっとこの世界に受け入れられたような感覚がした。
そして同時に、私の胸の中で一つ、小さな希望の光が灯ったのだった。




