第53話 チキンとレモンのハニーマスタード煮込み
――――時は巻き戻り、十日前<アルラ>
午前中に訪れた魔導都市スラーシュを午後に離れるという、なんとも短い滞在。
私たちは西方の門から出て、しばし歩き、日が沈み切る前に森の中で野営の準備に入った。
私と貫太郎とリディが夕食の準備。
カリンとツキフネは剣の稽古。
新たに仲間に加わったラフィは私たちの食事の準備を見物しながら首を傾げる。
「アルラさんは魔王なんですよね? どうして、食事の準備を?」
「元魔王だがな。今は自由の身。ただのアルラだ」
「ええ、そのことはここまでの道すがら、大まかに聞きました。勇者ナリシス様に大敗北を喫して、貫太郎さんの手を借り、這う這うの体で魔都ティーヴァから脱出。そしてカリンさんと出会い――」
「ちょっと待て! 大敗北? 這う這うの体? 誰だ、そんな言い方をしたのは?」
「カリンさんとツキフネさんです」
「あの二人は~……だが、そう間違ってないのが腹が立つ。ごほん、話を戻そう。なぜ、元魔王である私が食事当番をしているのか、だな?」
「ええ」
「答えは、このメンバーの中で料理の腕が一番立つからだ。加えて、カリンとツキフネに手伝わせると隠れて味付けに手を加えようとして邪魔だから」
「あ、ああ、そうなのですか?」
彼女は剣の稽古に励む二人をちらりと見て、こちらに瞳を戻す。
「元とはいえ、魔王の肩書きを持っていた方が料理上手とは意外です」
「本格的に始めたのはここ三十年ほどで、そうは経っていないがな」
「ふふ、人間のわたくしから見れば十分すぎる料理歴ですよ」
長命種の魔族と短命種の人間との時間の価値観の差異が面白かったのか、ラフィはくすりと笑い声を零した。
私は包丁でレモンを輪切りにしながら、そんな彼女の衣服へ視線を振る。
ラフィは多様なフリルとラメが散りばめられた赤いドレスを纏い、首や手首に装飾品を付けて、指には蒼い魔石の指輪をはめている。
これらは、衣服を脱ぎ捨ててタオル姿になってしまったラフィのために、カリンとツキフネが回収したものだ。
私はこの件について彼女に問い掛ける。
「あれだけの啖呵を切って返したものを纏っているが、迷いはないか?」
「まったく。これはわたくしが回収したものではありませんし。この衣服はカリンさんとツキフネさんからのプレゼントですから」
「ほぅ、それは良い答えだ」
「それに、今のわたくしは貴族ではなくて盗賊ですから。これはあなたがそう仰ったことでしょう?」
「あはは、そうだったな」
「ですので、仮にわたくしが回収したとしても、グバナイト家から盗んだだけのこと。文句がおありなら全力で取り返しに来ればいいだけの話です。もちろん、こちらも全力で抵抗しますが、うふふ」
そう言って彼女は笑い、私も釣られて笑い声を立てる。
その様子を見ていたリディと貫太郎が話に加わる。
「なんだか、ラフィさんとアルラさんって似てますよね。考え方が」
「ぶもも、も~」
「そうか?」
「そうでしょうか?」
「はい、普通なら迷うようなことをあっさり割り切っているというか、ね、貫太郎さん?」
「もも~もも」
二人に指摘されて、私とラフィは互いに視線を交わす。
互いに姿を瞳に収め、ある考えに至る。
(彼女は貴族。些事に頭を悩ませたりしないのだろうな)
(アルラさんは王族。些末なことに頭を悩ますことがないのでしょう)
私はリディへ顔を向ける。
「ま、共通点があるので近しい部分はあるのかもな。それよりもリディ、鳥肉は切り終えたか?」
「はい、ご注文通りぶつ切りに」
「よし。貫太郎、米を磨いでくれたか?」
「も~」
「ふふ、二人ともありがとう。さて、今日はレモンと蜂蜜とマスタードと牛乳を使った煮込み料理の予定だ。この料理は甘辛さと酸味が米に合って美味いぞ」
私は鼻歌まじりに料理の鍋に水を入れて、それを火にかける。
そこで手持ち無沙汰なラフィが小さく手を上げる。
「何か手伝いましょうか?」
「おや、ラフィは料理ができるのか? 手伝うにしても、勝手に味付けを変えたりしないか?」
「多少はできますし、変えたりしませんよ」
「それはありがたい。だが、今日は歓迎会の意味を込めてゆっくりしていてくれ。これからの旅で君の料理に期待するよ」
「そうですか、ではお言葉に甘えて……」
彼女は小さく会釈をして、そばの倒木に腰を下ろす。
そして、私たちの姿をざっと見回して、一言を漏らす。
「男性はアルラさんだけなんですね?」
「ん? ああ、言われてみればそうだな」
