二、たいていの機械は直せば使える。
ニノ序、
翌月から、オレは自分が仕事で片付けたアパートの部屋に住み始めた。廃品買い取りの件で、依頼人との間に多少色々あったが、仕事はつつがなく遂行し、幾ばくかの利益とリサイクル可能な物品の数々を得られた。その後も、不動産屋の社長から何件か仕事を振って頂いた。
嬉しかったのは、社長は、結構オレのことを考えてくれているということだった。社長が、日曜日のゴルフで新しく知り合った地主さんが所有する元鉄工所だった建物を、物品リサイクルの作業場として使わないかと言ってくれたのだ。
社長に薦められた元鉄工所は、新しい住居から車で15分ほどのところにあり、敷地も十分広いので駐車場代わりにもなる。年季の入った建物は、長年借り手もなく放置されていたこともあり、月々家賃15,000円で良いという。今までは、近所の解体屋さんの敷地をお借りして作業していたので、肩身の狭い思いをしていたのでこれは助かる。
持つべきものはコネである。この世の色々なことは、実はコネだけでなんとかなるのだ。
あとの問題は、元鉄工所を作業場兼駐車場にするならば、現在の住居との往復の足をどうするかだ。
二、
「本当に処分して宜しいんですか?」
オレは思わず依頼人に確認してしまう。依頼人は高齢の女性で、件の不動産屋の社長から紹介された人物である。
社長に教えられた住所は郊外にあり、着いてみると、広い庭と畑付きの古い平屋のお宅だった。
依頼人はその家で一人暮らしをしており、自分が生きているうちに不用品の処分をしたいと考えているらしい。縁側に座る老婦人は、庭に置いてあるものを示しながら言った。
「…息子が使っていたものなんですけど、エンジンが掛からなくて。息子も自分の車があるからバイクはいらないと申しておりますし、何年も放ったらかしにするより、この際処分してしまおうかと」
ゆっくりとした口調で、柔らかく微笑みながら老婦人は説明する。
「なるほど…」
老婦人に聞き取り易いように、オレもゆっくり喋る。
今、オレの目の前には一台の原動機付自転車がある。一般に原付と呼ばれるやつで、厳密に言うとバイクではないのだが、老婦人から見ればバイクみたいなものなのだろう。
物は、HONDAクロスカブ110。
鮮やかな黄色のボディに黒字で『HONDA』の社名ロゴが斜めに入っているおしゃれな車体だ。
アメフトのヘルメットのような特徴的なヘッドライトガードも、ボディと同じ黄色で塗装されており、この車体をデザインした人の強いこだわりを感じさせる。
ゴツゴツしたタイヤに、これもまた、おしゃれなスリットの入ったマフラーガード。
110ccなので、第二種原動機付自転車に相当する。法定最高時速は時速60キロまでで、原付二種用の運転免許か、バイクの運転免許がなければ運転できない原動機付自転車である。オレは、バイクの免許を持っているので運転できる。
発売当初から気になってはいたのだが、すでに車持ちの社会人だったオレは、諸々考えて買うのを断念したのだった。
「…それで、処分費用はおいくらかしら?結構大きいバイクだけど。いくらお支払いすればいいのかしら?」
老婦人は微笑みながらオレに質問してくる。
「あっ費用の方は大丈夫です。見たところ状態もいいですし、部品があれば直してまた乗れるかもしれません」
車体の色々なところを触りながら、オレは老婦人に説明する。エンジンが掛からないのはバッテリー切れか、電気系統の配線が切れているのかは分からないが、見たところエンジン部分に大きな損傷はない。フレームとエンジンさえ無事なら、部品の交換だけでまた乗れるようになるかもしれない。
「…そうですか。それでしたら、もしよろしければ、そちらの方で引き取って頂けませんでしょうか」
オレは、自動二輪車と原動機付自転車の古物商許可を取得しており、もちろんお客様からの買い取りも承っている。
「承知しました。それでは、買い取りの方のお見積りに少々お時間を頂きます」
「お見積りって、やっぱり処分の費用がかかるの?」
品のいい老婦人は、少し心配そうに聞いてくる。
二人の間で、少し話が食い違っている。老婦人は、物の処分には必ず費用がかかるもの、と思っているらしい。
「いえいえ、このお品をお見積りして、こちらが買い取りを致します。ただ、なにぶん長い間エンジンをかけていない機体になりますので、買取価格は元値よりだいぶお安くはなりますが…」
老婦人はまだ、理解が追いついていないようで、あらあらまあまあと戸惑っている。エンジンのかからなくなったバイクが売り物になるとは、思わなかったのだろう。お年寄りで乗り物に詳しくない人なら無理もないことだと、オレは思う。
「いいのかしら、エンジンも掛からないし、ペンキも剥がれちゃっていますけど…」
老婦人は塗装のことをペンキと呼ぶ人のようだ。老婦人の素朴な物言いとあけすけな感じに好感を持ち、仕事中にしてはめずらしく、オレは微笑む。
「たいていの機械は直せば使えるんです。ペンキも塗り直せばいいし、なんなら直して私が乗りたいくらいです」
「…なら、そうしてくださる?」
そう言うと、老婦人は、よいしょ…と声に出しながら、動作を何段階にも分けて座っていた縁側から立ち上がった。オレは、一瞬老婦人が言った言葉の意味が分からず、少しの間思考が停止した。老婦人からの話が急すぎて、今度はオレがついていけなくなる番だった。
そうしてくださる、とは、オレにこの原付をくれるっていう意味だろうか。HONDAクロスカブ110を?
