六、路上にて灰色は哂う。
六ノ序、
ブライドルの町で一、ニを争う目抜き通り。
スタールストリートの路上にて。
「…けっこう、色々あるな。この世界」
オレは今、ブライドルの路上の片隅に座り込んで、異世界の町の『構成要素』を観察している。よく見れば、ブライドルの町の中には、元の世界にもありふれていた『物』や『素材』が至るところに使われているのに気付く。
まず、目につくのは『建造物』と『道路』の素材だ。
木材、石材、鉄材、赤いレンガ、漆喰、コンクリート。それと、よく見れば屋根や給水設備に銅管も使われているようだ。町の建造物の特徴として、建て増しを何度も繰り返している建造物が多い。それと、通り一つ変われば、その通り沿いにある建物の特徴も全く変わる。瓦屋根がない中東っぽい建物も多いが、場所によってはオレンジ色の瓦屋根の建物もある。
道路の種類も場所によって様々で、ホープ街道(昨日の渓谷の街道)みたいな石畳で舗装された道、赤いレンガで舗装された道、コンクリートの道、草が生えた土の道など、『そこがどんな場所なのか?』、『この道の上をなにが通るのか?』によって、道路一つ作るにも様々な素材と工法が使い分けられている。
そして、『移動』と『輸送』の手段。
町のそこかしこを走っている馬車や荷車が、この世界での主な移動・輸送手段であるらしい。目抜き通りを歩く町の人達は、ほとんどの人が徒歩で移動している。町の中には自動車やバイクはおろか、自転車さえ見当たらない。
最後に、『身の回り』の品物。
町の人々が着ている『衣服』の素材は、布地や皮革製品が多い。布地は綿っぽいのもあるし、羊毛っぽいのもある。何革か分からないが衣服にしろ鞄にしろ縫製がしっかりしていて、かなり高レベルな皮革加工技術がある世界のようだ。複雑な紋様の絨毯や綴織なども、通り沿いの露店で売られていた。これも、かなり高レベルな家内制手工業の賜物、という感じがする。ブローチや指輪、イヤリングなどの装飾品を身に着けている人も多く、頭にバンダナやターバンみたいなものを巻いた人もいる。それと、多分日焼け対策なのだろう、目元だけを覆う覆面や鍔広帽を被り、強烈な日差しの下で働く男達も多い。
歴史が培った『技術の粋』も、個人レベルの『工夫の品』も、この世界には数多くあるようだ。
しかし、肝心の『機械製品』が見当たらない。
日本になら『自動販売機』や『電光掲示板』など、町中でも当たり前に見かけるような機械の類が全く見られない。これではクロスカブの部品を揃えるのが一苦労だ。…もしかして、この世界には機械とかガソリンとか電気とかはないのだろうか。
「…こんな世界で、『クロスカブ』直せるかな」
ふぅ…とため息まじりにオレは独りごちた。
元の世界に帰れるかな…とはオレは言わない。
おそらく、オレはもう帰れないだろう。
そんな気がする。
そもそも、『オレが突然この世界の“荒野”に飛ばされた理由は何なのか?』。
仮説その1、誰かに召喚された。
仮説その2、オレが自分の力で勝手に来た。
仮説その3、特に理由はない。
まず、1と2はないだろう。
召喚しておいて、人のこと荒野のど真ん中に落っことす訳はない。それに、オレは今のところ『自分の召喚物』を召喚することはできるが、召喚物以外のものを召喚したり、自分自身をワープさせたりすることはできない。念の為、オレ自身に『隠された真の力』とかがあるパターンとかも考えた。これもなさそうだ。オレは所謂天才とかじゃなくて、ただの36歳の家庭ゴミのリサイクル業者である。そんな力を手に入れた覚えもないし、使った覚えもない。
消去法で、正解はなんとなく『仮説その3』な気がする。
“特に理由はない”。それが、オレが突然この世界の荒野に落っことされた理由。
オレがそう思うのは、この世界がオレにとって『あまりにもハードモード過ぎる』からだ。
