第60話 漂う怪しげな香り
――ユウガの屋敷
白い漆喰の土壁が外周を包む、巨大な屋敷。
一階建てではあるが、とても広い土地に屋敷は広がっており、部屋数は数十はあるだろう。
ラフィが瓦屋根の載った巨大な木造門の前に立つ門番に声をかける。
すると、門番は門傍にある小さな扉を開けて中へ。
しばらくすると、巨大な門の扉が開かれ、そこから見た目はスカートのような履き物を纏い、薄い青色の小袖の上に濃い青色の羽織と呼ばれる衣服を纏った、薄毛で小太りで長身の男が数人の共を引き連れ出てきた。
彼が近づくと、柑橘系のきつい香水の匂いが鼻についた。
だが、皆は失礼がないように顔を顰めることなく努める。その中で私とツキフネだけが香水の中に混じる匂いの違和感を感じ取っていた。
しかし、互いに気づいた素振りを見せずにおく。
ユウガは深いお辞儀をして、寒々とした頭頂部を見せながらラフィへ挨拶を行う。
「これはこれは、グバナイト家のラフィリア様。お久しゅうございます。お会いするたびに美しさに威風を纏い洗練さが増すばかりですな」
「ふふ、相変わらずお上手なこと。八か月ほど前の、魔導都市スラーシュの記念祭以来ですね。ユウガ様もご壮健そうで何より」
「あはは、この通り、不摂生がたたり、体は横に広がるばかりですがね。ささ、ここではなんですから、屋敷へ。お供の方々も……ん?」
ユウガは私たちの姿を捉え、瞳を止めた。
「オーガリアン? 少女? 牛? え、牛? 牛? 何故、牛が?」
私たちの不可解な面子に面を喰らったようだ。
特に貫太郎の存在を気にしている様子。
これにラフィは言葉を柔らかく発する。
「ここからさらに西に広がる乾いた大地の調査を行うために、こちらの方々に護衛をお願いしています。こちらのおじさまは学者様。女性の二人は護衛。女の子は学者様の娘。そして、こちらの牛さんには荷を運んでもらってますの」
「はぁ、そういうことですか。ですが、そちらの学者様はまるで農夫のような姿をしておられますが?」
「わたくしも出会った当初は驚きましたが、発掘作業を行うには適した姿だそうですよ。ともかく、詳しくはお屋敷で」
「あ! そ、そうでした。では、こちらへ。そちらの牛は屋敷内の厩舎へ回しておきます」
「くれぐれも丁重に。こちらの牛さんは普通の牛ではなく、ガスクロン陛下からの賜りものである特別な牛ですので」
「こ、国王陛下からの!? わかりました、最大限の配慮を行います。良いか、お前たち。くれぐれも失礼のないようにな。そこのお前は急ぎ厩舎を清めよ。馬たちはどこかよそに動かせ。それでは、皆さまは私が案内します」
――――屋敷内
入るとすぐに大きな庭園が私たちを出迎えてくれた。
庭園は東方の様式で、青々と茂る木々に囲まれた池。池の中には艶やかな色彩を持つ大きな魚が泳ぐ。
また、人の背の高さ程度の石塔がいくつか置かれてあった。
私たちはそれら珍しい庭園の様子を見学しながら敷石を踏み歩く。
その途中で、私はツキフネへこそりと話しかける。
「ツキフネ、気づいたな」
「ああ、香水で誤魔化しているが、奴が纏う匂いは、媚薬や催淫薬の類いだ」
「精力盛ん、と言うだけであればよいが、おそらくは禁制の品。さらに、この屋敷内に入ってから封印区画のようなものがあるのを感じ取った」
「それは宝物庫ではないのか? これだけの屋敷だ。魔導で封じられた倉庫などもあるだろう」
「その可能性もあるだろうが、これは違う。その封印区画から何者かの気配を感じるからな」
「人身売買か?」
「そうではなさそうだ。気配は一人……ただ、知り合いの気配に似ている。封印が邪魔をして定かではないが」
「知り合い? 魔族か?」
「いや、ナディラ族だ。東方風に言えば、鬼だな」
「これはまた珍しい知り合いいるものだ。どうするつもりだ?」
「無視をしてもいいが、放置しては私たちに害が及ぶ可能性もある。確認をしておこう」
「お前だけでか?」
「催淫薬と性に軽いナディラ族。この組み合わせで考えつくのはただ一つ。子どもたちには刺激が過ぎるだろう」
「たしかにそうだな。わかった、彼女たちは私が見ておこう」
「頼んだ」
――屋敷内・応接間
東方家屋では靴を履いたまま室内を移動する習慣がないため、広々とした玄関で靴を脱ぎ中へ。フローリングの廊下を歩き、まずは応接間に通される。
応接間の床には畳と言われる草でできた敷物が敷き詰められており、客数分の座布団というクッションが置かれてあった。
主人であるユウガと相対するように私たちはそこへ座り、ひやおろしへ訪れた事情を話す。
