第64話 万年を生きる種族
――――深夜・ひやおろしから離れ、西へ。
ユウガを眠らせ、屋敷の者たちには私たちがいなくなったことを気取らせてはいないとはいえ、念のために街道の途中で道を外し、多少広がった場所で私とツキフネとヤエイが順番に見張りをして今日は休むことにした。
そして、早朝。
改めて、ヤエイを紹介することになった。
ヤエイ――ナディラ族または鬼族。万年を生きるほどの長命であり、性別は女のみで男はいない。子を宿すときは他種族の男とまぐわう。
ただし、子を宿す条件は厳しく、優秀であり高潔な魂の持ち主ではないと決して子が宿ることはない。
また、見た目は十二~十四才程度の少女。これには理由がある。
ナディラ族は主に人間を伴侶とする傾向がある。
幼い容姿をしているのは人間族の寿命がまだ短く三十だった頃の名残で、当時の人間族は十二~十五歳程度で子を宿さなければ、次代に命を繋げることができなかった。
そのため、ナディラ族は当時の人間の男がもっとも惹かれる容姿をしている。
しかし、時が流れ、人間の寿命が延びてくると、ナディラ族の容姿は特殊な趣味を持った者にしか相手にされることはなくなり、近年では数を減らしている。
こういったナディラ族に関する基本的な情報と、ユウガの偏愛によって地下へ閉じ込められていた事情を話した。
ヤエイは大変悲しそうに声を漏らす。
「ゆい坊が愛に狂ってしまったのはワシのせいじゃ。故に、責めることはできぬ。あやつが高潔なまま育ってくれれば、あやつを最後の夫として迎え、ワシは妻として添い遂げるつもりじゃったんだがな」
この言葉には皆、返答難しく押し黙っている。
事情はどうあれ、凌辱の毎日を三年間も繰り返していた。
しかしヤエイはそれを気にすることなく、むしろ自分が悪いとまで言う。
性別は同じであれど、あまりにも違い過ぎる価値観にカリン以下、誰も何も言えない。
万年を生きるヤエイと百年を生きる種では理解できぬことは多い。
特に種を繋げるという部分では……。
もちろんヤエイはそのことを十分理解しているので、無理に彼女たちに自分の想いを押し付けるような真似はしない。
ただ、残された時間の少なさに悲しみを乗せる。
「ワシは間もなく寿命を迎える。その前に子を宿し、次代を繋げたかったが難儀になった。ただでさえ、ワシらは数を減らしておるというのに……もはや、ワシらは滅びゆく種族やもしれぬな」
悲しみに暮れるヤエイを心配して、カリンがそっと声をかける。
「元気そう見えるけど、どこか悪いの?」
「うん? いや、至って健康じゃよ。単純に寿命を迎えるという話じゃ。人間とて年老えば、己の命数を何となく察することができる者もおるじゃろうて」
「それじゃあ、ヤエイさんも察して?」
「その通りじゃ。ワシに残された時間は少ない。おそらく、二百年ほどじゃろうな」
「そんな、二百年しか……え、二百年? 二百年も寿命が残っているの?」
「も、ではない! しか、じゃ! おぬしらの寿命に換算すると二年くらいしかないんじゃぞ! おぬし、二年以内に伴侶を探して子を宿すとなるとかなり厳しく感じぬか?」
「感じるけど……う~ん」
年月の価値の差異に頭を悩ますカリン。
これもまた仕方なきこととヤエイは笑う。
「あっはっはっは、短命であるおぬしらには理解できぬことじゃな。まったく、百年前にアルラがワシを抱いておれば、このような悩みもなかったのじゃがな。今頃、おぬしに立派に成長した子を見せておるところじゃ」
「蒸し返すな。それは断っただろう」
そう答えると、ラフィとリディが会話に喰いついてくる。
「え、お二人はそういった仲で?」
「はわわわ、恋仲だったんですか?」
「違う、一方的に言い寄られただけだ。本当にあの時はしつこくて面倒だった」
「当時のおぬしはそれはそれは王の中の王じゃったからな。ワシの子種としては十分すぎるくらいの資格があった。そうじゃというのに、身持ちが固くての」
ツキフネがヤエイへ尋ねる。
「今は駄目なのか?」
「ワシは面食いなのじゃ。ゆい坊もアルラもブヨンブヨンじゃからな」
「そ、そうか」
「それにの、ゆい坊もそうじゃが、このアルラも魂から高潔さの欠片もなくなっておる。一体、何があったんじゃ? 百年前のおぬしはこのワシが瞳を止めて、激しく胸打つ鼓動に己を失うほど美しい男じゃったのに」
「とあることをきっかけに、王であることが馬鹿馬鹿しくなった。それと、王としての役目は十分に果たしたので誰かに譲ろうとしたが、堕落した私に噛みつくことのできる者が一人も現れず、呆れた結果だ」
「如何に堕落しようとも、過去のおぬしの姿を知っている者では噛みつくどころか牙を剥くことさえできまいて。それにしても、本当に変わったな、おぬしは?」
「そうか?」
「昔のおぬしはこれほど余裕のある会話を行うような人物ではなかった。相対しただけで相手を剣で串刺しにする迫力があったものじゃ。今のように、無駄話などは決してするような者ではなかった」
「年を取り、丸くなったということだろうな」
「体もな」
「ほっとけ」
たしかにヤエイの指摘通り、過去の私はこんな無駄話などするような者ではなかった。
周りにいる者たちは私の一挙手一投足に怯え、顔色を窺い、機嫌を損ねぬよう努める者ばかりだった。
そして、その怯えを体現するように、逆らう者は容赦なく断罪し、無能な者からは椅子を奪ったものだ。
しかし、勇者ティンダルたちとの戦い以降、そういった自分を改め、同胞に対しても人間族に対しても、彼らの至らなさに理解を示す努力を始めたのだが、いつしかその努力を諦め、堕落の愉悦に耽り、今に至る。
ヤエイとの出会いをきっかけに、久しぶりに昔の自分の姿を思い出し、この百年、結局何も手に入れてないどころか諦めてしまった自分の姿を心の中で笑う。
話を聞いていたカリンが、ヤエイと私の仲に言及してくる。
「あの、なんでおじさんはヤエイさんの誘いを断ったの?」
「それは断って当然だ。私にはその時、妻がいたからな」
「ああ、そうだったんだ。奥さんがいたからぁぁぁあぁぁぁぁって!? おじさん、結婚してるの!?」
「していた、が正確だな。とはいえ、マイアとの結婚生活はとても短く、八か月ほどだったが」
この答えに、カリンたちはひどい誤解を投げつけてくる。
「そっか、その頃のおじさんってちゃんと王様をやってたっぽいから仕事ばかりしてたんだね。それで、マイアさんという方は仕事に傾倒する夫に耐えられなくて別れたんだ」
「今のお前も面倒なところがあるが、王としてのアルラはもっと面倒そうであるしな」
「マイアさん、かわいそう」
「さぞかし、家庭を顧みない夫だったのでしょうね」
「ぶもも、もも」
「君たちな! 貫太郎までも! 別にマイアとは不和があって別れたわけじゃない。死別したんだ。病気でな」