第81話 信じなさい!
ピッツェは激高し、三日月の刃を冠に置く杖をこちらへ向ける。
そして、顔面に幾重もの筋を走らせ、口角泡を飛ばす。
「大人しく引き返すなら見逃してやるつもりだったけどよ、そいつぁなしだ! てめぇら皆殺しにしてやんよ!」
「お、おじさん、逆らえないって……?」
「魚といい、おぬしはどんだけ信用がないんじゃ!」
「信用の問題ではない、不具合だ! おい、落ち着けピッツェ。本当に私はアルラだ! 魔力の固有周波数を登録してあるだろ。それと比較しろ!」
「ああん………………たしかにアルラ様の固有周波数と一致するな」
「ふぅ、わかってくれたか」
「ふざけやがって……」
「ん?」
ピッツェはそう呟くと、次に全身から赤黒い闘気を漏らして、空を震わすほどの大声で叫んだ。
「ふざけやがって、てめぇ! 糞滓アリスの作った魔力周波数だけを模倣したホムンクルスだろ! そこまでして俺の性格パロメータを弄ろうってか? させるかよぉぉぉぉ!!」
闘気は嵐のような赤黒き風を生んで、巻き上がった砂が鑢のように私たちの皮膚を削る。
ラフィは結界でリディや貫太郎を守りつつ、私へ声をぶつけてきた。
「全然納得してませんよ! それに何ですかこの力は!? もしかして、シュルマさんよりも!!」
「ああ、それなりの強者が訪れることを想定しているからな。全盛期の私の半分の強さはある」
「は、半分!? ということは現在のアルラさんの全力に匹敵するわけですか!?」
「そうなる。違うのは私は二秒がやっとで、相手は戦闘継続が可能なレベルだということだが」
「冗談じゃありません! それでは――」
「問題ない。シュルマや君が相手だと通じないが、この子には通じるものがある。多角結界」
私は魔法を唱え、ピッツェを立方体の結界へと封じた。
彼女はそれに向かい三日月の刃を振り下ろして抵抗を試みるが傷一つつかない。
「くそがぁぁあ! 出しやがれぇぇぇえぇ!!」
「見ての通り、君たちとは違いピッツェには私の旧魔法が通じる」
「なるほど、ピッツェさんは百年前の存在。魔法の情報更新がされていないわけですか。それで、この後は?」
「魔力を使い、彼女の認識プロトコルというものに侵入して過去の私と今の私のデータを一致させる。そうすれば大人しくなるだろう」
この言葉を聞いたピッツェが激しく抵抗を始める。
「やっぱり、俺を変えようとする気だな! 冗談じゃねぇ! 糞滓アリスの人形になってたまるかよ!! それによ、俺はアルラ様に信頼されてここを預かったんだ!! 百年以上ずっと守り続けたってのに、初めての任務でお釈迦にされてたまるかよ!!」
少女は何度も何度も刃を振り下ろして結界を打ち破ろうとするが叶わない。
その間にも私の魔力が彼女の認識プロトコルへと侵入していく。
「困ったな、なかなかセキュリティが高い。これはしばらくかかるな」
「糞が……入ってくるな! 俺はアルラ様に頼まれて……ずっと、ひとりで、ここを守って……あの人に褒めてもらうために、俺は……」
認識プロトコルを侵され始めて、ピッツェは刃を振り下ろすこともできなくなり、言葉がおぼつかなくなってくる。
そして、涙を流しながら、何度も私の名を呼ぶ。
「アルラ様、アルラ様、あなたに褒めてもらいたくて、ちゃんと任務を……寂しかったけど、アルラ様のために……」
傍目から見れば少女の悲痛な叫びに見えるだろう。
だが、所詮これは、そういったプログラムをされた人形の泣き言にしか過ぎない。
それでも皆はピッツェの哀れな姿を凝視できずに瞳を避けた。
カリンが同情を交え、私へ声をかけてくる。
「あの、おじさん。ピッツェちゃん、可哀想なんだけど……」