この世界に来て、オレが最初に“たまたま”「メニューオープン」って言って、“たまたま”『クロスカブ』を召喚できることに気付いていなければ、オレは多分最初の荒野で、あのイノシシ猿達に狩られていた。そして、“たまたま”異世界モノのマンガを読んだり、“たまたま”頭の中でイメージトレーニングを普段から欠かさずやっていなければ、荒野に落っこちてきた時点で完全に詰んでいたわけだ。
そんなの『ハードモード過ぎる』としか言えない。
オレがこの世界に召喚された理由が、所謂女神様とか大賢者とか王様とか自分自身の秘めたる力ではないとしたら、オレがこの世界に来た理由の仮説がもう一つ追加される。
仮説その4、単なる自然現象。
たとえば、『幽遊白書』みたいに次元に空いた穴に落ちた…とか。
これが一番、今の状況に当てはまる…とオレは推測する。
もし、オレのこの推測が正しければ、オレが元の世界に帰るためには、『全く同じ自然現象が逆向き』に起こらなければならない。
…確率何%だ?そんなの。
町の路上に、午後の光が照りつけている。少し西寄りに傾いた太陽が強い日差しを地上に送り込んではいるが、空気中の湿度があまり高くないらしく建物の日陰に入れば少し涼しく感じられた。
モロッコ旧市街のように、複雑に入り組んだ通りの両側に、雑多な商店郡が立ち並ぶブライドルの町の目抜き通り。目の前を歩く町の人達は、路上の片隅に座り込んだオレのことを誰も見たり話しかけたりはしない。
『路上に座り込んでいる男なんて、別に珍しくもない』
そう言いたげに町の人達はみんな、買い物をしたり、商品を運んだり、杖をついて歩いたり、友達と集団で走り回ったり、忙しく建物を出たり入ったりして、路上に座るオレのことなど見向きもせず、それぞれが目抜き通りの喧騒を作り出すことに一役買っている。異世界の町の片隅で、異邦人のオレは完全に独りぼっちだった。
「『街の中では孤独を感じるけど、森の中では孤独を感じない』。なんのセリフだっけ?」
ひとり路上でそう問いかけても、街の喧騒の中から応えは帰ってこない。
昨日の赤い荒野では、たくさんのイノシシ猿達が、オレ一人に注目しながら追いかけてきた。
でも、この人間の街では、オレみたいな迷い人に注目する人など一人もいないように、オレには思えた。
「…ま、考えてもしょうがない、そんなの」
曖昧な笑みを顔に貼り付けたままオレはつぶやく。
とりあえず、オレは路上に座り込んで休憩がてら、自分のメニュー画面の情報を確認してみることにした。
その次のことは、その後で考える。
「…メニューオープン」
人通りの多い目抜き通りの路上の日陰で、オレは小声でそうつぶやく。ブンッ…という電子的な音を響かせながら、黒くて厚みのない下敷きくらいの大きさの『メニュー画面』が、オレの目の前のなにもない空間に出現した。
このメニュー画面が開く時の『ブンッ』という音は、オレ以外の人の耳には聞こえないらしく、道行く人は誰もこちらを振り返ったりしない。それに、厚みのない小さなモニターのような形で空中に浮かんでいる『黒いメニュー画面』のことも、道行く人の誰の目にも見えてはいないようだ。
メニュー画面上の職業が、いつの間にか『レベル2召喚士』になっていた。それに伴ってオレのMPの最大値が大幅に上昇している。その他のパラメータを確認すると、INTとRESというパラメータの数値が少し上昇していた。オレの『知性』と『反応』が少し上がった、ということらしい。
パラメータには他にも、HPやATKやDEFという数値もあるが、そちらは上昇していない。
「…オレ自身が、『どんな経験をしたか』によって、経験の内容がレベルアップ時のパラメータ上昇に反映される、ってことか?」
たとえば『頭』を使うような経験をすれば『知性(INT)』が上がる、『脊髄反射的な運動』を伴う経験をすれば『反応(RES)』が上がるとか、そういうような…そう考えてみれば、昨日の経験と照らし合わせてみても、思い当たるフシはある。
