第70話 圧倒
シュルマの戦気に応え、ツキフネとヤエイが私たちの前に立ち、大剣と霊力の宿る印を描いた符を構える。
「ツキフネ、ナディラ族。邪魔立てする気ですか?」
「そうなるな」
「そういうことじゃ」
「愚かな人たちですね……」
シュルマは立てていた槍を水平に構える。
戦いへの緊張が高まる中、私は一つの疑問をシュルマへ投げかけた。
「シュルマ、何故リディを助けた? 何故、リディを人質にしなかった?」
「下らぬ問いですね。私は大罪人の少女の姿を知りません。ですので、危機であれば救う。そして、少女を盾にするなど騎士の恥」
「ほ~、なかなか高潔な心の持ち主だ。偏狭なのが瑕だが」
「魔族の誇りなく、人間に化けし哀れな罪人の評価など不要です。影の民と魔族、あなたたちは生かして、夢とやらを聞き出すとしましょう。ですが、死したとしても、それはそれで――――――問題ありません!」
シュルマは槍を構え、一気にツキフネへ詰め寄った。
鋭き穂先がツキフネの頬を切り裂く。
ツキフネは大剣を上に振るったかと思うと、足元へも振るう。
大剣の速さとは思えぬ上下同時攻撃。
しかし、シュルマは上の攻撃を上半身だけで躱し、下の攻撃は槍柄を使って大剣の刃を食い止める。
ツキフネの背後からヤエイが現れ、雷の力が宿る符をシュルマへ投げつけた。
符はシュルマの眼前で閃光を産み、彼女の視界を奪う。
ヤエイは疾き風の如くシュルマの懐の潜り込み、腹部へ拳を打ち込もうとしたが、その拳を拳で叩き落され、シュルマは瞬時にその反動を利用し肘を跳ね上げてヤエイの顎を打ち抜こうとする。
ヤエイはたまらず後方に飛びつつ、符を投げる。
その符が力を解放する前に槍で切り捨てた瞬間、一閃、シュルマの首筋にカリンが刀を通そうとした。
だが、シュルマは素早く屈み刃を躱し、手にしていた槍の柄を蹴り上げて、柄頭をカリンのわき腹へぶつけようとする。
柄頭が腹部へ当たる寸でのところで、柄に短剣が刺さり、その勢いを止め、僅かにシュルマの体勢が崩される。
短剣を投げたのはリディ――彼女はさらにシュルマの眉間へ短剣を投げつけるが、シュルマは指先のみでナイフの刃を挟み取り、頭上から迫っていたもう一本の短剣へ、挟み止めた短剣をぶつけた。
リディによる、上と横からの二段構えの攻撃。
少女の計算された攻撃にシュルマの心に愉悦が走る。
「きひっ――素晴らしい」
その笑みに誰もが凍りついた時、漆黒の大槌を手にしたラフィが巨大な炎の玉を生み、大槌をぶん回し炎を打ち据えてシュルマへぶつけた。
シュルマはこれまでの攻撃で体勢を崩され、槍を戻す暇はない。
炎が彼女を包む――はずだった。
「下らぬ炎ですね」
シュルマは左手を広げ、巨大な火球を受け止めると、そのまま握り潰した!?
炎を放ったラフィが恐怖に愕然とする。
「そ、そんな、わたくしが持てる魔法の最大級の火力ですよ。それを素手で……」
「ええ、学徒としてはなかなかでしょう。ですが、この程度では私に届きませんよ」
貫太郎が後ろ脚に力を溜めている。
爆発的な脚力でシュルマに体当たりをするつもりのようだ。
それを、私は止めた。
「やめておけ、貫太郎。あの女の力は準勇者級の力を有している。残念ながら、それを行えば返り討ちに合い、君の命が危うい」
「ぶも……」
私は教会騎士シュルマを黄金の瞳に収める。
「さて、困ったぞ。こちらはすでに本気。だが、彼女はまだ本気じゃない……」
シュルマは軽い火傷を負った手のひらを見つめ、首から薄らと落ちる血を拭う。
「首の皮一枚、影の民に切られましたか。楽しませてくれますね、あなたたち。ツキフネも以前より腕を上げたようで」
「上げたつもりだったが、お前にはまだ届かないようだ」
「そのようなことはないですよ。一歩と言うところまで迫っています。おかげさまで、このままでは数に押し負けそうです。仕方がありません――――聖女トリルの刻印よ! 我に禁じられし力を与え給え!!」
かつて、創造神カーディに仕えていた人間族の聖女トリルの名を唱えた途端、シュルマの持つ槍の穂先に記された十字の刻印が黄金の光を纏った。
光は、幾重もの花が重なり合うような幾何学模様の印となって、シュルマの背に光の環として宿り、彼女を人を越えし存在へと導いていく。
その暴虐たる輝きにカリンはすかさず反応を示して、急ぎ、影の民としての力を解放する。
「回れ回れ時の歯車よ。遼遠に坐するは万劫に封じられし叡智。その薄片を以て万象に接する栄誉を与えたまえ。我は番人にして追憶を守護せし者。自由と盟約の名の下に黒き片羽根の顕現を許せ。王の無二にして唯一の莫逆の友――――片羽根の騎士!」
カリンの左目に黒き血管が張り付き、頭上に歪んだ黒の輪に、背には金属のような黒の片羽根の骨組みが生まれる。
影の民としての完全なる姿を初めて目にするリディとラフィは瞳を止めて、じっとカリンを見つめている。
私はカリンの名を呼ぶ。
「カリン!」
「大丈夫だよ、おじさん。この程度の解放じゃ侵食はないから――行くよ、シュルマぁぁぁ!!」
「そうではない、やめろカリン!!」
先ほどまでとは比べ物にならないカリンの動き。
それは、音を後ろへ置いてもなお、追いつかぬ動き。
そうであるはずなのに――!