「誤った認識を元に戻しているだけだ。気にするな」
「そうは言っても……無理矢理じゃなくて、納得してもらってとかじゃダメかな?」
「彼女は人ではない。敵と認識した相手と話などしない。だから、話し合いなど無意味だ」
「人ではない? 本当に無意味なの? あの子は涙を流して悲しんでいるんだよ」
「あれは人形のようなもの。必要に応じてしかるべき反応を示しているだけだ。腹立たしさを表す記号として罵倒する。苦しみを表すための記号として泣く。それだけだ」
「それって……私たちと何が違うの?」
カリンは自分の心に手を置く。
「私たちも自分の感情を表すために必要な態度をとる。悲しいから泣いて、悔しいから怒って、楽しいから笑う。ピッツェちゃんと何が違うの?」
「私たちには心があるが、ピッツェにはない。彼女の心は人工的に作られたものだ。あれは心ではない」
「私には……」
視線をピッツェへ向ける。
少女は自分の頭を両手で押さえて苦しみもがいている。
その姿にカリンは首を横に振って、続きを形にした。
「そうは思えない」
彼女の声に皆が続く。
「もも~もも~」
「アルラ、私も貫太郎やカリンと同意見だ。私にもそうは思えない」
「カリンさんの言うとおり、ピッツェちゃんには心があるように思えます」
「こんなに苦しんでいるのに、さすがに心はないとは切って捨てられませんわ」
「たとえ、与えられた心であっても、誰かを慕い、己を守ろうとする姿を人形として見よ、というのはそうそう割り切れるものではないぞ、アルラよ」
さらにシュルマまで続く。それは私に対する明確な批判……。
「疑似人格。教会では禁忌とされる技術。ですが、こうして目にしてみますと、これを疑似だと言いきれる者こそ、心無き存在のように見えますね」
全員が全員、ピッツェに対して憐憫と同情を表す。
それに対して、私は溜め息を返した。
「はぁ、君たちは見た目に囚われ過ぎだ。少女の姿をしているが故、そう感じるのだろうが」
「それだけじゃないよ! この子は百年間、おじさんのために頑張っていたんだよ。それなのにこんなって、あんまりだよ……」
「それは承知している。だが、先程も言った通り、人とは違い話など通じない相手。それにもう、あと少しで認識の齟齬を修正し終え……ん?」
「やだ……」
「ピッツェ?」
「ヤダ……ヤダ……ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ、アルラ様に頼まれた。あの方の信頼に応えるために、ずっと一人で頑張ってた。再び、アルラ様に会うまで任務を全うしないと。そして、褒めてもらうんだ。頭を撫でてもらうんだ。あの時のように……」
ピッツェは自分の右手の親指の肉をぐちゅぐちゅと噛み、血を流す。
そして、遠くを見つめた。そこに映るのは昔歳の情景……。
――私が戻ってくるまで、ここを頼んだぞ。ピッツェ――
自身の左手で頭を撫でる。
「アルラ様の手……暖かかった。あれをもう一度――だから……こんな奴の、こんな奴の、こんな奴の思い通りに! なってたまるものかぁあぁぁあぁ! 来ぉぉい、腐龍!!」
少女の呼び声に応え、後方の穢れた沼から水の弾ける音が木霊した。
私たちは音に導かれ、後ろを振り返る。
そこにあったのは、数十に連なる大小様々な腐龍の姿……。
それらは腐れた息を吐き、咆哮する。
「ガァァァァァアァァァァァッァアアァア!!」
彼らは己の腐肉を沼地へずり落としながらこちらへ迫ってくる。
さしもの私もこれには焦りを覚えた。
「クッ、なんてことだ! あの数、ピッツェに対応している状況ではどうすることも!」
