四、もし自分が異世界に行ったら。
四の序、
生き延びて、壊れたクロスカブを再び、
必ず復活させる。
そのためにまず、
オレ自身がこの“荒野”を生き延びねば。
四、
太陽が、かなり西に傾いてしまっている。
もう、間もなく日暮れに差し掛かろうとしている。
地平線の上に引っ掛かっている太陽が投げつける今日最後の熱と、熱された砂の荒野を歩き続ける疲労感で頭が回らず、オレは無感情なまま、惰性で右左の足を交互に前に進める。朧な頭の中に浮かぶ一つの考えのもとに、オレはとにかく歩き続けた。
さっき、サボテンの水を飲んでいる時に見つけた、遠くの方で赤い砂混じりの風がずっと一方向に吹き続けている場所。そこを目指して、オレは歩いている。
そして、歩いていく途中で見つけた地面に残された『痕跡』が、『この方角で間違いない』とオレに確信をもたらす。固くて赤い土の上に引かれた4本の線。そして、Uの字型の地面のくぼみ。
つまり、『4本の轍と動物の蹄の跡』だ。
赤い荒野の地面に刻まれた『轍』の跡を辿り、オレはひたすら歩き続ける。
轍の跡を辿ったオレは、平たくて巨大な『一枚岩』に辿り着いた。その一枚岩は、高さはそこまでじゃないが、呆れるほどに長大な『横幅』が地平線の彼方まで続いている。なんとなく、元々は地中にあった巨大な岩盤が、地表に『せり出してきた』。そんな印象の地形である。
「…………デカ」
呆れるほどに巨大すぎる一枚岩の迫力に、オレは思わず独りごちる。多分横幅だけなら、エアーズロックよりも大きいだろう。轍の跡は、その長大な一枚岩の一角に、ぽっかりと口を開いた大きな『渓谷』の中に続いている。
長大な一枚岩の中に、ひび割れのように切り立つ『渓谷』の内側は、日中でも常に日陰になっているようだ。今、オレが立っている渓谷入り口の日向の暑い方に向かって、渓谷内部の日陰からは冷たい風が吹いてくる。
熱と赤い砂を含んだ風ではなく、この世界についてから初めて感じる『清涼な風』は、荒野を歩き続けてきたオレの目に、再び生気を取り戻させた。
「…渓谷の中を『風が通り抜けている』…ってことは。この渓谷は、岩山の『向こう側』まで通じてる…ってこと、だよな」
渓谷の奥からオレが今立っている荒野の方へ向けて、常に一方向に風が吹いている。渓谷内部の日陰の部分と、日中は常に太陽に熱されている荒野の平原部分との気温差のせいだろうか。
暑い場所から急に涼しい場所に入ったことで体にかいていた汗は乾き、オレの肌は少し冷え初めていた。オレは、腰に結んでいた藍色の作業ツナギを解いて袖に腕を通し、ツナギ前面のジッパーをジッ…と上げる。
「…さぁ、行こうか」
そう、独りごちると、オレは渓谷の中に足を踏み込んだ。
作業ツナギの腰回りに溜まった汗が少し冷たいが、防寒具を『召喚』しなければいけない程ではなかった。この岩山の渓谷が、どれだけ続くのか。渓谷を抜けた先が、一体どうなっているのか。それが分からない以上、相変わらずMPを浪費できないという状況に変わりはないのだ。
その渓谷の内部には、明らかな『痕跡』があった。
岩山の中に自然にできた渓谷の岩壁を削って広げ、さらに、削った岩壁の表面が崩れないようにコーティング加工したような痕跡。
渓谷の真ん中には、大きくて硬くて平たい石が敷き詰められた人工的な石畳の路面。その両脇には、砂利や土を押し固めて均された平らな路面。その外側にある、幅広く浅い排水用の溝。
そして、人工的な石畳の路面の上に残る、荒野の赤い土でスタンプされた4本の轍と蹄の跡。明らかに馬車が通った跡だ。蹄の跡は昨日か今日ついたように、まだ新しい。
それらの痕跡は、この渓谷が『人が整備して、内部に馬車を通れるようにした街道』である、ということを示していた。
つまり、この渓谷の街道を辿って行けば、その先に『人里がある』ということだ。
明らかな手がかりを見つけ出したオレは、水筒代わりに採っておいたサボテンの赤い果肉を齧りながら、揚々と渓谷の道を歩き出した。
+++
「…なんだ、『音』…?」
両側を岩壁で囲まれた渓谷の街道内に、壁を伝わって音響が響いてくる。こっちに近づいてくる。方向は後方、荒野の方からだ。
ドドド…ッ、という継続的な地響きのような音。
巨大な生き物が、さらに巨大な車を牽いているような腹に響く音。
その音は、だんだんはっきりと聞こえてくる。こちらに近付いてくる。渓谷の街道は一本道だ。接続金具の立てるガチャガチャという金属音。ハーッ!という駆り立てるような男の声。もう間違いないだろう。人が乗って操る『馬車』の音だ!
