表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

【アップ】2022年5月29日主日公同礼拝/『思記』〜「使徒の記」

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(不思議のパルプンテ)

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782


【カクヨム】

https://kakuyomu.jp/my/works


【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪



【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=2ofe1qY_quI&feature=youtu.be


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12746901563.html

(ブログを見てくださると聖書を閲覧できます)



子ども説教 主題と暗唱聖句

イエスさまは、ペトロ(ペテロ)のために、ご自身からはなれていかないように、祈られた「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

ルカによる福音書22章32節


前奏

招詞

ヨハネの黙示録19章5~8節

詩 編 歌

119番(33節)

開 会 祈祷

主 の 祈り

十戒・祈祷

子ども説教

ルカによる福音書22章32節

こどもさんびか

かみよわたしのこのこころに[旧60(1節)]

牧 会 祈祷

聖書

使徒言行録12章6~12節(新P236)

詩編55編17~23節(旧P888)

説教

「主がわたしを救い出された

~神の守りの中にある祈り」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌 267番(1節)

みことばの交読文

フィリピ4章4~7節

感謝のささげもの・祈祷

頌 栄  546番

祝 祷

執り成しの祈祷

報 告



讃美歌~♬


讃 美 歌 267番

https://www.youtube.com/watch?v=Kx7lz9R5x1M


1

神はわがやぐら、わが強き盾、

苦しめるときの、近きたすけぞ。

おのが力  おのが知恵ちえを たのみとせる

陰府よみおさも などおそるべき。

2

いかに強くとも いかでか頼まん、

やがては朽つべき 人のちからを。

われと共に  戦いたもう  イエス君こそ

万軍の主なる  あまつ大神おおかみ

3

あくま世にみちて よしおどすとも、

かみの真理まこと)とこそ わがうちにあれ。

陰府よみおさよ ほえ猛りて 迫り来とも、

主のさばきは がうえにあり。

4

暗きのちからの よし防ぐとも、

主のみことばこそ 進みにすすめ。

わが命も わが宝も とらばとりね、

神のくには なお我にあり。



2022年5月29日 礼拝説教 中心聖句


ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、…わたしを救い出してくださったのだ。」

使徒言行録12章11節

                                  

わたしは神を呼ぶ。主はわたしを救ってくださる。…あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支え…主は…とこしえに動揺しないように計らってくださる。

詩編55編17,,23節


はじめに

世の禍の中、わたしたち自身は何を求めているか。今日、祈りの真実を求めたい。

「ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日(時、)の前夜(その夜)、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた」。ヨハネの兄弟ヤコブがヘロデ王によって殺され、ペトロも捕らえられ牢に入れられ、「四人一組の兵士四人」によって四六時中監視された。しかも、ヘロデによりペトロも処刑される時の差し迫った、絶体絶命の、緊迫した夜の事。ペトロ同様幾度となく投獄されたパウロも、「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした」(コリント第二1章8,9節)と伝えた。ペトロは「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふるかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい」(ペトロ一4章12節)と命じた。人の目には、出口の見えない長い夜の間にも、主が共におられるゆえに、備えの日、希望の日がある。その時、主は、人の思いを超えて、ご自身の業を実行する。

「すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。」全く神の助け。幾度となく死の宣告を受けた危険から救われたパウロは、「それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています」(コリント二1章9,10)と伝えた。「天使はペトロのわき腹をつついて起こし、『急いで起き上がりなさい』と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた…」。危急の時、天使がペテロを起こす起こし方は親が子どもを起こす様。しかしその声は緊急の事態を告げる。「それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが、現実(本当)のこととは思われなかった(認識できなかった)。幻を見ているのだと思った。」夢か、真か。神は夢の中でも御心を啓示された(創世記31章11節、創世記37章5節、創世記40章5節、士師記7章15節等)一方、真の預言者エレミヤは、「偽りの夢を預言する者たちに立ち向かう」との主の言葉を告げた(エレミヤ23章32節)。主なる神自ら事の真偽を明らかにしてくださる。主の奇跡は不信仰な世において際立って真実を証する。

