23話【暗中模索のガリッド】
ガリッドは、違和感を感じていた。
二階層目は、さきほどの砂漠とは打って変わって湿気を多量に含んだジメジメした場所だった。
加えて天井まで届く岩壁が四方八方に存在しており、それらが天然の迷路を形作っていた。
しかも足元には、ところどころ毒々しい紫色の沼があり、空気も悪く不快さを上乗せさせていた。
唯一、至るところに生えたコケが淡く光っているため、灯りを用意する必要がないのが救いだった。
「チッ、こっちもダメか」
ある程度進んだところで、ガリッドは三度目の行き止まりに直面していた。
目の前には硬そうな岩壁が行く手を阻んでおり、爆薬の類を持参していないガリッドは引き返して別の道を探す以外になかった。
仮に爆破させたとしても、その先に上へ続く階段がある保証はないため、気長に探し回るしかないのは同じだったが。
「コイツはまさか、どこかに仕掛けがあるパターンかあ? チッ、面倒だな」
元盗賊の勘が、そう告げていた。
どこかに仕掛けがあり、それを解けば道が開くというのはダンジョンでは珍しいことではない。
そうして道を切り開くのは元盗賊としての得意分野ではあるのだが。
これが試験であることが、ガリッドの顔を曇らせる形になっていた。
自分が苦労して仕掛けを解き明かし道を切り開いたあと、当然ながら、後続の受験者がそれに続く運びになるのは明白だと言えた。
そんな具合に、なんの苦労もしていない他者を利する形になってしまうのが気に入らなかった。
「仕方ねえ。一旦、休憩するか」
ガリッドは比較的湿気の少なそうな石に腰掛け、荷物から干し肉を取り出して忌々しげに噛みつく。
咀嚼してはやばやとのみ込んだあと、水分もとろうと思ったが。
視界の端に何者かの影がうつり、反射的に短剣を構え立ち上がる。
モンスターか、他の受験者か、どちらにしても警戒心を強めるガリッドだったが。
「なっ……?」
現れた相手に、思わず短剣を取り落としそうになってしまった。
『よォ』
それは、自分自身だった。
髪型、服装、たたずまい、それらがほぼガリッドそのままで鏡でも見ているのかと錯覚する。
若干全身が黒ずんで見えるところを除けばまさに瓜二つで、気分が悪くなりそうだった。
「モンスターか? それとも、幻惑の類か」
『さぁな。自分で確かめてみたらどうだ?』
聞こえてきた口調と声の質までも、まぎれもなく自分自身のそれだった。
チッ、と舌打ちまじりにガリッドはその偽ガリッドへと斬りかかる。
相手の肩口から一気に薙いだが、相手もガリッド並みの速度で回避し、
しかもそのまま軽く足払いをかけられたガリッドは、前方につんのめり転倒してしまう。
「ぐっ」
『ハハッ。無様だなぁ、まるで”あのとき”みたいじゃねえか』
「なんだと、この野郎」
頭に血を上らせながらも、すぐさま起き上がろうとしたが。
ぐらりと目の前が霞んでしまい、がくりと膝をつく形になってしまう。
運悪く転んだ場所に毒沼があり、その瘴気をもろに吸い込んでしまったらしい。
さらには、膝に痛みが走りびりびりとした痺れが襲ってきていた。
毒沼のせいで衣服や靴が溶けかけているらしく、転がるようにして沼から離れる。
『懐かしいなぁ。”あのとき”もこうして、無様に這いつくばってたよなぁ』
「黙れぇっ!」
これは精神攻撃の類だと理解していたが、ガリッドは反論を叫んでしまう。
そうして大声を出したせいで、頭が余計にグラついてしまった。
『フン。見て見ぬふりをしたいならそれでもいいさ。せいぜい足掻くんだな』
偽ガリッドは、そんな言葉と共にダンジョンの奥へと逃げていってしまった。
(クソっ、相手の思考や能力を写し取るドッペルゲンガーかなんかだな。気づくのが一手遅かった)
いまだ両膝には電気でも流されたかのような痛みが走り続けており。
ひとまず水筒の水で毒を洗い流し、手近な布で応急処置を施すが、痺れは簡単に消えてくれない。
さほど出血しなかったのは不幸中の幸いだが、傷口から毒が多少体に入ってしまったらしい。
「くそ、くそ、くそがっ!」
眩暈と痺れで、立ち上がることもままならず。
うずくまった姿勢のままできることは、ただ悪態をつくことだけだった。
しかし、その悪態によって変化した状況もあった。
コツコツと誰かの靴音が響き、姿を見せる人物がいたのである。
「どこかで聞いた声だと思えば、やはりでしたか」
