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9話【ダンジョンにおける鉄則】


 二次試験が行われている修練の森。


 試験中は受験者以外の立ち位置を禁じており、王国の衛兵が周囲の見回りも行っているが。


 さすがに全域に渡って、余さず衛兵が立っているというわけではない。


 それゆえに、多少の死角は存在しており。


 その死角をしっかり狙うかのように移動する影がみっつ、森の境界付近に存在していた。


「命中しました。我ながら見事な技の冴えに惚れ惚れしますね」


 そう言って、誇らしげに仰々しい仕草で愛用の弓を下げるのはロンブルス。


「当たりめーだ馬鹿。ハニービーの巣を見つけんのにあんだけ時間使ったんだ、失敗してたら殴り付けてやるとこだったぜ」


 ぶつくさ言いながらも、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべているのはガリッド。


「ちょっとちょっと! 一番苦労したの私なんだけど! 風の魔法だけで、あいつの頭上に持っていくの

相当大変だったんだからね!」


 ぜーはーと息を切らしながら、杖を振り回すのはラミリネ。


 とある目論見のためにこの場に来ていた彼らは、それが成功したことで既に森から離れ始めていた。


「さあ、ふたりとも急ぎますよ。万が一にも誰かに見つかったら面倒です」


「りょーかーい。あー、虫に刺されちゃってる。サイアクぅ」


「ま、これで今度こそおしまいだな。あばよ、哀れなボンクラ斧使い」


 そうして疾風のごとき速さで、その場を離脱していったのだった。





 ドンドはなにが起きたのかすぐにはわからなかった。


 気づくとジェイコブに首根っこをひっつかまれ、川の水で頭をばしゃばしゃと洗われていた。


「ちょ、ちょっ、ジェイコブさん?」


 さすがに意味が分からず文句を言いかけたドンドだが。


 対するジェイコブが今までに見たことのない鬼気迫る表情でいたため、思わず言葉に詰まる。


 視線の端にいるマルスもわずかに体を震わせつつ、ぽかんとした様子のリーリィを抱えるようにしてドンドの方へ近寄らせないようにしていた。


「くそっ、どうなってんだ! 木の上にハニービーの巣なんか無かったはずだぞ!」


 何度も水をかけ続けていたジェイコブのおかげで、黄色いべとべとした粘着物は落ちていたが。


 その独特な甘酸っぱい匂いは、今もドンドの鼻腔をくすぐり続けていた。


「え。ハニービーって、たしか」


「わからねぇのか! お前さんがかぶっちまったのは、さっき言ったハニービーの蜜だ! それも原液のまま、相当な量を浴びちまったんだよ!」


 その言葉の意味を反芻し、深く思考を巡らせるよりも早く。


 鈍感なドンドにも徐々に理解できつつあった。


 周囲の木々の隙間から響いてくる、鳥や獣の声が、やけに大きく聞こえる。


 それは決して気のせいではなく、明らかに空気がさきほどまでと変わってしまっていた。


 モンスターが放つ特有のプレッシャーというものが、いくつもいくつも近づいてきているのを、


 ドンドの皮膚が鳥肌を立てる形で警告しており。


 それが水で濡れたせいでないことはもはや明白だった。


「ドンド。落ち着けよ、モンスターが集まってくるまで、まだ時間がある。よく洗い流したらとにかくここからすぐに移動する。そのあとはだな、えっと、あれだ。とにかく、大丈夫だからな」


 ジェイコブの言葉は完全に上擦っており、動揺が隠せていなかった。


 しかしそのおかげで、逆にドンドは冷静さを保つことができていた。


「ジェイコブさん」


 ドンドは、未だ水をかけ続けてくれているジェイコブの手を掴んで止める。


「ダンジョンの鉄則のひとつに、こんなのがあるの知ってるだか?」


「あ? こんなときに、一体なにを」



「助かる見込みが100%無い仲間は絶対に見捨てろ、でなければ共倒れになる」



「……っ。ドンド、お前」


 ジェイコブは目を見開き、絶句する。


「はじめて聞いたときは、なんて不人情な掟だと腹を立てちまったもんだべ。けんども今思うと、とーっても大事な掟だっただな。それがわかったってことは、オラもいっぱしの冒険者になれたってことかもしれねえべ」


 ぽたぽたと自分の髪の毛から落ちる水滴に混じり、別の雫も混じっている気がした。


 ドンドは服の袖でそれらをぬぐい、川から離れマルスとリーリィの方へ向き直る。


「マルスさん。森への出口は、来た道を戻るだけでいいべか?」


 ドンドの問いかけに、マルスは音が聞こえるほど強く歯を食いしばりつつ、頷いた。


「ありがとうだべ。いやあ、そんな奥まで行く前で助かったべ。頑張って森の外まで逃げられれば、衛兵さんが助けてくれるだからな。試験を棄権する形になるのだけが残念だべ」


「おにいちゃん?」


 さすがに不穏な雰囲気を感じ取ったリーリィは、ドンドに駆け寄ろうとしたが。


 マルスが後ろから羽交い絞めにする形で、それを止める。


 自分のことを案じてくれているリーリィに、ドンドは自然と笑みがこぼれた。


「リーリィちゃん。心配いらないべ。オラ、頑丈さには取り柄があるだよ。あ! それにもしかしたら、オラが脱出するより早く誰かがボスを倒してくれる可能性もあるだな! いやあ、考えてみるとけっこう希望がみえてきたべ」


 ドンドはそう言って、三人に背を向ける。


 これ以上、仲間の顔を見ているとどんな無様を晒してしまうかわからなかった。


 だから、せいぜい昔に読んだ冒険活劇に出て来た主人公の真似事をするのが精一杯だった。


「それじゃあ、ここでお別れだべ。短い間だったけんども、こんなオラとパーティを組んでくれて、ほんとありがとうだべ」


「この、馬っ鹿、野郎……!」


 ジェイコブのそんな言葉を合図にする形で、ドンドは走り出した。


 距離が離れていくのがやけにゆっくりに感じる。


 それは自分が鈍足なのが原因だけではないような気がした。


 リーリィが自分を呼ぶ叫び声が、耳をいたく刺激して、胸の奥まで響いてくるような気がした。




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