走れ ウサ公
ふふん、今日は気分が良いな。
満腹だし天気も良くてそよ風が心地良い。
たまには縄張りの様子でも見に行くか。
まあ……俺様の縄張りと知って荒らしに来る命知らずも居ないとは思うが。
「あ、オオカミさん、見回りご苦労様です!!」
「キツネ……てめえ他人の縄張りで何してやがる」
「す、すみません……獲物を追いかけていたらいつの間にか入り込んでしまっていたみたいで……」
「ふん……見え透いた嘘だが……今日の俺は気分が良い。見逃してやるからその獲物を置いてとっとと失せろ!!!」
「ひぃい!?」
ったく……ちょっと油断するとこうだ。せっかくの良い気分が台無しじゃねえか。
「あの……助けていただきありがとうございました」
茶色いもこもこした毛玉に長い耳……野ウサギか。
「気にすんな。今日は気分が良かったから気まぐれだ。次会ったら今度は俺が喰っちまうから気を付けろよ」
「くすくす、食べる相手に気を付けろって……やっぱり優しいんですね」
「は? 俺が優しい!? 馬鹿なこと言ってんじゃねえぞ。ていうかお前……俺のことが怖くないのか?」
どいつもこいつも俺の姿を見るなりガタガタ震えあがるものなんだが……
「はい怖くないです。だって私を助けてくれた方ですから」
「お前……変わったウサ公だな……って何してんだっ!?」
「ふふ、変わった匂いですけど……なんだか安心します。毛もあたたかい……」
「お前……その目……ひでえ傷だな」
「はい、赤ちゃんの時に付けられたみたいなんですけど憶えていません。でもその分耳も鼻も良いんですよ」
「そうかよ。だが自慢の耳と鼻も役に立たなかったみたいだがな」
キツネなんかに捕まってたら世話ないぜ。
「でもそのおかげで兄妹たちを逃がすことができましたから」
「馬鹿野郎!! お前が喰われちまったら意味無いだろうが」
「ふふふ、やっぱり優しい」
チッ……なんだか調子が狂うな……。
「おい、お前の家はどこだ? 見回りついでに送って行ってやる」
「え? わざわざ送ってくださるんですか!! こっちです。付いて来てください」
のんきにぴょこぴょこしやがって。
「馬鹿野郎!! 俺がお前を騙して兄妹たちを食べるつもりだったらどうすんだ!!」
「するつもりなんですか?」
「しねえけどよ」
「やっぱり。貴方は優しい方ですから」
「……少しは疑えって言ってんだよ」
「はい、ありがとうございます」
ぴょこたんぴょこたんぴょこたん
「……ウサ公」
「はい」
「勘違いするなよ? 俺が送ってやるのはせっかく助けたのにお前が他の奴に喰われちまうのは気分が悪いからだからな?」
「はい、嬉しいです」
「……わかってねえじゃねえか」
「あの……ありがとうございました」
「気にすんな、単なる気まぐれだ」
「あの……」
「なんだまだ何かあんのか?」
「私、ウサ公じゃなくてウサ子です」
「似たようなもんじゃねえか。じゃあなウサ公」
「あの……」
「ああ? なんだよ」
「お名前……」
「……ジンだ」
「素敵なお名前ですね、ジンさんまたお会いしたいです」
「次会ったら喰っちまうって言ったよな?」
「ジンさんになら食べられても構いませんよ?」
「……喰わねえけどな!!」
まあいいさ、もう会うことも無いだろう。
だが……なんで俺は名前を教えたりしたんだ? あのウサ公はただの獲物だぞ?