「…ッ!おーい!止まってくれー!!」
『音』の方向に向かって、オレは大声を出した。
口の両脇にメガホンのように手のひらを添えて、岩壁の音響に負けないように、オレは声を振り絞って助けを求める。
馬車の姿はまだ見えないが、チラチラと岩壁に反射している『灯り』が見えた。渓谷の街道の中は薄暗いので、おそらく『ランプ』をつけて走っているのだろう。壁に反射する灯りの位置からして、すぐそこのカーブの向こうくらいを馬車は走っているようだ。
「おーい!止まってくれー!!道に迷ったんだ!おーい!」
オレは街道の真ん中に立って両手を振り、大声で呼びかける。一人きりで荒野を彷徨ったオレには、その馬車のランプの灯りは、大げさではなく希望の光に見える。
やがて、カーブの向こうから渓谷の中を駆けてくる黒くて大きな箱馬車の本体が現れた。ジョン・フォード監督の映画『駅馬車』に出てくるような、たくさんの荷物を天井に載せた、黒く塗装された大きくて頑丈そうな箱型の馬車。力強く馬車を引く巨大な二頭の黒馬達。その馬体は黒王号や松風ぐらい桁外れにデカい。御者が身に着けている灰色の外套と、口元に巻いている砂よけの襟巻き(スカーフ)の赤い色がはっきり見えるところまで箱馬車は近付いている。おそらく、御者の方にもオレの姿は見えているだろう。
その箱馬車の御者は、道の上に立つオレの姿を確認した瞬間、口元を覆う赤い襟巻き(スカーフ)の位置を片手で直した。そして、もう片方の手で手綱を操りながら襟巻き(スカーフ)を直した方の手で御者席の脇にあった細長い革製の鞭を握り、その鞭で馬車を牽く二頭の馬のケツを思い切りぶっ叩いた。
突然ケツを叩かれた二頭の黒い馬車馬は、鼻息も荒く街道の真ん中に立つオレ目掛けて、まっすぐに突っ込んできた。
「っく!?うおぉっ!」
オレは、現実には滅多に使わないはずのベタな叫び声を上げて、横っ飛びに箱馬車を避ける。
オレの体がまだ空中にある間に、二頭引きの黒くてゴツい箱馬車は、さっきまでオレが立っていた場所を通過していく。もし、その場に留まっていたら轢かれていただろう。
生まれて初めての必死の空中ジャンプのさなか、オレが見たものは…
二頭の巨大な黒い馬車馬の、獰猛ささえ感じる脚の動き。鞭を持ったまま、手綱を素早く両手で操る御者の正確な手捌き。御者が身に纏う灰色の外套、灰色の下服、灰色の鍔広帽。そして、風でめくれた赤い襟巻き(スカーフ)の下でオレを嘲笑う御者の、異様に捲り上がった頬の肉皮と、目元だけを覆う灰色の布の覆面…
ズザザァ、という重たくて固い音を発しながら、腹を下にして両手両足を突っ張りカエルのように伏して着地した俺の体は、硬い石と土で舗装された路面の上に、右腕を中心に半円を描きながら滑って止まる。危うく、自分から全力で岩壁に激突する所だった。
「ハーッ!」
オレを嘲笑った全身灰色の御者は、人ひとり轢きかけたことをなんとも思っていないかのように、二頭の黒い馬車馬にもう一発ずつ鞭をくれて、あっという間に走り去っていった。
すべてが一瞬の、スローモーションのような出来事だった。
「いつつ…」
立ち上がりながら、オレは思わず痛みに顔をしかめた。36歳で本気の『横っ飛び』はかなりきつい。我ながらよく咄嗟に反応できたものだ。
オレは一番痛い右腕を触って、怪我の具合を確かめる。骨は折れてなさそうだが作業着が肘のところで破れて、生々しい擦り傷から血が滲んでいる。
