第一章:境界線の残響
識:物心ついたころから施設で生活している少女。高い知能を持つギフテッド。
陽:施設に入所してきた少女。平均的な知能ではあるものの、人当たりがよく優しい性格。
閑馬:識と陽が入所している児童養護施設の管理者。
2326年、アセンション・デイ。
大規模AI『GAIA』が、私と陽の運命を、0と1の境界線で切り裂いた。
「陽:適合」
「識:非適合」
診断パネルに表示されたその無機質な文字が、私たちの未来を、永遠に別々の地獄へと放り込んだ。
*
児童養護施設その施設が運営する学校で育った私は、幼少時より並外れた知能指数を有していた。ゆえに、周りの子供たちが退屈に思えてならなかった。面倒ごとに巻き込まれないように、周囲から距離をとり、大人たちに逆らわないように過ごしていた。先生たちによる教育の合間には、遊戯時間が設定されていた。周りの子供たちはその時間を心待ちにしているようだった。私は、何をするでもなく、ただ教材を捲っていた。そんな私に、周りの子供たちは次第に興味を失っていった。
ある日、先生が同年代の子供を連れて来た。顔色の明るい、小綺麗な子供だった。この施設では珍しいことだ。ここへ来る子供たちの過去は、決して明るいものではないからだ。その子の名前は陽というらしい。陽はすぐに施設に馴染んだ。誰とでも仲が良い陽は、何故か私を選んだ。
「識ちゃん」
「なに」
「ずっとお話してみたかったの」
陽は私の横に座り、春の陽気のように朗らかな顔で笑った。
「識ちゃんは、いつも何を読んでいるの」
「先生に渡された教材」
当たり障りのない会話だけれど、彼女の優し気な雰囲気に中てられて、つい返答してしまう。
陽の側に少し教材を寄せると、陽がのぞき込んできた。
「AIかあ。識ちゃんはすごいね」
この施設にいる子供と初めて会話を交わした。
それからも、陽は毎日話しかけてきて、それに返答するという無為な行為を繰り返した。次第にその時間は長くなり、返答に質問が混ざるようになっていった。陽の話によると、陽の母親はすでに亡くなっており、父親の都合でここに預けられたとのことだった。たまに父親に面会しに行く様子から、愛されてはいるようだ。一方で、私の過去はこの施設にしかなく、話す内容は特になかった。しかし、私が話をすると陽が嬉しそうに聴くので、会話をすることは嫌ではなかった。
15歳になったころ、私たちは施設を出た。外部の学校へ通学し、18歳時に行われる適合検査に向けて学校での日々を過ごした。施設の外でも私の日常は変わらなかった。周りの同年代の人間は退屈で、隣にはいつも笑顔の陽がいた。
「識ちゃんはさ、適合検査で適合したら何の仕事をしたいの」
陽の隣にいられる仕事ならなんででも。どうしようもない本音を心の奥にしまいこむ。
「せっかく施設で脳体力を鍛えてもらったから、知能系労働かな」
2300年、この世界は一つの技術的ブレイクスルーを迎えた。巨大な量子コンピュータで処理を実行する大規模AI『GAIA』とQ-Synchroという量子同期技術の発明だ。人間の脳を『GAIA』にQ-Synchroを用いて接続することにより、人類の思考速度が飛躍的に向上した。人々は最初こそ拒絶反応を示したが、『GAIA』に接続した先駆者たちが次々と偉大な成果を挙げ、巨万の富を築いたと知ると、我先にと適用を望んだ。WHOは早急に適用基準を制定し、先進各国はそれに従い、制度化を進めた。WHOは「第一条 適用候補者は適合検査を受け、適合した場合にのみ適用すること」「第二条 適合検査は18歳以上の希望者にのみ実施すること」「第三条 適合検査で適合した場合も適用辞退かのうとすること」のと定めた。各国は重要人材の適用優先順位表作成と適合検査の実施を急いだ。国単位の大規模な適合検査の結果、主に18から32歳までの、身体が成熟し、脳が成長を続ける年齢の人間にのみ適用できることが判明した。なお、18から32歳で非適合となった人間は知能指数や脳体力の不足が主要な原因であると考えられている。
2316年には一般市民にも検査の実施と適用が普及し、新たな社会の構図が整いつつあった。適用者となった人々はこれまでホワイト・カラーとされてきた知能系労働を担い、非適用者は肉体系労働を担うブルー・カラーへと押しやられた。
2326年までに大規模AI『GAIA』は膨大な経験値収集によるセルフアップデートを繰り返した。その結果、ハルシネーションは激減し、より最適な解を適用者に提供するようになった。もはや、適用者と非適用者の差異は天性の能力で埋めることはかなわず、18歳時の適合検査日は運命を決定づける日となっていた。
「そういう陽こそ、何がしたいの」
太陽を仰ぐように、微笑む陽を見上げる。
「なんだろう、学校の先生とかかな。でも学校の先生は適用者しかなれない職業だよね」
陽はいつも不安がっていた。自分は知能が平均的だから適合しないのではないかと。
けれど、『GAIA』下した審判は残酷なまでに皮肉だった。
神は私を「類人猿」の籠に放り込み、平均的で心優しい陽を、「新人類」へと昇格させた。
*
「まだいたのかよ、類人猿」
クラスメイトの豪が、私の机を蹴った。適合判定を受けたばかりの彼の瞳は、彼の口元は、優越感を抑えきれずに歪んでいる。
私は黙って立ち去ろうとした。天性の知能が、彼と議論することの無益さを訴えていたからだ。もはやこの場所、この社会に、私の居場所など存在しない。
「やめてよ、豪くん」
声を上げたのは、陽だった。陽だけはまだ、非適合者の私を「人間」として扱ってくれる。陽の瞳には、強い意志の光が宿っていた。豪は信じられないものを見るかのように目を細め、舌打ちをした。その音さえも、どこか電子的なノイズのように私の耳に響く。
「目障りなんだよ」
豪は肩を怒らせて去っていった。その背中は、かつての彼よりもずっと大きく、そして絶望的に遠く見えた。
「識ちゃん、いこう」
陽が私の手を取った。
私は、その手の熱を記憶の奥底へ、誰にも触れられない深淵へと焼き付けた。
たとえ明日、世界が彼女を「システムの一部」へと作り替えてしまったとしても。
この熱を奪う権利だけは、神にだって許さない。