「くそ……キツネの野郎に一杯食わされた」
この間の詫びだなんて奴の言葉にのこのこ付いて行くとは……油断したわけじゃないが結果はこの様だ。まさか落石を利用するとは……狡賢い奴らしい。
思ったよりも傷が深い……こりゃあ……駄目かもしれねえな……。
縄張りまで辿り着いたところで動けなくなった。
最強とかほざいておいて情けねえな。ハハッ。
「ジンさん!! 大丈夫ですか!! 血の匂い……酷い怪我してるんじゃないですか!!」
なんでお前がいるんだよ……チッ、みっともないところ見られちまった……いや、ウサ公は見えないんだったな。
「ウサ公か……安心しろ。俺はもうじき死ぬ。そうしたらお前も食べられることは無くなるぞ」
「何言っているんですか!! そうだ、私を食べてください。もしかしたら元気が出るかもしれません」
「馬鹿野郎!! お前が死んだら意味がねえって言っただろうが……ぐっ……ったく、大声出させやがって……」
「ごめんなさい、でもそれだけ大声出せるならきっと助かります!!」
はは……なんだろうな……コイツといると調子狂うんだよな。ったくゆっくり死なせてもくれないのかよ。
「とにかく家まで運びます」
一生懸命引っ張ってるが無理に決まってる。この体格差じゃ一センチだって動きゃしねえよ。
「無駄だウサ公、気持ちはありがたいけどな。俺はお前にとってちょっとばかし重すぎるんだ」
「だったら兄妹たちに手伝ってもらえば……」
ウサギが十匹集まろうが俺様は運べないだろうよ。それに……この出血じゃどうせ長くはもたない。
さて、どうやって諦めさせるかな――――
「おやあ? オオカミさんまだ生きてたんですねえ……本当にしぶとい。お? そこにいるのは先日食べ損ねたウサギちゃんではないですか!! これはラッキーだ。今日からここは私の縄張りなんでね、お祝いのディナーになってもらいましょうか」
チッ、キツネの野郎……もう追って来やがったのか。
「……おいウサ公」
「はい」
「一度しか言わねえ……俺が合図したら全力で逃げろ……良いな?」
「でも……ジンさんが……」
「お前が死んだら誰が守るんだ? その命は大切なものを守るために使え」
「わかり……ました」
良い子だ。
悪いなウサ公……俺はこんな奴にお前を喰わせたくないんだよ。
奴は俺が動けないと油断している。まあ……実際動けないんだが。
でもよ、俺にはオオカミとしての誇りがあるんだ。縄張りの主としてここで勝手な真似は許さねえ……たとえこの命が燃え尽きたとしても……な。
「今だ、走れ ウサ公!!!」
「はい」
タタタンッ ウサ公が大地を蹴る。
「な!? 逃がしませんよ!!」
「待てよ……てめえの相手は……俺だ」
「馬鹿な……まだ動けたのですか……」
安心しなウサ公。二度とコイツに出会わないようにしてやるからな。
「悪いが俺一人では逝かねえ……てめえも道連れだ!!」
ウサ公……無事逃げられたかな。
ったくもこもこしやがって……。
今度……俺の……前に……現れやがったら……
…… …… …… …… ……
どうするんだろうな……俺は……?
はは……わっかんねえ……な…………
…… …… …… …… ……
「あ、目が覚めましたか?」
「……ウサ……公?」
ここは……何処だ? 俺は死んだはず……?
「まさか……お前も喰われちまったのか?」
「いいえ、ちゃんと言われた通り走りました。大切なものを守るために」
どういうことだ? なぜ俺は生きている?
「おや? オオカミくん目が覚めたみたいだね」
なっ!? 人間だとっ!? マズい……動けない。
「まったく……びっくりしたよ。ウサ子たちがオオカミを連れてくるんだからさ」
「……どういうことだウサ公?」
「私のお母さんはお医者さんなんです。みんな怪我や病気をしたら治しにくるんですよ」
ウサ公は人間に飼われていたのか?
「そういうことじゃねえ。どうやって俺を運んだんだ?」
「私たちがアナタを運んだのよ、ジンさん」
馬に……牛に……ブタに……犬に……猫に……イタチ?
それから……数えるのもうんざりするほどのウサギ……。
「私の兄妹たちです」
兄妹……いっぱいいるんだな。
「ウサ子がジンさんを助けてって泣きそうになって帰って来たからね。みんなで運んだんだよ」
「ジンさんはウサ子を助けてくれたからね」
「別に……助けたのは気まぐれだ。感謝される覚えはない」
別に助けようとしたわけじゃねえ。ただ俺が嫌な思いをしたくなかったからだってのに……こいつら……。
「ジンさん、アナタがどういうつもりであったとしても、ウサ子が助かったのは事実。何も変わらないわ」
「そうかよ……まあ……助かった。この借りはいつか必ず返す」
こいつらはまだわかる。だが……なんで人間が俺を助けた?
人間にとって俺たちオオカミは殺す対象だったはず。
「あれ? なんで助けたのかって顔してるねオオカミくん?」
何だこの人間……俺が考えていることがわかるのか!?
「キミさ、この前ウサ子を送り届けてくれたオオカミくんだよね?」
……見られていたのか?
「私は基本的に野生動物は治療しない主義だし、他人を信用しない面倒くさい人間だけどさ……ウサ子の鼻は信用しているんだよ。だからね、キミを助けようと思ったのさ」
「お母さん大好きー!!」
「あはは、くすぐったいよウサ子」
相変わらずもふもふしてやがるな……。
「まあ……一番はウサ子に嫌われたくないからだけどね」
それは……なんとなくわかるぞ、人間。
「ジンさん、居心地はどうですか?」
「……まあ、悪くはない」
ちくしょう……なんで俺様が犬小屋で寝なくちゃならねえんだ!!
「悪いな、俺のお古だけど我慢してくれ」
「ああ、動けるようになるまで世話になる」
ウサ子の兄貴か……コイツ良い奴なんだよな。
まあ、雨風は凌げるし、ふかふかの毛布もある。ムテンカのドッグフードとやらもなかなか美味い。
それに――――
「うわあ!! ジンさんもっふもふ~!! あったかーい」
夜になるとウサ子たちが中に入ってきてもふもふまみれになるんだよな。
山に戻れるかな……俺。