第66話 それは大切な時間
「そうやってすぐに割り切ろうとする。おじさんの良くないところだよ」
「ぐちぐち引き摺る方が良いか?」
「そうじゃない、ちゃんと向き合いなよ」
「向き合う必要性があればする。しかし、これはそうではない。心残りではあるが、悔やみを抱えて過ごすほどではない。過ごせば、無用な時間が生まれる」
「それは無用じゃない! 必要な時間だよ!!」
感情的に声を上げたカリンへ、私は決して感情を表に出すことなく柔らに声を産む。
「個人であれば、その時間に向き合えばいい。だが、多くを背負う者は個人のことだけに囚われるわけにはいかない」
「おじさんはもう王じゃない! 今は個人だよ! だから――」
「今の言葉は私自身に対する言葉ではない。君への忠告だ」
「え?」
「すでに何度か同じことを伝えていると思うが、君には夢がある。その夢のために、今のように一人の心に思いを傾けて、時間を無為に使うのはよせ。たしかにそれは優しく尊いものだが、大きな夢を追う者にとっては足枷になるものだ」
「ご忠告ありがとう! でも! いま私は、おじさんのことを話してるの!」
「たしかに私は王ではなく、個人だ。だが、己のことにかまけて、君の夢の邪魔をする気はない」
「別に邪魔になんか――」
「なる。なぜならば、君が優しいからだ。私が過去に囚われ悩めば、君は私を支えようとする。私は君から大事な時間を奪いたくない」
「そういうことじゃなくてっ――」
「無駄じゃ無駄じゃ、やめておけカリン」
カリンが感情を爆発させようとしたところで、ヤエイが止めに入った。
彼女は私に冷たい瞳を見せる。
「おぬしは変わったと言ったが前言撤回じゃ。何ら変わっておらん。相も変わらず、他者を見下しておる。いや、昔よりひどうなっておる。絶対者として君臨していた頃は、王としての責務を背負う高潔さもありそれに諦めもついたが、今のおぬしは理解が半端であるため、そこに腹立たしさを感じさせおるわ」
「過去の私にそういった部分があったことは否定しないし、今もあるだろう。だが、理解を示す努力が腹立たしいとは?」
「下々をわかった風で全くわかっとらんということじゃ。まったくわからん阿呆の方がよほどすっきりするわ! 今のお前は王でもなく民でもなく半端な存在。半端な位置から人を見下す存在。一言で言えば、屑じゃ!」
「……ヤエイ、すまない。私には何故、君がそこまで怒りを露わとするのか理解が及ばない」
「そうであろうな。おぬしは一の言葉に、万の意味を籠めて民へ送る。じゃが、民はそれを理解できず、おぬしはそんな人々を軽蔑した。時が移り、おぬしは一の言葉に、十の意味を籠めて送る。これならば伝わるだろうと。じゃが、伝わらぬ。じゃからと言って昔のように軽蔑はせん。ただ、諦めるだけ」
「それがなんだというのだ?」
「万や十の言葉を送るおぬしは、自分に送られた一の言葉の真の意味を理解できておらんということだ。カリンの、マイアの想いがまったく理解できておらぬ」
「その理解とは?」
「阿呆めが。心を全て形に表すことを望むではない。これはおぬしの命題として心に刻んでおくが良いわ」
「わかった、そうしよう」
「……つまらん男になったな。昔のおぬしはもう少し心を見せたものだぞ。それが未熟な感情であったとしても」
「そんなことがあったか?」
「あった、おぬしは気づいておらんかっただろうがな。いや、ワシも気づいておらんかった。これは互いに、長命種ゆえの鈍さかもしれんな」
そこで会話は終わり、何とも言えぬ空気が辺りを包む。
すると、ツキフネが黙々と旅の準備を始め、それに釣られるように皆が動き始めるのだった。
――――ヤエイ
ヤエイもまたアルラたちの手伝いを行いながら、心に思いを広げていた。
(いま思い返せば、ワシの誘いを断ったおぬしは悲しげじゃった。断ったのは妻マイアに義理立てしたのではない。愛していたからこそ、漏れ出た思いじゃったのだろう。あれより百年。おぬしは自分の心を閉ざし、向き合うことを無駄と切り捨てる人生を送ってきたのじゃな。だからこそ、カリンも、マイアも、おぬしに自分のことだけを考える時間を求めて欲しいのじゃよ)