「第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いた・・」。神は、全く自由に人の造作を支配し、ご自身の救いの御業を成し遂げられる(創世記7章16節、ダニエル3章25節、ダニエル6章23節)。「そこを出て、ある(一つの)通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った」「ペトロは我に返って言った」とは、元は「自分自身に起こった」。「今は、初めて本当のこと(真実)が分かった」とは、神自ら備えれた真実を認識し、一連の出来事すべてが、本当に神の業であった、と認めた証。「主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ」とは、牢につながれる背後にある、キリストに敵対する世の企てを示唆する(エフェソ6章12節)。しかし、「主はわたし(たち)をすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださ」る(テモテ二4章18節)。たとえ牢の中でも、求めるべきは、「神が御言葉のために門を開いてくださり」(コロサイ4章3節)、キリストの奥義を語り、キリストの真実を証しすること(テモテ二2章9節)ペトロが行った「マルコと呼ばれたヨハネの母マリアの家」に来た大勢の人の徹夜の祈りを、神が聞かれ、神が働き、ペトロは救い出された。

おわりに

「あなたの重荷を主にゆだねよ」と命じられる時、自分自身への備えを与えられる。世のわずらいは外面的な図りに起因する。しかし、主の救いはあなた自身を救う真の力。



思記〜「使徒の記」より


俺は介護士をして居た頃、Mさんの死化粧をした。看護師さんに教えられ、その看護師さんと二人だけでそれをした。Mさんが死の尊厳と言うものを教えてくれた。Mさんが段々弱って行き、天に召されるまで、それを俺は見て居た。もう最後になるとMさんは口から赤黒い血を吐いて、それが何度も続き、本当に苦しそうにしながら、ベッドの上でずっと横たわって居た。それを俺は他の利用者のケアをしながら時々見に行き、Mさんのそばに付いて居た。確かに俺にはあのとき演技が在った。それ迄にずっと続いて来た、人前での演技だ。此処でこう言う顔をすれば、動きをすれば、丸く収まるだろう、そんな格好を付けた、馬鹿な自分が居た。未熟過ぎる自分が居た。でも俺はその時泣いた。泣いたのだ。Mさんの息子家族か娘家族がその時来て居た。その家族の後ろに俺は付き、泣いて居た。その泣いて居る俺を見て、当時、同僚だったN君が大丈夫かと聞いた。大丈夫と言いながら俺はまだ泣いた。Mさんの(エンゼルケアと言うが)死化粧をしたのはその後の事。葬儀の事までMさん家族と話し合い、最後までMさんを見送るつもりだったと思う。そう記憶して居る。あの時で八十歳から九十歳に在ったと思うMさん。その彼女が、俺に死とはどう言うものか、神様が人間に与えられた命の最期はどう言うものなのか、死への尊厳とはどう言うものか、それを経験として教えてくれた。だから今此処にこうして書けるのである。記せるのだ。俺は又もう一度、Mさんに感謝する。不謹慎だが、その機会を与えて下さった神様に感謝する。そしてこの先、その彼女が与えてくれた死への尊厳を以て、信仰生活を全うする上、人間の命と向き合い、神様に喜ばれる人間に成りたいのである。人を愛せる人間に成りたいのである。Mさんを始め、全ての愛すべき隣人と共に神様の下で永遠に生かされるように。それを心から祈り願う。彼女とまた会えるように。


大事な事。或るインタビュアーが、介護福祉士をして居る若い男女にこう訊いた。「君達は何故もっと高給取りの良い仕事、流行に乗った良い生活をしないのか?」と。すると彼らは「昨日まで私達が世話をして居た利用者が死にました。今日も私が関わって居た利用者が死にました。明日、別の利用者が死ぬかも知れません。そこから消えるんです。触る事が出来なくなります。喋る事も出来なくなります。コピー人間が居ないのと同じように、その人と同じ人間は他に居りません。命は一つです。たった一つ。高級品や流行にまみれた生活はいつまでもそこに在ります。その違い。彼らと接する事の方が、彼らからそれによって元気と栄華を貰える事の方が、遥かに幸せで、価値が有ると思うからです」と言って来た。


