色彩のない街で・夏の匂いが恋しい日に・真珠の耳飾りを・百年ぶりに目にしました。
大人になれば世界の色はバラ色以外に二通りに別れる。一つは色眼鏡の偏向。もう一つはセピア色。「いつかどこかで誰かが言った。」そんなたった一行の作家の名言めいた言葉を、なんでか脳の中に取って置いて、意味も無いタイミングで思い出す。それが一般的な平凡な大人なのだ。そして自分はそんな大人になった。
スーツとは高額だ。自分で手取りを稼ぐようになってもその考えは改められない。機械で綿密に分厚く縫われた生地は重く、最大日照時刻を過ぎても容赦なく照りつける陽光がぼわんとした熱を与えてくる。まるで蒸し焼きにするかの如くじりじり、じりじりとこの身を包み込んで来るので汗がひとすじ頬を垂れた。思わずカッターシャツの第二ボタンを緩める。蒸し焼きにされる鶏や豚の気持ちが分かってきた。いや鶏や豚はおいしく食べられれば良いのだが、社会人の自分の中途半端に不健康な肉質など最悪だろう、想像しただけでまずそうだ。おまけに身を包むスーツには汗や埃も染みこんでいて、塩やオーブンなどでちゃんと料理された鶏や豚と並列には出来ない。彼らの方がよっぽどちゃんと扱われている。社会人としての責務が、かび臭さとむわっとした汗の臭いと共に立ち上がる。重い。スーツが重い。社会人としての重荷が、この丁寧に作られたであろう黒々としたリクルートスーツとなりのしかかってくる。去年の今頃は何をしていだろうか。まだ終わらぬ夏に不満を垂れて秋よ来いと言いながらアイスでも齧っていた。嗚呼今すぐにでも戻りたい。ぽたりと落ちた汗がアスファルトの小虫を殺したかもしれないが、それに気を留めている暇も無い。嗚呼。ぽたり、ぽたり。
色彩があるようで無いセピア色の街。やっと覚えた道のりを何の感情も覚えないまま赴いている。これならロボットが歩いた方が効率が良さそうだとスマートフォンに目を落とせば、いつまで経っても手放せない経路案内のアプリが35m先を左へ行けと告げていた。効率の良い行き方、効率の良い生き方、効率の良い逝き方。そんな事を考えている自分が異常だとも思わなくて、これが社会に出た大人の誰しもが持つ希死念慮なのだと普遍性を定期的にSNSで確認して安堵する。
道を暑そうに歩くが装いは秋めいている婦人や若い学生とすれ違う度に、自分は別の世界で生きてしまっていると孤独感が強まった。手にしている鞄が重くて重くて、把手を軽く跳ねさせて持ち直した。若さがその重さよりも勝っているから、少し大げさに持ち替えられるのだ。また汗が頭皮辺りからつーと頬を伝った。ハンカチは先程鞄に乱雑にしまってしまったのですぐには取り出せない。不快感からだんだんと苛立ちが勝ってきた。昔からこう怒りっぽかったわけではないのに、なんだか急に知らない自身の顔が出てきたような感覚が自分でも痛々しい。これじゃあ、こどもの時の方がよっぽどおとなだった。
嗚呼暑い、怠いの感情で首を動かすのも億劫だったが何となく右を向いた。首が勝手に動いたのか、小さな変化に飢えていたのか、視界に飛び込んだのは古ぼけた骨董屋らしきショーケースだ。ガラス越しの向こうに、大判でフェルメールの真珠の耳飾りの少女が飾られている。思わず立ち止まった。そしてその前に立って、立ち尽くしていた。
遠い遠い昔から記憶が走って来るような感覚に頭皮がぞわぞわとする。これを見たのは百年前、自分が生まれる何十年も前。いやそんなことは無い、あれは学生時代、うつらうつらしながら辛うじて開いた教科書のつるつるとした紙に印刷されたページで見た。だがアインシュタインは言った、時間の流れとは誰しも平等じゃ無いと相対性理論でそう言ったとテレビで見た。だからこれは百年前の記憶。百年ぶりに見るフェルメール。自分の学生はとうの昔に自分の一生を4.347826086周を超えて遠ざかっている。そして久方ぶりに見て気付いた。
「真珠の耳飾りってこんな大きいんだ・・・」
思わず声に出していた。昔は青いターバンにばかり注目して気付かなかったけれど、絵の中でしか実在しない彼女がしている真珠の耳飾りはとても大きい。その鈍い白を見つめていると、それが凡人の自分が一生掛かっても手に入れられない物なんだと、天才と凡人、絵画と現実、理想と現実を思い知らされて急に涙が両目に滲んできた。急いで先程鞄に苛立ち紛れにくしゃくしゃにして入れたハンカチを取り出し、鼻の下を拭った。
原典:一行作家