藍色の作業着はあちこち土と砂と埃にまみれ、もはや元が何色だったのかもわからない。両膝も破れて、膝頭にも擦り傷ができていた。
まだ、なにが起こったのかよく把握できない。
…ひょっとして轢かれかけたのか、オレ?
…無人の荒野で事故って横転した時はほぼ無傷だったのに、人が作った街道の中で人が操る馬車に轢かれかけたのか、オレ…
渓谷の奥を見れば、先程オレを轢きかけた巨大な黒馬二頭引きの箱馬車は、ランプの光の軌跡を残して遥か前方に走り去っていく。
その、恐ろしいほどの加速の速さ。
「ちょ、待ってくれ!!」
オレは、箱馬車の後を追って、慌てて駆け出した。たった今轢かれかけておいて奇妙だが、他に人里へ向かう術を持たない今のオレには、あの箱馬車の後を追いかける以外に選択肢はないのだった。
+++
異世界で馬車に轢き逃げされたオレは、黙々と渓谷の街道を歩いている。
怪我の痛みはあの後すぐになくなったし、傷口の血ももう止まった。しかし、オレは『異世界人の馬車に轢き逃げされる』という、異世界モノのセオリーにもないようなレアすぎる状況をまだ受け止められずにいる。…こういう場合、普通ならオレがさっきの黒い箱馬車に助けられて、乗ってた灰色の御者が最初の仲間になるパターンなんじゃないのか?優しくない世界にも程がないか?
トボトボと、オレは渓谷の中の一本道の街道を歩き続ける。すでに日は暮れているらしく、周囲は真っ暗で何も見えないので、キャンプ用品の『電気ランプ』を召喚して灯りを点けた。これでまた少し、MPを消費することにはなるものの、真っ暗な渓谷の夜道を歩いている時の“手元の灯り”は心強くオレを励ましてくれた。
「…馬車がこの道を通るってことは、この道の先に街がある、…ってことだよな多分」
今の状況の前向きな面をオレは無理矢理見つけ出して、オレは自分自身の心とこの状況に、なんとか折り合いをつけた。
手元の電気ランプで照らし出される、渓谷の街道の暗い道を歩きながら、『さっきの馬車はなぜオレを轢こうとしたのか?』をオレは考えている。
オレは、所謂異世界モノの漫画を読む、という趣味を持っている。
もちろん、オレは『もし自分が異世界に行ったら、どうするか』ということを考えたことがある。むしろ、異世界モノマンガを読む度にいつも考えていた、と言っても過言ではない。オレがこの世界に来て最初に「メニューオープン」と言えたのも、こうしたイメージトレーニングの賜物だろう。
オレが思うに、異世界に行ったら、まず最初に『そこがどんな世界なのか?』を見極める必要がある。オレを轢きかけたあの御者を、もう一度見つけ出すことはおそらく難しいだろうが、この世界を理解する上で『あいつは、なぜオレを轢き逃げしたのか?』を考えておいた方がいいとオレは思う。今後、同じ行動を取る者が他にも現れないとも限らないからだ。
召喚した電気ランプが照らす光をじっと見つめて、暗闇の中を歩きながらオレは思考を続ける。
「馬車で道の上から呼びかける人を轢かなければならない理由、いやむしろ『走っている馬車を止められない理由』があるのだとしたら…」
理由その1、出会い頭なので止まれなかった。
理由その2、そもそも止まる気がない。
1はあり得る。結果として“ひき逃げ”になってしまってはいるが。
問題は、もし2の方だとしたら…
「…盗賊、だと勘違いされた…かな?」
オレは口に出して言ってみて、その考えの信憑性を検証してみた。十分に有り得そうな話だと、オレには思える。悪者が突然道の上に飛び出して、走っている馬車を止め、金品や乗客を馬車ごと強奪する。昔の西部劇映画で、そんなシーンを見たことがある気がする。