何故人は悲しい顔をして居るのか。孤独な顔をして居るのか。真面目な顔が悲しそうに見えるのか。動かないのか。何か問題を抱えて居るように見えるのか。笑顔の裏に、真面目そうにして居る哀しさが在る(家の外では剣の勢い漲り溢れ、家の内には死のようなものが在る)。神様が与えられた土地だろう。与えられた命、喜びの中で生きよ、神様はそう言われた筈だ。なのに、何故それとはまるで逆の方へ向かって人は生きて居るのか。虐めが在るのか。争いが在るのか。大量殺戮・複数都市の破壊を齎す戦争が未だに続いて居るのか。原水爆がこの世に存在したのか。核兵器など、神様が創られたその命を大量に殺す為の武器だろう。何故こんな世の中に成って居るのか。何故人間にこのような試練が必要だったのか。エデンの園の中央に何故あの木が在ったのか。これはもう何億回も呟いて来た、いや天に向けて、自然に向けて叫び続けて居る言葉だ。正直だ。純粋だ。本能だ。人間だ。喜べとは一体。何を喜べば良いのか。神様に救われる事か。でもその救いにしても、素直にそちらへ向かない事がある。いや向かない事の方が多い。その信仰に於ける素直に成れない事が多い。人を憎んでしまう。背徳に生きて仕舞う。これは何故なのか。何なのか。これも試練か。こんな試練、耐えられない。要らない。嫌だ。俺は甘えただ。でもその甘えが正直である。何故この地上に居る全ての人が神様によって救われないのか。そう見えて居るだけなのか。やはり分からない。分からないから何も言えない。真実を言えない。初めから人間に真実は言えない。だからこんな事をずっと書き続けるのだ。俺が書いて来た物事の全ては、信仰に於ける正直である。本能の声である。人間の声である。人間の欲望が、罪が、人を孤独にさせて落ち込ませて挫折させて自殺させて、悲しみがずっと暗雲のように漂うこの世界を造り上げて居るのか。そうとしか考えられない。ならばこの悲しみの諸元は人間の内に在る。イエス様により、神様によって救われた人間が、未だずっと悲しみの内に在るように見え、いや実際悲しみの内に在り、孤独に在って、自殺までして居る事を、俺には理解出来ない。理解したくない自分が正直に在る。これが救われたい。神様によってこの自分が救われたい。人間が救われたい。


愛の行為、普段出来るのに、出来ない時がある。プライドや立場、条件、知性、主義主観、感情、複雑等、いろんな物がそれを出来なくさせる。人間。複雑。独房。孤独。人間に纏わる凡ゆるもの。物事。でも愛は変わらず何時いつでもそこに在る。それに手を出すか出さないか。手を出せない時は、どうしてもその気に成れないからだ。自分はして欲しいのに、相手に出来ない。時には自分にもそんな事をして欲しくない・愛して欲しくない、上っ面な気持ちでそう断言する事がある。自暴自棄。裏切られた時、傷付いた時、挫折した時は、人は自暴自棄に成る。理想と逆の方へ生きようとする時がある。しかし愛は変わらない。ずっとそこに在る。まるで自然のようだ。海や川や風や山や、そんな物のようだ。神様が与えられた物。自然も神様が人に与えた物。生き物がそこで生きられるようにと、神様が用意された物である。そう信じるのである。言えば、宇宙空間もそうだろう。惑星、宇宙の果て、ブラックホール、そんな物も、人間が知る以上の物も、神様が与えられた物だ。自分がこの世を去る時、果して目の前に居る人にどうするか?それを考えた時、一つ答えが見える事もある。それは正直だからだ。そのように思うからである。信じるからだ。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?v=MCyjy8BuIIw&t=2s


「SEIZE THE DAY / 今を生きる」

https://www.youtube.com/watch?v=A7Aobi9nmWM


イエス・キリストの生涯をたどる旅 II (1)

https://www.youtube.com/watch?v=vPB9SBXalPA


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