3.4日目
今日もあの少女はいるだろうか。
期待を抑えながら病院を抜け出す。
少し不安もあったが、看板の前に少女を見つけた。
「やっほー」
「まってたの?」
「うん。忘れ物取りに来るかな~って思って」
スカートのポケットから鉛筆を取り出し、軽くぷらぷらと揺らす。
「あっ!ほんとだ」
この言葉を聞いてから、少女は悪戯な笑みで質問をする。
「忘れてたってことは、今日は私に会いに来てくれたんだ?」
「う、うるさい!」
そっぽを向いたが、耳が赤いのが少女からは丸見えであった。
「今日はおんぶしてもいい?」
「…いいよ」
後ろに居たら顔を見られないのではないかと考えたからだ。意外なことに少女の背中は、冷たかった。
*
昨日と同じ場所に着いてから、すぐに少年は口を開く。
「ぼくの名前ね。おねーちゃんの分まで生きてほしいからなんだって…。少しだけ、自分の名前が好きになったよ」
「それはよかった」
そう笑って言ってから、また口を開く。
「おねーちゃんは何て名前なの?」
「璃愛、て名前」
「りあ…」
少年はスケッチブックの端に、いびつな文字で姉と自分の名前を書く。いくら自分の名前だとしても、漢字が難しいのだろう。
「いいねー。おねーちゃんとお揃いだ」
とても嬉しそうに微笑む。そんな少女に少年は、何故か少し小さくして話しかける。
「もう一つ、おねーちゃんにおしえてあげようか?」
「おっ、おしえておしえてー」
少女は少年に近づく。
「このね、璃、ってかん字は宝っていう意味があってね。お父さんとお母さんは、ぼくとおねーちゃんの大好きで、宝物!って、気持ちをこめているんだって、言って…た」
言い終わるぐらいに気づいた。
少女はもうこちらの方など見ずに、俯いていた。
少年からは少女の顔は見えない。
「ど…、どうしたの?おねーちゃん?」
少年はどうしたらいいか分からなかった。
泣いているのだろうか?でも…なんで?
暫く戸惑っていたが、少年が泣いているときいつも母親にやってもらっているように、ぎこちなくだが、少女の背中をできるだけ優しくたたく。
どのぐらいの間かは分からないが、少年の中ではとても長い時間が過ぎた。
突然、少女は顔をあげて口を開く。
「ねぇ、お願いがあるんだけど」
だいぶ驚いてから、少年は少女の方に顔を向ける。
しかし少女は、前を向いたままだ。
「私の、絵を描いてくれない?」
「えっ?なんで?」
少女は視線を変えずに話続ける。
少女の長い髪で、顔をしっかりと見ることができない。
「私、自分の顔見たことないんだ」
「…かがみ持ってきた方がいいんじゃないかな?」
その一言でやっと少女は笑った。
少年は少女が笑った事で、とても安心する。
首を振ってから少女は答える。
「鏡を見るのが…怖いの」
少年にとって、鏡は日常にあるものだ。
だから、怖いという感情とは結び付かない。
「へんな人だね」
「ふふっ。女の子は、不思議なとこがあった方が魅力的でしょ?」
少女はやっと少年と目を合わせた。
「んー…、よく分からない」
「あははっそっか!」
少女の笑い声が途切れてから返事をする。
「…いいよ、かいても」
「ほんと!ありがとう」
「で、でも!人をかくのは初めてだから、上手くかけるか分からないけど」
少年は慌てて前置きをする。
「いーのっ。好璃に描いてほしいんだから」
「う、うんありがとう」
少女はいきなり立ち上がり言う。
「じゃあ私、このベンチに座る。なんか、絵にならない?」
「えっ?だめだよ!よごれちゃう」
それに木が傷んでいるので、怪我をしてしまうかもしれないと思い、慌てて止める。
「別に私は大丈夫なのに」
「いーから、さっきと同じ所にすわって」
「分かったよー。はい、おねがいしまーす」
少年は体育座りをして、太ももの上にスケッチブックを置き、描き始める。
「あんまりうごかないでね」
「なんか、ちょっと照れる」
少女が照れ笑いをする。
「やめてよ!ぼくも…てれるからっ!」
「分かった、分かった」
少年はそれからずっと絵を描いていて、少女はずっと質問をしていた。
例えば、「好きな食べ物は?」「んー、ブロッコリー」とか、
「誕生日はいつ?」「3月の17日」など、たわいない会話だ。
「好璃」
「ん、なに?」
「そろそろ帰らないといけないんじゃない?」
「わっほんとだ!もうまっくらだよ」
少年は太陽が完全に隠れる前に帰る、と決めているらしい。
「私が送ってあげる。はい」
少年をおんぶしようとしゃがむ。
「い、いーよ。だいじょうぶ」
「いーのっ、絵描いてもらってるお礼」
「わ、分かった」
時間が怖いので、少年は早めに折れて背中に乗る。
やはり少女の背中は冷たかったが、少年にとっては心地よかった。
太陽が沈む短い時間、少年と少女はベンチの前で座りながら沢山の事を話した。
だいたいは少女が質問をし、少年がその質問に答えた。