ただ、昨日あれだけの目にあったのにも関わらず、『HP』が初期値と全く変わっていないのはなぜなのか。
黒イノシシに跨がる猿達に追いかけられたり、箱馬車に轢かれかけたりした経験は、オレの『HP』が上昇する要素にはならないのか。
メニュー画面上には、『こんな経験をしたら、このパラメータが上がりますよ』という親切な記述はどこにもない。相変わらず、この世界はユーザーフレンドリーではないようだ。
「…唯一のヒントといえば、コレかな」
レベル2になって、メニュー画面上に新しく実装された『経験値』という項目がある。
そこを開いてみると、オレの経験値が増えたタイミングが、時系列順に棒グラフで表示されていた。グラフによると、昨日一番大きくオレの経験値が増えたタイミングは、昼過ぎの2回と夕方の1回だった。猿達とのデッドヒートの時と、灰色の男の箱馬車に轢かれかけて横っ飛びした時。あと一回は分からない。
何故そのタイミングで一番経験値が増えるのかは分からないが、この『経験値』コマンドをこまめに確認すれば、効率よく経験値稼ぎができそうだ。オレのMPの最大値が上がれば、召喚物の召喚と帰還がやりやすくなる。そうやって『この世界で』、オレにできることを少しずつでも増やしていくのに越したことはない。
『荒野では、自分の判断しか頼れない』。
誰かからも、そう教わった気がする。
考えてもしょうがないことを考えず、まずは自分にできることから、オレは考えてみた。
…とりあえず、ここから立ち上がって、誰かに市役所までの道を聞こう。ここにずっと座っててもしょうがないし。
そう思いながら、オレはメニュー画面を閉じた。
ブンッ…という電子音のような音を立てて、黒い画面は空間の中に一瞬でかき消えた。
「…よっ、と」
オレは声に出して、衣服についた埃を払いながら、路上の片隅から立ち上がる。
そして、ふと目線を上げて人でごった返す目抜き通りを見た。
…見覚えのある全身灰色の男が、ポケットに手を突っ込んで、オレの目の前をダラダラと歩いていた。
六、
「おいっ!」
オレは、座っていた街路脇から立ち上がり、灰色の男の背中に声をかけた。
普段より、語気も少しだけ強めになる。なにしろ、こっちは昨日轢かれかけたのだ。
「…あん?」
灰色の覆面の奥で窄められたアイスブルーの瞳の視線をオレに向けながら、ハンドポケットのまま、ごく自然な動作で灰色の男はオレの方へ振り返った。
その灰色の男の『振り返り方』を見た瞬間、オレは本能的に、“この男には喧嘩で勝てない”と直感した。この男は身長190センチ、体重90キロはある。体格的に考えても普通に強いだろう。それよりも問題なのは、その『振り返り方』だ。
『普通に歩いていて、ただ後ろを振り返る』
それだけで、男の体の正中線に沿って存在する、確かな『中心軸』のようなものと、灰色のコートの下に隠された逞しい骨格と、太く強靭な筋肉の存在をオレに認識させた。無駄な力みのない自然な強さ。
なんかの武術の使い手、そんな感じがする。
オレは灰色の男から目を逸らさずに言った。
…しかし、語気は少し抑え目に。
「…昨日、会いましたよね?この町の外で」
オレに向き直った灰色の男は、冷たい色の目を窄めオレを吟味するように、黙ってオレの顔を凝視している。男の両手は相変わらずハンドポケットのままだ。口の端にはタバコのようなものを咥えてはいるが、火は着いていない。
灰色の男は、人々の往来の激しい道のど真ん中に立って、無言でオレの顔をじっと見つめている。
今にも、オレと灰色の男との間に『ゴゴゴ…』という効果音が響き出しそうな、重たい緊張感を伴う沈黙が続いている。
道行く町の人達は、オレと灰色の男がまるで見えていないかのように、オレ達二人を大回りに避けて歩いていく。
「昨日、渓谷で貴方が馬車に乗ってる時に…」
「…君か」
男が、オレのことを思い出したようだ。
…自分が轢き殺しかけた人のこと、昨日の今日で忘れるか、普通?