「それはひどい返しのような……」
「そうは言っても、彼女たちとは年も離れているしな。だから、そういった対象には見れんよ」
「年の差はあなたが魔族だからでしょう? 人間の年で表すとどの程度で?」
「三十前半から半ば、くらいなるか?」
「ああ~、結構離れてますわね。近い年齢はツキフネさんだけくらいでしょうか?」
「彼女はとても落ち着いているが、二百年近く生きる種族。人間年齢だと十代後半くらいだぞ」
「そ、そうなんですか? とてもそうは……おっと、失礼ですね」
ラフィは口を押えて申し訳なさそうな態度を取る。
だが、彼女がそう感じるのも無理はない。
オーガリアンは体だけではなく心も早熟で、三十年も生きればかなり達観した物の見方ができるようになる。
そのため、この中では誰よりも大人の女性としての雰囲気と考え方を持っている。
だが、ラフィはまだ何か納得できないことがあるようで首を軽くひねっていた。
「う~ん」
「どうした?」
「いえ、年の差があったとしてもそういう対象にならないというわけじゃないのでは? と思いまして」
「まぁ、たしかに。だが、私は彼女たちを女性というよりも娘に近い視点で見ているところがあるからな」
「娘、ですか?」
と、ラフィが声を返したところで、稽古を終えたカリンとツキフネがこちらへやってきた。
「おじさ~ん、ごはんまだ~?」
「今日は肉の煮込み料理と聞いたぞ。実に楽しみだ」
私は汗を拭きながら腹を空かせる二人をチラ見してラフィへ戻す。
「まぁ、娘は娘でもダメ娘かもしれないが……」
「プッ、クスクス。みたいですね。それに、大人だと感じていたツキフネさんも可愛いところがあるみたいですし」
稽古を終えた二人と合流した私たちは輪になって食事を取り始める。
その合間に、改めて互いの自己紹介を行う。
新たなに仲間になったラフィだが、一見落ち着いているように見えて、その実は感情に任せて勢いでついてきた旅。
おまけに父と娘の縁を切るという大事まである。
今はまだ、興奮という名の熱が彼女の心を覆っているため不安な様子を見せてはいない。
しかし、時が経てば熱も冷め、心に変化が生じるだろう。
その時のケアは……カリンとツキフネに丸投げしよう。
焚火によって浮かび上がる私たちの影が木々に揺らめき、話し声と笑い声は沈黙の闇夜に賑やかな彩色を与え、楽し気な食事が進む。
それも終わりかけた頃、私は地図を睨みながら次の目的地を口に出した。
「次の目的地は西方最後の町・ひやおろしだな。ここが最後の物資補給地点となる。この町より西に進むと、そこからは呪われた渇きの大地と穢れし沼しかない。それらを越えた場所に私たちの目指す場所、まほろぼ峡谷がある。そして、その峡谷の先には、一国を産み出せるほどの肥沃な大地が存在する」
皆は食事を止めて私の話にしっかりと耳を立てる。その中でまずカリンが声を上げて、次に皆が続く。
「そこなら、居場所のない人たちに居場所を作ってあげられるんだね、おじさん!」
「ああ、その通りだ」
「だが、その前に難所が二つもあるな」
「安心しろ、ツキフネ。私が旅に同行している以上、それらは難所にならない」
「それは何故でしょうか?」
「リディ、それはその難所を産み出したのが私だからだ。私なら攻略法を知っている」
「難所を産み出した? それは一体どういう意味なのですか?」
「ラフィ、まほろぼ峡谷の先は私と勇者ティンダルたちが戦った場所であることは知っていよう。実はな、戦いの後、ある事情があって封印する必要があった。そのために私が難所を産み出したんだ」
「も? もも~?」
「貫太郎……ある事情については峡谷に辿り着いた時に話そう。その方が説明が易い。しかし、これは君にとってつらい話になるだろうな」
「も!? もも~……」
貫太郎はある事情の内容に気づき、悲し気な雰囲気を纏い、つぶらな瞳に睫毛を被せて閉じる。
皆は彼女の様子と私の言葉に深く関心を寄せるが、私が貫太郎の頭を撫でつつ、もう一方の手を小さく振ると、彼女たちは深く追求することはなかった。
私は彼女たちの気遣いに感謝しつつ、遥か西方へ瞳を向ける。
(峡谷を超えた先にある肥沃な大地。しかしそこは、世界を滅ぼす存在の出入り口。そろそろ話す頃合いだが……峡谷には門番がいる。そいつを交えて事情を語った方が良いだろうな)
そう考え、スープの最後の一口を口へ運んだ。
それを見計らい、カリンが神妙な面持ちを見せて声をかけてくる。
「あの、おじさん。二人だけで話をしたいことがあるんだけど……」