「…お茶を持ってきますから。待っててくださる?」
そう言い残して、老婦人は居間の向こうにある台所の暖簾をくぐっていった。
台所から戻って来た老婦人は、二人分のお茶と、ブルボンルマンドの個包装が載っている木皿を持ってきてくれた。ルマンドは子供の頃からのオレの大好物である。丁度いい甘さとサクサク感が好きなのに、なぜか買い物の時に買い忘れてしまうので、こうやって人の家でお茶請けに出されると嬉しくなる。
「…主人が亡くなってからも、榎田さんにはお世話になってましてねぇ。息子のバイクを処分したいんだけど良い人いないですかって相談したら、貴方のことを紹介されたんですのよ」
縁側に座って優しげに微笑みながら、老婦人は説明してくれた。
ちなみに榎田さんは、不動産屋の社長の名前である。やはり金持ちのコネはいい。直接的に仕事につながる。
「榎田社長には、私もいつもお世話になっています」
オレが言うと、老婦人の微笑みが大きくなる。
「…えぇ、えぇ。あの方、面倒見が良い方でしょ。主人が亡くなったお葬式の時も色々教えてくださって、息子が大学の時借りてたアパートも、あの方のお知り合いからの紹介でしたのよ。釣りが好きな方でねぇ。主人ともよく連れ立って…。貴方、釣りなさる?」
老婦人はテンションが上がると、少し話の内容がジャンプしてしまう人のようだ。オレのばあちゃんもこんな話し方をする人だ。
「釣り、ですか。学生時代にやってました。もう10何年も前の話になりますが」
老婦人の話に相槌を打ちながら、オレは頭の中で別のことを考えている。より正確には、頭の中の半分は老婦人の会話、もう半分は今日手に入れたHONDAクロスカブ110の修理の段取りについて考えを巡らせている。妄想と現実に分けて、右脳と左脳を使い分ける感じだ。実際はそんなにはっきりと分かれている訳ではないのだろうが。
「…それは、丁度いいわね。見て頂きたいものがあるんですのよ」
なにが丁度いいのかは分からないが、老婦人は縁側の踏み石の上に置かれていたつっかけを履き、庭の隅にある物置の方に歩いていく。
何をするのかは分からないが、この家の家主が行くならオレも着いていくしかないようだ。
老婦人宅の物置は扉の桟が錆びていて、開けるのになかなかコツがいった。老婦人では力が足りないので、途中からオレが代わり、なんとか開くのに成功する。
「…これ、息子は開けられませんのよ。私は非力だし、主人はもういませんから、開けられるのは貴方だけね」
そう言いながら老婦人は微笑む。なにやら、とても楽しいと思っているような感じだ。何が楽しいのかはオレには分からないが、老婦人が楽しんでくれるなら、それでいい。
見ていると、オレが開けたちょっとの隙間に老婦人はスルスルと入って行った。
「気を付けてください。錆びてるんで!」
そういうオレの声が聞こえないかのように、老婦人は倉庫の中であれやこれやと、吟味している様子だ。内部が暗いのと、扉が3分の1しか開かないのとで倉庫の中はよく見えない。でも、なにやらダンボールのようなものが倉庫の奥に重ねられているようだ。
「…すみませんが、もう少し開けてくださる?」
老婦人からの品の良いお願いに、オレは渾身の力を振り絞り、ガッガガガッという音を響かせやっと扉を半分ほど開けることができた。おそらくこれが限界だろう。
「…あらあら、力の強いこと」
老婦人が楽しそうに笑いながら、小さなダンボールをオレに差し出してきた。
「…私には、これしか持てないけど、もし宜しければ中のも差し上げるわ」
老婦人に言われてダンボールを開けると、その中にはさらに箱が入っており、釣りに使うリールが入っていた。リールは少し古びてはいるが、十分に使えそうだ。釣りの道具に詳しくはないが、黒い箱にはEXISTという文字が書いてある。