一瞬そう思ったが、この灰色の男とオレがすれ違ったのは、ほんの一瞬の出来事だった。顔を思い出すのに時間がかかったのも、無理はないのかもしれなかった。
「…無事だったようだね。心配してたんだ」
そう言って灰色の男は、口の端に咥えていた火の着いていないタバコのようなものを右手の指に挟んで、白手袋をした大きな手の中に隠した。タバコを咥えながら人と話すのは失礼、と判断したようだ。
そして、男はいかにも済まなそうに被っていた灰色の鍔広帽をとり自分の胸に当てながら、オレにこう言った。
「…渓谷の中は、暗い上に曲がりくねっている。カーブのすぐ先だったし、街道の真ん中に立っていた君を出会い頭で避けられなかった。馬車を横転させないように、手綱を操るだけで精一杯だったんだ…。済まなかった。許してほしい…」
マジメな表情で、灰色の男はオレに謝意を示した。第一印象からは、こんなに素直な男だとは思わなかった。なんにしろ、オレは諦めかけていた『男からの謝罪』を受け取ることができた訳だ。しかし、オレにはもう一つ確認しなければならないことがあった。
「…昨日はどうして、オレを置いて逃げたんですか?」
オレは、男の目を真っ直ぐに見ながら質問した。
オレに対する男の態度は、あくまで紳士的なものだ。
昨日この男に轢かれかけた瞬間にオレが見たと思った『嘲笑う表情』は、もしかしたらオレの見間違いだったかも知れない。
しかし、オレを助けもせず轢き逃げしたことに関しては、オレはまだ納得してはいない。異世界の交通ルールにだって『救護義務』くらいはあるはずだ。重ねてオレは男に質問する。
「…どうして助けずに、オレを見捨てて逃げたんですか?」
オレの責めるような言葉を聞き、灰色の男は顔を伏せる。長い金髪の前髪に隠れて、男の目元は見えない。
しばし沈黙の後、男はオレからの質問に応えた。
「…君を轢きかけたのは、俺が悪かった。反省しているよ。…しかし、手を振りながら道のど真ん中に出て来て乗合馬車を止めようとしてる見知らぬ奴がいりゃ、普通は『盗賊の斥候』を疑うのが『常識』だ」
その目は、相変わらず長い前髪に隠れている。
男の独白は、静かに続いていく。
「…なかには当然、ただ単に助けを求めてくる君みたいな人もいるんだろう。だが、俺には『盗賊』と『遭難者』を確実に見分けることなんて、できない…」
最後は少し強めの語気で男はつぶやく。
男は、自分の胸に当てた灰色の鍔広帽を、白手袋を嵌めた手でギュッ…と握りしめている。オレには何も言えない。この世界の『常識』など、何も知らないオレには…
男はさらに続けた。
「…俺は『御者』だ。客の命や、客の荷物の安全に責任がある。万が一にも、俺の客や、客の財産を脅かすわけには、いかない。…君には申し訳ないが、あの状況で『御者』の俺は、自分の馬車を止める訳にはいかないんだ」
御者の男は、ずっと伏せていた顔を上げると俺の方を向いて真っ直ぐにオレの目を見た。灰色の覆面の下のアイスブルーの瞳が強い光を放っている。
その目の光はどこまでも真っ直ぐで、その言葉の端々(はしばし)に、御者の男の持つ職業人としての責任感と誇りと、そして葛藤が感じられる。
そして、御者の男の具体的な説明は、もし同じ状況なら自分も馬車を停めずに走り去ったかもしれない、とオレに思わせた。
「…済まなかった」
御者の男は、自分の胸に灰色の鍔広帽を当てたまま、もう一度目礼してオレに謝った。その丁寧な態度からは、男が本当に『オレのことを助けられなくて後悔していた』ことが伝わってきた。御者の男の素直な態度を見ている内に、オレの方も素直に自分の行動を省みる気持ちになっていた。
…もしかしたら、あの渓谷の石畳の道はオレが知らないだけで『馬車の車道』だったのかもしれない。
もしそうなら、御者の男からすれば、暗いカーブの道の向こうに突然見知らぬ男が飛び出して来たことになる。それなら、この御者の男が驚いて混乱したのも無理はない。
この男の謝意を、オレは素直に受け取ることにした。
「…オレは、もう気にしてません。特に怪我もしてないですし。それより、こちらこそ馬車の前に飛び出してすみません…」