小型の腐龍だけであれば、カリンたちでも十分対応できたであろう。
だが、腐龍の軍団には、複数の大型の腐龍も混じっている。
腐龍の強さは並みの龍の二倍。
とてもではないが、太刀打ちできない。
仕方なく、私は一つ息を落とした。
「はぁ、認識プロトコルの修正は中止だ」
「おじさん? それじゃあどうするの?」
「ピッツェを排除する。そして、私が腐龍の相手をしよう。あれにならば私の魔法が通じるからな」
「排除!? それは駄目だよ!」
「問答をしている暇はない。数分もしないうちにあれらはこちらへやってくるぞ」
「その数分でいいから聞いておじさん。百年間! ピッツェちゃんは百年間一人ぼっちでおじさんのためにここを守り続けてたの! たとえ、人形だとしても、その頑張りを否定するのは間違っている!」
「別に否定――」
「否定だよ!! 存在を否定されることほど悲しいことはない! それは影の民である私が一番知っている! だから、それだけはさせない!!」
彼女の言葉に私と……シュルマが反応を示す。
「カリン……」
「う、ぐ……」
カリンは、この世界に生きる全ての存在から否定され続けて生きてきた。
だから、否定される痛み、辛さ、哀しみ、苦しさを知っている。
その苦痛が目の前に現れたら、全力で拒絶する。苦しむ者を全力で保護する。
彼女は同じ思いを誰かに味わわせたくない。
カリンの心の奥底に眠る痛みに触れたシュルマは呻き声のような声を発して、僅かに下唇を噛む。
だが、私はすでに選択肢のないこの状況下で、カリンの心に思いを傾けてやることはできない。
「カリン、君の気持ちは痛いほどわかる。だが、選択肢はない。すぐにピッツェを処分して、腐龍に対応しなければ私たちは全滅する」
「おじさん! おじさんが気づいてないだけで、選択肢はまだあるの!!」
「なんだと?」
彼女は左手を左目に添える。
「回れ回れ時の歯車よ。遼遠に坐するは万劫に封じられし叡智。その薄片を以て万象に接する栄誉を与えたまえ。我は番人にして追憶を守護せし者。自由と盟約の名の下に黒き片羽根の顕現を許せ。王の無二にして唯一の莫逆の友――――片羽根の騎士!」
カリンの左目に歯車の文様が浮かび上がり、瞳を中心に黒い血管のようなものが這い出し、それが左目を覆う。
背の左側に、金属のような光沢を帯びた骨組みの漆黒の羽が生まれる。
頭上にも同じく金属の光沢を帯びた円環。
とても歪で、歪んだ円環。
私は彼女を止めようと言葉を出すが……。
「やめておけ。影の民を力を解放しようと君の力では――」
「さらに――!!」
「え?」
「一己を超えて普く生を浩渺たる手に包め、蕩然たる瞳で刻め。信頼は白き片羽根となって、我に宿る!!」
カリンの右背に白い羽根が宿る。左の骨組みの黒羽とは違い、柔らかな羽毛を纏った天の使いの翼。
翼を背負うと同時に彼女の左目から、黒い血管が左顔の半分にまで広がっていく。
「カリン! 浸食が進む! やめるんだ!!」
「この程度なら問題ない!」
「馬鹿を言え、後遺症が! どちらにしろ、君だけでは!!」
「黙って、おじさん!! わたしだけじゃない。みんながいるじゃないの!!」
「な!?」
「貫太郎ちゃんがいる。ツキフネさんがいる。リディがいる。ラフィがいる。ヤエイさんがいる。そして、シュルマさんもいる。だから……」
カリンは私の疑心に塗れた黄金の瞳へ、歯車の浮かぶ澄み切った蒼の瞳を見せた。
「わたしを、わたしたちを――――信じなさい!」
信じなさい? ――戦力差は絶望的。私はやめろと言葉を重ねようとした。そのつもりだった……しかし、零れた言葉は――。
「……………………ああ」
この、一言だけだった。