20話【リーリィの意思・その2】
リーリィの投げた小石は、見事にコブントの頭にヒットしていた。
「あァ?」
だが、それを受けてもコブントは眉一つ動かさず女の人を掴んだままで。
そのまま般若の様に顔を歪めて、暴れる女の人を引き摺りながらリーリィに近づいてくる。
「チッ、痛ェじゃねぇか。あァ? オイ。嬢ちゃんよォ」
リーリィは、ひっ、と声をあげてしまう。
その様子に、コブントは空いていた方の手でリーリィの細腕を掴み上げる。
「痛っ」
「気が変わったぜェ。嬢ちゃんも、俺様と遊びたいみてェだしなァ、一緒に来て貰うかなァ」
べろり、と舌なめずりするコブントにリーリィは怖気を覚える。
その腕から離れようともがくが、コブントは小柄な見た目の割に力が強く、
リーリィの非力さではどうにもできなかった。
しかし両腕のどちらにも暴れる人間がいる状況に、コブントはさすがに辟易したように舌打ちをして。
「オイ、いい加減にしろよ。こっちは機嫌悪ぃんだ。腕の一本くらい、へし折らなきゃわからねえか」
先程までの軽薄な様子とはまるで違う、殺気すら込めたドスのきいた声で凄みをかけてきた。
それを受け、必死に暴れていた女の人も、委縮して身体を震わせはじめ。
リーリィも、脚がすくみあがり、体がまるで動かなくなってしまった。
檻の中の子たちも、悲鳴すらあげられず縮み上がってしまう。
「お、おい馬鹿! それはやべぇって!」
「あ? なんだよ」
だがそんななか、檻の外にいた男がなぜか焦ったような声をあげた。
コブントはその意味がわからず、不快さを顔に出しかけたが。
檻の奥で、おもむろに立ち上がった人影を見て、血相を変えた。
「あ、あぁ~? だれ、だぁ~? おこってるのは~。む、む、ムカつく、な~」
野太く、苛立ち混じりの声を発しながら、
ズンズンと、地響きすら立ちそうな足音と共に姿を見せたのは、
無骨な鉄の首輪を嵌めた、体中が筋肉でできていそうなほどの大男だった。
個性的な顔つきと、寝ぼけた様子で涎を垂らす、異形とも思えてしまうその容姿に、リーリィは思わず目を見張りつつも。
その姿に見覚えがあることに気がついていた。
「げげッ、ポ、ポンカスの野郎じゃねえかァ! コイツ、ラヴァンに同行してたんじャねぇのかよォ!」
「今朝の時点で檻に戻されてたんだよ! はやくこっちに来い! 殺されるぞ!」
コブントは焦った様子でリーリィと女の人から手を離すと、
脱兎のごとき勢いで檻の外へと避難し、もたついた手つきでガチャガチャと鍵を閉める。
そうした手順を済ませたあとで、唾を飛ばしながら鉄格子を蹴りつけはじめる。
「くっそ、このクソバカがァ! お楽しみの邪魔してんじゃねぇぞコラァ!」
「馬鹿はてめーだ。アイツが殺気に敏感なの知ってんだろ。変に絡まれたくなきゃ一旦離れるぞ」
安全圏に入ったとみるや凄んでみせているコブントに、隣の男は呆れた様子でその場を後にして。
残されたコブントはしばし名残惜しそうにしていたが。
ポンカスという大男がのしのしと近づいて鉄格子を握り、引き千切らんばかりにガシャガシャと動かしはじめた途端、
「ひぃ」
と情けない声を漏らして、逃げて行った。
ひとつの脅威が去ったことで、リーリィをはじめ檻の中の全員が息をつこうとするが。
「あぁ~! うぁあ、がああぁああ!」
そのまましばらくフーフーと鼻息を荒くさせながら鉄格子をゆすり続けるポンカスに、
今度は別の意味で怯える羽目になってしまっていた。
解放されたリーリィと女の人も、壁によりかかり刺激しないように息を潜め。
場が落ち着くのを、戦々恐々としながら待つしかなかった。
「あぁー……ぅあー……」
やがて、ポンカスは唸り声を小さくさせながら鉄格子から手を離し。
ドスンとその場にあぐらをかいて座り込み、瞬くうちにガーグーと寝息を立て始めた。
それで今度こそ脅威が去ったと、檻の中の全員が胸を撫で下ろし。
リーリィもまたぺたんと座り込み、息をつくことができていた。
「ありがとう、さっき、助けようとしてくれて」
そこへ、先程の女の人が隣へと腰かけて話し掛けて来た。
被っていたぼろきれを脱いで顔を見せると、美人というより可愛らしい印象の強い、
やや痩せ気味ながら、かなり整った顔立ちをした、茶髪に碧眼の美少女が姿を見せた。
「私はサラ。あなたは?」
「あ、えっと、リーリィ、です」
リーリィは、なんとか言葉を紡ぐ。
ただ名前を告げるだけのことを、なぜか大事件のように考えている自分が、少しおかしく思えた。
「リーリィちゃんね。重ねてお礼を言うわ。でももう、危ないことはしない方がいいわ。貴女には家族がいるんでしょう?」
「う。うん。おにいちゃんが、いるの」
家族、という単語を聞いてリーリィの頭には即座にドンドの顔が浮かんで。
それを肯定したことで、なぜか頬が熱くなるのを感じていた。
そんなリーリィに、サラは笑みを深くさせる。
「それはいいわね。おねえさんには、もう誰もいないもの」
「おとうさん、おかあさんは?」
「去年、私が十六歳の誕生日の時に死んじゃった。事故でね」
「あ、ご、ごめんなさい」
「いいのよ。元々、ろくでもない両親でね。内でも外でもケンカばかりしてたもの。自業自得よ」
あはは、と乾いた笑いを見せるサラに、リーリィは胸の奥が痛むのを感じた。
それでも、続きをせがむようにじっと見ていたのが伝わったのか、サラは話を続ける。
「いなくなって最初はせいせいしたけど。すぐに、ツケがまわってきたわ。ただでさえ少ない親の遺産は、あっさり食い潰しちゃうし。何の取り柄もないから、働き口も見つけられなくてね。家賃も払えなくなって宿無し生活になって……そのまま流れ流れて、今じゃこの有り様よ」
コンコン、と床を足で叩いて肩をすくめるサラ。
リーリィは、そんな彼女になにをどう返せばいいのかわからず、軽く顔を俯かせるしかなかった。
もっともサラ自身も、大層な返事を期待していたわけではない様子で。
「あーあ、子供に愚痴言っちゃうなんて。私もいよいよ終わってるわね。はははっ、はは、は」
サラの笑い声はそのままいつしか嗚咽に変わっていき。
次第に彼女の両目にじわりと、雫が溜まっていくのがわかった。
リーリィはそれを見ないように、彼女の肩によりかかって目を閉じた。
そうして、静かな石の檻のなかで、しゃくりあげる声がかすかに響き続けるのだった。
次回は再度、三次試験に戻ります。