オレも御者の男に対して、目礼を返した。
最初に感じていた灰色の男に対するオレの怒りは、徐々に薄れていった。それどころか、最初のオレの態度に激高することもなく、終始冷静かつ紳士的に事故状況を説明する御者の男に対して、オレは徐々に好感のようなものさえ感じ初めていた。
たしかに、盗賊が跋扈する世界で、人気のない街道で馬車を止めようとする見知らぬ男がいたら、オレだって警戒して馬車を止めないかもしれない。
御者の男は、もう一度オレに目礼したあとで、灰色の鍔広帽を頭に被った。
この時。
オレと御者の男は、被害者でも加害者でもなく、対等の立場として、初めてお互いに向かい合った。
全く違う世界に生きてきた二人の男が、お互いに笑い合い、赦し合うという、まるで司馬遼太郎先生の短編の一場面のような…
オレは、御者の男とこうして向かい合うことで、この世界に来て初めて『異世界人』と分かり合えたような、そんな気がしていた。
御者の男はオレに少し近付き、優しく微笑みかけながら質問してきた。
「…君はなんの仕事してるの?」
「…実は、この町には昨日来たばかりで。いま仕事を探している所です」
オレは正直に、自分の今の状況を男に伝えた。
「…そうだったのか」
御者の男は落ち着いた様子で、観察するようにオレの顔を見た。オレが身に着けているジッパー付きの『作業ツナギ』や、オレが履いているレッドウィングの『アイリッシュセッター』をしげしげと見つめている。男の微笑みは相変わらず優しかったが、その目の奥にある感情を読み取ることは、オレにはできなかった。
男は、しばらくの間オレの頭から爪先までを観察し、そして静かに言った。
「それなら丁度いい。君にひとつ良いことを教えてやろう…」
御者の男は突然、長く逞しい腕を伸ばしてオレの体を自分の方へ引き寄せ、オレと肩を組んだ。
『灰色の巨大な獣に捕獲された!』
思わずそう錯覚するほどの、圧倒的な力の差だった。
急に初対面の相手に、町の路上で肩を組まれたオレは、思わず男の顔を見る。男の頭の後ろで無造作に束ねられた長い金髪から、コロンのように強烈な『男の匂い』が薫る。しかし、結局オレは、男の顔を見ただけで何も言えなかった。そもそも、この男がしたことは、ただ『オレと仲良く肩を組んだ』だけなので、オレには男の行動に対して抗おうとか、離れようとかいう気持ちが起こりにくい。
オレと肩を組んで密着した男は、ヒソヒソ声でオレの耳元に語りかける。
「…君にひとつ情報をやろう。この街では、金よりも腕力よりも、確かな情報を持ってる奴が生き残るんだ。昨日、迷惑かけたお詫びと言っちゃなんだが、受け取ってほしい…」
灰色の男はオレの耳元にそう囁きかけながら、オレと肩を組んだまま歩き出した。大柄な男に肩を組まれて自由に動けないオレは、腹話術の人形のように男の歩く方向に着いていくしかない。
灰色の男は、そのまま一つの小径の前にオレを案内した。
その小径を肩を組んでない方の白手袋をはめた手で指差しながら、灰色の男はこう言った。
「…この小径をまっすぐ歩いて行ったら、道の突き当りに『レッドホイール』って店がある。昼間っから冒険者が屯してる、どこの街にでもあるような酒場だ。そこには、この街の全ての情報が集まってくる。酒場の中に、ドワーフの『バラガン』って奴がいる。情報屋だ。ギルドの仕事のことについて聞いてみるといい。人見知りな奴だが、キッドの紹介だって言や一発さ」
そう言いながら、キッドと名乗った灰色の男は、笑顔でオレにウィンクをしてくる。
『親しげに肩を組んで至近距離でウィンク』という、ほかの男がやったとしたら逆に反感を買うような行為も、この男がやるとごく自然な行為に思える。
しかし、分からないことがある。
「なぜ、酒場で情報を?」
オレの素朴な疑問に対して、
「情報は普通、酒場で仕入れるもんだろ?」
と、男の方はキョトンとした顔をする。
…オレがおかしいのだろうか?それとも、この世界では情報が欲しければ、まず酒場を当たるのが常識なのだろうか。
「…その前に、オレ行きたいとこがあって。ブライドル市役所って場所分かります?」