ぼやけたガリッドの視界に映ったのは、端正な顔つきのなかに冷酷さを秘めたような印象の男。
冷ややかな目でこちらを見下ろす仲間、ロンブルスの姿だった。
「ロンブルス! テメェ、なにをぐずぐずしてやがった!」
「開口一番のセリフがそれですか? これでも一応、こうして探しに来てやったつもりなんですが」
ロンブルスはそこで一度言葉を切り、弓を背負いなおしてハァと大きめの溜息を隠すことなく漏らす。
「つくづく、無駄なことをしたと痛感しましたよ」
「うるせぇ! とにかくさっさとラミリネを連れてきて治療しろ、この愚図が!」
「その程度の毒なら、しばらく休んでいれば本調子に戻るでしょうに」
「馬鹿が! 今がどういう状況か考えて物を言いやがれ! そんな暇があるわけねぇだろが!」
「やれやれ。というかですね。誤解させたなら申し訳ないですが、無駄なことというのは今現在のことじゃないんですよ」
「あァ!?」
ガリッドはどうにか起き上がろうとしたが、やはり膝に力が入らず地面に逆戻りする。
そんな無様なガリッドに、ロンブルスは目を細めさせながら淡々と告げる。
「無駄だったのは、お前をパーティに加えたことさ」
「…………は?」
「リーダーにしてやったのも、そうしなければお前は納得しなかったからに過ぎない。加護持ちの前衛としての優秀さや元盗賊のスキルを、多少なりとも買っていたんだが。単独ではやはりこのザマか」
「お、おい。なにを言ってやがる。ロンブルス」
「わからないか? ならハッキリ言ってやる。お前は正直、実力不足だ」
「だから! さっきからなにを寝言ほざいてんだよ!」
このときガリッドは、ロンブルスの一言一句が本気で信じられなかった。
いつもの丁寧な口調とは違う、突き放すような乱雑な言葉。
ガリッドはロンブルスと共にこれまで数多くのクエストをこなし、死線も何度も潜り抜けて来た。
だからこそ、戦友だと思っていた。
気分屋で刹那的な性格のラミリネはともかく、ロンブルスとは本当の仲間だと信じてきた。
だからこ、それを否定するような発言を許すわけにはいかなかった。
「そうか、わかったぞ! テメェも偽者の類だな! お、俺を騙せると思うなよ!」
「やれやれ、これ以上失望させてくれるなよ」
ロンブルスはもう話すのも面倒だとばかりに後ろを向き、立ち去ろうとしたが。
ああそうだ、と振り返りもしないままに最後通告を行う。
「お前がそこまでドンドにご執心とは知らなかったよ」
「な、なに?」
「昨日、お前を尾行させてもらってな。素行の悪さも、周囲を威圧するスパイスと考えていたが。さすがに奴隷商人に誘拐を頼む愚行までは見過ごせんよ。しかもその理由が、ドンドを追い込む為とはもはや笑いも起きん。追放はその時点で決定していたのさ」
「それは、だから、ドンドを」
「お前が犯罪者に堕ちたのなら、試験中に追放しようがどうしようが、試験官に悪印象を抱かせずに済むからな。ちなみにラミリネも了承済みだ」
「ま、待てよ。おい。俺の、話を」
「お前に残された選択肢はみっつ。ここで無様にくたばるか、生き残ったあと誘拐幇助の罪で衛兵に突き出されるか、あるいは」
そしてロンブルスは振り返る。
そのとき見せた彼の無表情を、ガリッドは生涯忘れられないだろう。
「無様にあがいて役に立つ駒であると証明するか、だ。それができたなら、お前の罪を黙っていてやってもいい」
駒、という表現に、ガリッドは屈辱のあまり奥歯が欠けるほど歯を噛みしめさせた。
そんなガリッドをよそに、ロンブルスはまた視線を外してその場を後にすべく歩を進めようとする。
かつて自分がドンドにしたことを、今度はガリッド自身が味わう最大の屈辱。
それを座して受け入れることだけは、絶対に許すわけにはいかなかった。
「うあぁああああああ!」
ガリッドは、咆哮と共に立ち上がる。
ガクガクと膝を震わせながらも、目を血走らせてロンブルスについていこうと、懸命に足を動かしはじめる。
そんなガリッドの様子に、ロンブルスは振り向きざまにニヤリと笑みを見せて。
「フン。やればできるじゃないですか。尻に火がつけば、一応はまだ使えるようですね」
「やか、ましい。この、クソ野郎が」
「では、おとなしくついて来なさい。さっさとラミリネと合流して、治療をして貰いましょう」
そして、両者の関係に完全に亀裂が入りながらも。
ふたりは共に進みはじめたのだった。