「やぁぁ!!」
「遅い……」
カリンが振り下ろした刀は途中で止まり、代わりに彼女の腹部に深々と槍の柄頭が打ち込まれ、乾いた大地に両膝を落とす。
「がはぁ!」
「ちょろちょろと邪魔ですね。足を貰いますよ、影の民」
槍が振り下ろされ、カリンの両足を切断しようとする。
急ぎ、ツキフネとヤエイが間に入り、それを阻止しようとした。
「させん!」
「させぬわ!」
「邪魔です」
「がっ!」
「ぎゃっ!」
シュルマはツキフネが振り下ろした大剣を素手で掴み取り、飛び込んできたヤエイには蹴りを放って彼女をツキフネへぶつけた。
二人は絡まりながら地を転がる。
その隙を突いて、カリンもまた地を転がるように退き、距離を置いた。
まるで歯が立たぬ惨状に、ラフィがこちらへ声を飛ばす。
「アルラさん、何をぼさっとしているのですか!?」
「ぼさっとするしかないんだ。私の旧魔法ではシュルマには通じない。かといって、あれほどの立ち回りができるほどの体力はない」
「だからと言って――」
「だから、一時的に力を、魔王と呼ばれた時代に近づけよう」
「……え?」
驚くラフィの声を置いて、私はカリンたちへ大声を張り上げた。
「今より私は特別な呼吸を行い、一時的に力を高める! リディ、貫太郎は動くな! カリン、ツキフネ、ヤエイは時間稼ぎを!」
地面で痛みにのたうち回るカリンとツキフネとヤエイがこれに愚痴を飛ばす。
「じ、時間稼ぎって……」
「そ、それはこうなるまえに頼むべきだろう!」
「すでに打つ手なしじゃぞ、こっちは!!」
「その打つ手はこちらで作る。ラフィ、スラーシュで行ったときのように君の魔力と同調する。そしてだ、ごにょごにょっと……行けるか?」
「ええ、行けますけど…………よくまぁ、そんな非人道的こと考えつきますね」
「他に手はない。生き残るためだ」
「……わかりました。カリンさん、ツキフネさん、ヤエイさん。恨むならアルラさんを!」
私の魔力とラフィの魔力は同調し、緑色の魔力が周囲に広がる。
それらはカリンたちの傷をあっという間に癒す。
この魔法を見たシュルマが驚きに目を開いた。
「なんですか、この馬鹿げた魔力は……あの魔族、一体? これはあの男を先に仕留めるべきか!」
「それはもう遅い」
私の声に応え、カリン、ツキフネ、ヤエイが立ち上がる。
「なにこれ、力が湧き出る」
「能力向上系の魔法か?」
「いや、それだけではないぞ。癒しの力も継続しているようじゃが?」
私は彼女たちに魔法の種を伝える。
「私の魔法だとシュルマに解除される危険があるため、ラフィの魔法を通して能力向上の魔法と、痛みを抑える魔法と……超再生の魔法を掛けてある」
これに三人は、何やら不穏な空気を感じ取ったようだ。
「超再生って、傷を負ってもすぐ治るみたいな?」
「まさかと思うが、致命傷でもか?」
「お、おぬし、もしや!?」
「ああ、たとえ手足が切り落とされようと、たとえ心臓を穿たれようと瞬く間に再生され、死にはしない。さぁ、肉の壁として私の準備が整うまで、存分に戦え!!」
「はぁぁぁあぁぁ~~!? 最っ低だよ、おじさん!!」
「気でも狂っているのかお前は!?」
「鬼じゃ、鬼がおるのじゃ!?」
ラフィは何やらわめき散らかす三人から目を逸らす。
「わ、わたくしは反対したんですよ……」
「あはは、気にするな。必要なことを行っただけだ――おや?」
貫太郎とリディが思いっきり顔を顰めてこちらを見つめている。
「そ、そんな目で見るな、二人とも。他に手があると言うならば、その手を取るが……え~っと、カリンたちには何か代案はあるかな?」
「ないよ!! あとで覚えててよ!!」
「なます斬りにしてやる!!」
「顔の形が変わるまでどついてやるぞ!!」
三人は不満たらたらでシュルマの前に立つ。
私は三人を見届け、深い呼吸を行い始めた。
「あれだけの威勢があれば、時間は十分に稼げるだろう。では、す~は~、す~は~」
深く深く、息を吸い、体内に濃き酸素を取り込んでいく。
全力で体を動かしても、すぐには体力が尽きぬように……。