諏訪大社の歴史の裏道①
信玄と諏訪大社の話です。
まあ、気楽に読んでみてください!
さて、各論なので、PV稼ぎのために、今日は2話更新。その2話目。具体的などんな内容になるのかを読んでいってくださいね!
さて、前回はエッセイを書くきっかけは、諏訪で取材を受けたことだと書きました。その際に、話題として、アナウンサーの方が食いついてきた話は、なぜ武田信玄が諏訪を大事にしたのか、ということです。
武田信玄の甲冑を見たことある人は知ってるかも知れないけど、信玄の兜の前立てに、獅子のような何かの動物のような顔が着いているのを見たことがありませんか?
なければ、「「信玄の兜」でAI先生やGoogle先生に聞いてみてください!
あの幻獣のようなやつがついた兜は、諏訪法性兜と言います。簡単にかつ乱暴に言えば、諏訪大社の神を具現化した兜です。
そして、信玄は、本陣に諏訪大明神の旗も立ててるんですね。もう、信玄は諏訪愛厚い。諏訪の神LOVEなんですね。
だから、諏訪家を滅ぼした後、諏訪の領主だった諏訪頼重(※逃げ上手の若君の頼重様とは別人ですよ)の娘とも妹ともいわれる女性を、側室にします。で、その女性から生まれた男子 勝頼を諏訪家の当主にするんですね。
この人間関係を考えるだけでも、いろんなドラマや思いがあるのはわかるんですが、それはまた別の機会に譲りますね。
今回の主題は、なぜ信玄は諏訪大社をそこまで厚く信じていたのか。そして、諏訪家を大事にしたのかというものです。
側室を諏訪家から迎えて、子に継がせるということは、諏訪家の武田家は親戚になるというわけです。それは、一門衆と言って、単なる家臣ではなく、武田一族として厚く迎えるということを意味します。
それだけじゃあ、ありません。戦国時代には、宗教って大事なんです。何せ、行動規範が宗教をベースにしてます。日々の祈祷や習慣、お祭りなどの行事も信仰する宗教が中心になります。何せ信玄は、領内では源氏の氏神である「八幡社」と諏訪大社に纏わる各神社以外は破壊させたというくらい、神道だったら諏訪愛に溢れているんです。
なぜそこまで諏訪にぞっこんだったのか?
一つは、諏訪大社の神は、戦の神であることです。戦に勝ちを呼び寄せる神なので、信仰することで縁起を担ぐということもあります。しかし、それだけではありません。
では、なぜか。それは、諏訪大社の末社まで含めて、どこにあったかなのを探ると見えてきます。
諏訪大社の本社は、諏訪の上社下社の4社です。しかし、末社まで含めると、全国に1万社ほどあると言われています。実は、これがすごく重要です。
なぜ、重要なのか。それは、大きな祭りでは、各地の諏訪社が、諏訪大社から神主さんを招くからなんですね。これは、何を意味するか。
戦国時代は、今のように衛星もなければ、インターネットもありません。ですから、他国の情報は今と比べると何もないのと同じです。地図すら満足にない。しかし、諏訪の神主たちは、各地に合法的に旅をできるわけです。普通であれば、忍者や間者などが命がけで持って帰る情報を、楽々入手できる。しかも、アップデートもできる。
一方で、諏訪の神主たちが訪れた地で、大名たちから情報を聞かれることもあるでしょう。その情報の取捨選択の主導権は、諏訪大社にあるわけです。嘘を言っても、確認の仕様もないわけです。この一方的な情報収集の利点を諏訪が有するわけです。その情報は一門である武田家が共有できるのです。
次に、各県の諏訪と名の付く神社の数を見ていきます。
名付けて、諏訪神社の数 県別ランキング(ネットより)
1位 新潟県 約1600社
2位 長野県 約1200社
3位 群馬県 約500社
4位 埼玉県 約300社
5位 富山県 約200社
こんな順です。
で、信玄が敵対した主な大名ですが
1位 越後 上杉謙信
2位 関東 北条氏康
3位 信濃 村上義清他、信濃の武将たち
驚くほど、リンクしてませんか?
特に、上杉謙信の領国の越後は、突出して多い!
ちなみに5位の富山は、一向一揆の多い土地です。その一向一揆のトップである本願寺顕如の奥さんは、信玄の正室の三条夫人の妹です。
つまり、信玄の義弟は、一向一揆のトップです。だから、越中方面で信玄は一向一揆を起こしてもらって、謙信の足止めを何回もしています。越中は、謙信の本拠地のである上越の春日山城に凄き近いですからね。
地図開いてもらったらわかるけど、上越市は、新潟市や長岡市よりも富山の方が近いんですよ。
諏訪大社にの情報ネットワークをフルに使っていることが推測できますよね。
だから、諏訪大社を信玄は絶対に支配したかったわけですよ。
だからこそ、勝頼を諏訪家から離したくなかったわけなんですよ。
勝頼は、信玄亡き後、陣代として武田家の正式な跡継ぎではなかった、という話もあります。
それは、勝頼を軽んじているからではなくて、諏訪家が武田家の戦略上、不可欠の家だったからこそ、勝頼を諏訪家において置きたかった信玄の意思だったように思います。
ちなみに、信玄というか武田家の次の強敵である織田信長の本拠地 岐阜にも諏訪神社は、約100社あります。次の決戦を考えたら、諏訪家を武田家と疎遠にはできなかったと思います。
いかがでしたでしょうか?
こんな裏道の話を、今後もボチボチ書いていきますんで、楽しんでいってください。
次回も、しばらく諏訪の話が続きます。
次回は、ジブリの名作アニメ「もののけ姫」と諏訪大社の関係について書いていきます。