もちろん、内容はラフィが作り上げたでっち上げの物。
学者である私が西方の枯れた大地の調査を行うために訪れた。
魔導学園グラントグレンの代表としてラフィが付き添う。
オーガリアンのツキフネと冒険者のカリンが護衛に同行。
リディは私の娘という具合に。
ユウガは多少の疑念を抱きながらも、深くは追及しなかった。
相手は魔導都市スラーシュの領主の娘ラフィリア。
無用な詮索して不興を買うのを避けたかったと見える。
それに賞金稼ぎとして武名を博するツキフネの存在が、ある一定の説得材料となった。
一匹狼である彼女が護衛の任を負うのは珍しい。
そのためユウガは、よほどの事情があると勝手に思い込んだようだ。
急な訪問で今後の予定が変えられないユウガと、旅に疲れた私たちの慰労のための都合が合致し合い、簡素な会話のみでやり取りを終える。
ラフィは五日ほど滞在する旨を伝えるが、物資の補給は今日中に終えて欲しいと頼んでいた。
補給を急がせる理由は、物資の確認の手間を手早く終わらせて、学術に時間を割きたいためとしている。
これらの要望は、私たちへ訝しがる様子を見せたユウガへの予防線。
数日滞在するということを伝えれば、訝しがる彼へ確認を行える余裕を与えることになる。
つまり、確認に余裕を与えることで、逆に確認を急がせないという策。
実際のところは今日中に物資を受け取り、明日には出て行く予定だ。
そういったことを私が口に出さずとも行えるラフィは、さすが貴族の娘といったところだろう。
話を終えて、客間へ。
客間も同じく畳の部屋。
男の私以外、皆同じ部屋で、との希望を出したので、部屋は畳三十枚分の大広間。
今は私もそこに居る。食事もこの部屋で一緒に取る予定だ。
ツキフネと私以外の少女たちは風呂があるという説明を受けて浮足立つ。
「和服のメイドさんに聞いたけどかなり広いんだって」
「楽しみですね。村では水浴びか清拭が主流で、お風呂なんてまず入りませんから。それなのに大きなお風呂なんて!」
「わたくしはまだ長旅と言えるほどの旅をしていませんが、正直、お風呂の面では泣きたくなっていましたから助かります。毎日、水の魔法のシャワーだけでは物足りなくて。ですが、今日は皆さんとゆっくり湯船に浸かりましょう。そのあとは夕食だそうですよ」
お風呂が楽しみで仕方ないとばかりに少女たちはそわそわし、頬が染まるほど紅潮している。
だが、彼女たちの興奮は別に楽しみだからというだけではない。
ツキフネがこちらへオレンジの瞳を振った。
「屋敷内に漂う催淫薬の影響だろうな」
「ああ、微量でも心に作用があるみたいだ。屋敷の者たちは耐性があるようで、微量では影響がないと見えるが」
私たちの会話が聞こえたようでラフィが尋ねてきた。
「どうされました、お二人とも? さいいんやく、とは?」
「幼いリディがいる前で話すのはどうかと思ったが、情報共有のために話しておこう。この屋敷内のどこかで媚薬・催淫薬の香のようなもの焚かれ、それが君たちに僅かながら影響を与えている」
「え!?」
「とはいえ、軽い興奮を覚えるほどでそういった行為に及ぶまではなさそうだ。それでも念のために、鎮静効果のある解毒魔法を皆に使用しておくといい、ラフィ」
「え、ええ、わかりました。ですが、何故、そのようなお香が?」
「ユウガは屋敷内のどこかで女を囲っている。それも、その女の意思に反して」
「そんな!? でしたら!」
「落ち着けラフィ。とはいえ、薬のせいで落ち着きにくいだろうが。ともかく、この件に関しては私が対処しておく」
すると、カリンが不満そうに声を上げた。
「どうして? わたしたちを頼っても大丈夫だよ」
「捕まっているのは、おそらくだが知り合いだ。だから、私に任せてほしい」
「おじさんの? だったら余計に私たちが協力を――」
「状況は君たちに見せられるようなものじゃないと見ている。なにせ、催淫薬を使用しているのだからな。特にリディには見せられない」
「あ!」
「そういうわけで、君たちは風呂と食事を楽しみ、夜はゆっくりと休んでくれ。私は風呂と食事が済み、夜になってから封印されているだろう区画を探し出し、中にいる者と接触を図る」
「図るだけ? 助けないの?」
「本人が助けを求めれば助けてやるつもりだ。だが、私の想像通りの人物であれば、この状況を楽しんでいる可能性が高い」
「閉じ込められて、無理矢理、その、エッチなこと、されてるのに?」
「彼女はそういった存在なんだ。ともかく、今回は私に任せて、君たちは旅の疲れを取るといい。ただし、この屋敷を離れられる準備だけは怠らぬように」