それに、ここは異世界だ。
もしかしたら、中世みたいに法律なんて、“ほぼ無い”世界なのかもしれない。だとしたらオレは、これから自分で自分の身を護れるようにならなければならない。
この世界がオレにとって『優しくない世界』なのは、もうすでに証明済みなのだから。
渓谷の街道をくぐり抜けて、開けた林の中に出る頃には、とっぷりと日が暮れていた。周囲は薄明るい月と星の光でうっすら照らし出されている。今夜は満月のようだ。
「この世界にも『月』はある…か」
異世界モノのマンガを見ていてオレは時々思うのだが、どの異世界にも必ず『夜の月』が存在する。個数が多かったり、やたらデカかったりと色々パターンはあるが、オレの知る限りだと、どの異世界モノにも必ず夜の月が出てきた。
何故だろう、どの世界にも夜の月が必ず存在する理由…。
「…うん、分からん」
ちょっと考えた後で、オレはそう独りごちた。
そんなの考えたって分かるわけない。今のオレに重要なのは『夜の月のおかげで暗い夜道でも多少は歩きやすい』ということだ。
そして、最も重要なことは、林の向こうの月の光に照らされる先に『地上からの光』が見えている、ということだ。この世界に来て初めて見る『街の灯り』の光である。オレは、安心感で思わず泣きそうになるのをなんとか堪えた。まだ、安心はできない。街の灯りはまだ遠いし、この世界はオレに優しくない世界なのだから。
…やれやれ、だ。
オレは、心のなかで最強だと信じる人の言葉をマネをする。
自分の顔から『曖昧な笑み』を消し、具体的な目標に向かうときの『真剣な表情』に変え、自分の中のギアを切り替える。
そしてオレは、丈の低い草が生えた平原の道を地上の光に向かって歩いていった。
四の〆、
丈の短い草が生えた平原の街道を通り抜けて、オレは大きな木製の門のある町の入口に辿り着いた。頑丈な木製の門扉の高さは10メートル程で、門と一体化した壁の横幅も左右にだいぶ広い。
オレが手に持つ電気ライトで照らしてみると、分厚い木製の壁がそそり立つ左右の大きな岩山の方までずっと続いている。まさにファンタジー世界によく出てくる『自然地形を利用した木製の堅牢な門』、という感じがした。
大きな木製の板を、さらに鉄板の接合部品と分厚い鉄釘で補強した頑丈な門扉には、内部から閂がかかっていて、力いっぱい押してもビクともしない。この町では、日が暮れると門に閂をかけてしまうらしい。
「開けてください、道に迷ったんです!開けてください!」
大きく頑丈な門を叩きながら、オレは内部に必死に呼びかける。大きな木製の門は、思い切り叩くオレの拳を弾き返すほど、分厚く頑丈だった。いくら門を叩いても、門の分厚い材質に吸収され、思ったほど大きな音が出せない。門に使われている板と板の間には1ミリの隙間もなく、金具もズレることなくしっかりと固定してある。こんな時だが、とんでもない匠の技に感心してしまいそうになる。とにかく、叩いてダメなら大声を出すしかない。
「開けてください、道に迷ったんです!開けてください!」
「…なにやってんのニイチャン。こんな夜遅くに」
どこからか、男性の声が聞こえてくる。
声が聞こえてきた方向を見れば、大きな門の一部に太い鉄格子が嵌まった小さくて頑丈な窓があり、そこからランプの灯りが漏れていた。オレの大声を聞きつけて、門番の方が来てくれたらしい。鉄格子の隙間から見える顔は、驚きつつも優しげな口調のオレよりだいぶ年上のおじさんの顔だった。