キッドと名乗った男は、ますます顔をキョトンとさせる。次いで、灰色のハットを手で抑えて、かぁーっ、と呆れたような声を出した。
「…君の住んでたとこじゃ知らないが、この町じゃ陸ガメみたいに対応の遅い市役所を頼る前に、自分の足とコネで情報を探すもんだ。常識なんだぜ?そのくらい…」
キッドは、オレをたしなめるように言った。
いつの間にか、キッドは火の着いていないタバコを口の端に咥えている。
「そうなんですか?」とオレが聞くと、
「そうだよ」という返答が間髪入れずに返ってきた。
キッドからの返答のタイミングが絶妙すぎて、オレは二の句が継げない。
「その辺のやつに聞いて市役所を探すのもいいが、その前にまずは騙されたと思って酒場へ行け。行ってみてから、改めてドワーフに市役所の道を聞けばいい」
そう言うと、キッドはオレと組んでいた肩をほどき、トンッ…とオレの背中を酒場のある小径の方へ、白手袋の二本指で軽く押した。背中を押されたオレは小径の方へ、トトト…っと二、三歩足を踏み入れる。
なんだか、ただ背中を押されただけではなく、男の白手袋の指からなにか抗いがたい指向性を持つ力が発されて、勝手にオレの両足を前に動かしたような。
「…それと、ドワーフと話すときは、『タメ口』で話すのも忘れんなよ!ドワーフは誇り高き種族だ。話すとき変に遠慮して怒らせたら鉄拳が飛ぶぞ!」
キッドの声が聞こえてオレが振り向いた時には、オレに向かって背中越しに片手を挙げながら、その大きな背中が町の雑踏の中に紛れていくところだった。町の目抜き通りの群衆の中にかき消されるように、キッドの灰色の大きな背中は、あっという間もなくオレの視界から姿を消した。
キッドと別れた後。
オレはしばらくの間、キツネに抓まれたような気持ちでいた。ともすれば、今なにが起こったのか、今誰と話していたのかさえ忘れそうになる。今となっては、オレの両肩に残ったキッドの残り香だけが、『キッド』という男がこの世に存在した唯一の証明のように、オレには思えた。
キッドという男には、『実際に会っている時には印象的な男だが、一旦離れてしまうとどういう男だったか分からなくなってしまう』というような、そういう不思議な印象があった。
オレが初めて出会うタイプの男だった。
「…情報を仕入れるには、まず酒場…か」
結局オレは、キッドの言う通りにレッドホイールという酒場に向かうことにした。キッドの言う通り、酒場でなんの情報も得られなければ、そこにいるバラガンという『ドワーフ』に市役所の場所を聞けばいいのだ…
六ノ〆、
…キッドに教えられた小径の中へ、狩野はまるで暗示にかけられているようにふらふらと入っていく。そんな狩野の後ろ姿を、火の着いていない烟草を咥えた灰色の男が、町の雑踏の中で振り返りながらニヤニヤと眺めている。
灰色の男を、通りを歩く町の人々は男の存在がまるで見えていないかのように、無視している。
大柄な灰色の男は、町の人々でごった返す午後の目抜き通りの、その『ど真ん中』に立っているというのに。
そして、まるで灰色の男を無視しているのにも関わらず人々は、男の周囲を大きく迂回して、遠回りしながら歩いていく。
通りを歩く町の人々は、誰ひとりとして、それをおかしなことだと認識できてすらいない。
灰色の男は、口の端に咥えていた火の着いていない烟草を白手袋をした右手の指の間に挟み、その灰色の覆面の顔に唇の端が捲り上がった歪んだ笑みを浮かべて、町の雑踏の中で一人つぶやいた。
「さぁて、あの『来訪者』は、どんなトラブルの花を咲かせてくれるのやら…」
雑踏の中で灰色の男が意地悪くニヤニヤ哂いながらつぶやいた声も、通りを歩く町の人々の耳には届いていない。
そして、灰色の男は、町の人々の流れにかき消されるように、まるで陽炎のように、スタールストリートの路上から姿を消した。
『異世界リサイクル_廃棄物召喚で持続可能な異世界ライフ』
第一部 おっさん転生(転移?)の巻 その六
了
To Be Continued.⇒Next episode.
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