「夕方になると、ここの門は締まるよ。ニイチャン知らなかったの?」
オレの格好を見た門番のおじさんは、少し警戒するように話しかけてきた。土埃だらけの破れた作業ツナギを着たオレの姿を見て、町の人間ではないと踏んだのだろう。
「道に迷ったんです。急に荒野に放り出されてて…」
鉄格子の窓のすぐ前に移動して、オレは状況を説明しようとした。急に大声を出したので、喉が枯れて咳き込むオレに、おじさんが金属製の水筒を渡そうとしてくれた。だが、鉄格子の隙間が狭かったため、おじさんは諦めた。
「…とにかく、この門は、御法で朝まで開けられないから。…ニイチャン水とか食料は持っているの?」
オレの必死さに気付いたおじさんは、先程よりも優しく語りかけた。オレのことを、盗賊かなんかに襲われた旅人だと思ったのかもしれない。
「食料がありません。水はさっき荒野で取ってきたサボテンの花が少々…」
ツナギのポケットから取り出した、少し萎れかけている赤いサボテンの花を見たおじさんの目が大きく見開かれる。この辺りにサボテンは生えていない。サボテンの花を見て、おじさんは、オレが遠くから来たことを察したのだろう。
「…これは、大変なところから…」
ちょっと待ってて、と言いながらおじさんは、門の鉄格子の窓から離れ、そばの掘っ立て小屋の中に走り込む。掘っ建て小屋の中から、すぐに戻ってきたおじさんの手には、火の着いた細い松明と紙の包みが握られていた。
「…とにかく今夜のところは、これで暖を取りなさい。これ、ワシの夜食だけど、いくつか持ちなさい」
言いながらおじさんは、油脂を染み込ませた古布を先端に巻き着火した細い松明と、包みから出した燻製肉を、門の鉄格子の隙間から差し込んでくれた。隙間が狭くて、おじさんのゴツい指に抓まれた燻製肉が、鉄格子に挟まりグニャリと変形する。
「あ、有難うございます!」
松明と燻製肉を受け取りながら、オレはおじさんにお礼を言う。手に持つ松明の灯りの暖かさが、オレの体にしみてきて、少し体の力が戻ったようにも感じられた。
「ワシは、朝まで小屋にいるから、なんかあったら呼びなさい。気を付けろ、ここらの夜は寒いぞ」
その後、おじさんは小屋から小さなロウソクをニ、三本持ってきてオレに渡し、オレにいくつかの注意点を説明した後で、両腕の肘を手でこすりながら寒そうに掘っ建て小屋の中へ入っていった。
「さ、寒ッ…!」
平野を渡る夜風が、オレの体に容赦なく吹き付ける。
オレはキャンプ用品の『一斗缶』を召喚して、その中に落ちていた枯れ枝を入れ、門番のおじさんからもらった松明の火で着火しようと試みる。その辺に落ちているものを拾っただけの枯れ枝は、その表面に水気を含んでおり、なかなか火が着かない。おじさんにもらったロウソクを着火剤代わりに何度もトライ・アンド・エラーを繰り返し、オレはやっとのことで一斗缶の中の枯れ枝に着火させることができた。平野を渡る夜の風は冷たく厳しく、直火で暖を取らなければ命に関わる。
丈の低い草の生えた夜の平野の中で、一斗缶の焚き火に当たりながら、オレはおじさんに貰った分厚い燻製肉を木の枝の串に刺して火で炙る。肉が焼けるいい匂いが周囲に立ち込め、空腹を思い出したオレの腹がぐぅぅ…と鳴った。
「う、旨い…」
おじさんから貰った燻製肉を少しずつ齧りながら、オレは言った。
上手な人が作ったらしい燻製肉は、表面に薄く塩が利いており、一つ齧るごとに内部の旨味が染み出してくる。口の中に溜まった旨味を唾液ごとゴクンと嚥下し、サボテンの果汁で流し込む。夜気に当たって冷えたサボテンの中の果汁が、オレの喉を冷たく潤していく。サボテンの果汁を最後の一滴まで絞り切り、残った果肉を皮ごと火で炙って食べてみた。炙ったサボテンの果肉は、冬瓜の入った薄いスープみたいな味がした。
「改めて考えると、すごいシチュエーションだな」
おじさんから貰った松明と、燻製肉と、サボテンの果肉のお陰で活力を取り戻したオレは、大きなため息の後でつぶやいた。
「異世界で、冒険した日の夜に、焚き火で炙った干し肉を齧る、か…。そういうの、中学の授業中よく想像したっけな」
目の前で燃える一斗缶の火を見ながら、中学の頃を思い出した。こういう状況に、だいたいの中学生は憧れるものだろう。しかし、いまのオレには断言できる。憧れるのはやめとけ、と。
一斗缶の中の火は勢いよく燃えている。おじさんからの注意点の中に、『森や林の中で火を焚かないこと』と言うのがあるので、今オレは門の前の風が吹きさらしになっている場所で、一斗缶の火に当たりながら地面に座っている。夜風は相変わらず冷たいが、直火で十分に体は温まってきた。
「…メニューオープン」
オレは、小声でつぶやく。
燃える火に向かって伸ばした手のひらの前に、ブンッという電子的な音とともに、黒いメニュー画面が現れる。
ステータスのMPを確認すると、残りMPは80。
テントと寝袋と防寒着を召喚する前に、一斗缶と電気ランプをまとめて『帰還』させるべきか考えた。『召喚状態を維持し続けるかぎり、その召喚物の召喚MPは回復しない』。しかし、『帰還させるのにも、召喚と同量のMPがかかる』。
結局、オレはすでに召喚していた召喚物達は帰還させずに、『折りたたみテント』、『寝袋』、『DAIWA釣り用防寒ウェア』を新たに召喚することにした。もしかしたら、夜の間にもう一度『灯り』が必要な事態が起こるかもしれない。
一斗缶の火を土を被せて消し、まだ予熱の残る一斗缶をテントの中に入れる。出入り口ジッパーをしっかりと閉めると、一斗缶の予熱でテント内が少しだけ暖かくなった。テント内が暖かい内に、急いで防寒着を身にまとい寝袋に潜り込む。
ポリエステル製テントの薄いの床の上に横になったオレは、もう一度メニュー画面を確認した。あれだけの目にあったにも関わらず、HPの価は減ってはいなかった。しかし、MPは最大値の3分の1以下に減っている。
「…寝たら、MP回復するのか?」
考えても答えは出ないので、オレは寝ることにした。目を閉じると、今日見た様々なものが瞼の裏に浮かび上がる。
クロスカブ。赤い荒野。猿達。黒イノシシ。赤いサボテンの花。
渓谷の街道。箱馬車。獰猛な二頭の黒い馬車馬達。灰色の鍔広帽、灰色の外套、赤い襟巻き(スカーフ)の御者の嘲笑。
そして、大きくて頑丈な門と、鉄格子の窓から松明と干し肉をくれた門番のおじさん。
朝になれば、改めてさっきのおじさんにお礼を言おう。
そう思いながら、オレはテントの中で寝袋にくるまり眠りについた。
『異世界リサイクル_廃棄物召喚で持続可能な異世界ライフ』
第一部 おっさん転生(転移?)の巻 その四
了
To Be Continued.⇒Next episode.
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