たしか、釣りのリールって結構高かったような。オレがうろ覚えでそんなことを考えていると、老婦人に声をかけられた。
「…生前、主人の釣り好きには、かなり泣かされましたのよ。季節が変わるたびに、イカだのチヌだのよく釣りに行ってましたのよ」
泣かされたと言う割に、老婦人は楽しそうに亡くなったご主人の思い出を話している。
「…ここにある主人の釣り道具全部、貴方にあげるわ。はーこれで清々した」
老婦人は、今までで一番元気よく言うと、少し背伸びをした。肩と腰を伸ばすのがつらいらしく、脇の下を開いてつま先立ちしたような体勢にしかならなかったが、老婦人は最初より少しだけ元気になったように見える。
「頂いて宜しいんですか?」
オレからの問いかけに対して、老婦人は、
「…運び出し終わったら、また閉めておいてね」
と言いおいて、冷めてしまったお茶を注ぎ直すために、また台所に向かって歩いていった。
頂いた品々をトラックの荷台に積み込み終えた時には、もう3時を過ぎていた。
作業が終わり、老婦人と縁側でお茶を飲んだあとも、物置の扉の桟に錆止めスプレーをさしたり、電器の球を替えたり、エアコンのフィルターを掃除したりした。
オレが作業していると老婦人は、
「…あらあらまあまあ、若い人は色々できるのね」
と言って、微笑んでくれた。お礼を払うと言ってくれたが、仕事ではないのでお金は受け取れない。
「バイクと、釣りの道具のお礼です」
オレがそういうと、老婦人はまたも、あらあらまあまあを繰り返した。
「…色々ありがとうね。また、用事があったら、お願いします」
別れ際に、老婦人はオレに向かって頭を下げる。ぴんとした、きれいなお辞儀だった。
オレも、老婦人に頭を下げる。
「長居してすみません。こちらこそ、ありがとうございました」
いえいえ、と言いながら老婦人は、オレのトラックが老婦人宅の庭を出るまで見送ったあとで、家の中に入っていった。
トラックの車載時計を見ると、午後の4時半を過ぎていた。
国道沿いの牛丼屋で早めの夕食を摂っている時、不動産屋の榎田社長から、スマホに電話がかかってきた。自分が紹介した相手なので、気になって電話したらしい。
オレは牛丼の箸を置き、スマホの通話口のところに手を当て、牛丼屋の店内放送が入らないように電話を受ける。
榎田社長によると、オレが老婦人の家を出てすぐ榎田社長の携帯に、老婦人からお礼の電話があったそうだ。老婦人から丁重に礼を言われ、「また何かあったらお願いします」とオレへの伝言を言付かったそうだ。
「どうだった?中谷さんいい人だったでしょ?」
中谷は、老婦人の姓である。
「はい、それはもう。いい人をご紹介いただいて有難うございます。社長にはもう、この前からお世話になりっぱなしで…。この前の古物商許可の移転申請も社長がいてくれないと、どうなっていたか」
「いいっていいって。誰にでも初めてはあるんだから。今度こっちが困ってたら、助けてくれりゃいいからさ」
その後、オレは榎田社長といくつか仕事の話をし、翌週の予定を確認し合って電話を切った。
作業場兼新事務所兼駐車場にした元鉄工所に帰り、しばらく事務仕事をしてから机の置き時計を見る。夜7時を少し過ぎていた。オレは、ある程度のところで事務仕事を切り上げてから、トラックに載せたままになっていた品々を作業場の中に運び込み始めた。
中谷夫人からの頂き物はかなり大量だった。
作業場の中に、運び込むだけでも一苦労だ。しかし、仕事で物を運ぶのはキツくても、自分のものならキツくない。
今日、中谷さんに頂いた物を、オレは作業場にきれいに並べて確認してみた。
・HONDAクロスカブ110中谷さんカスタム
・HONDA純正ヘルメットステッカー付き
・DAIWA製のリール数本
・DAIWA製のロッド数本
・DAIWAのクーラーボックス
・DAIWA釣り用防寒ウェア
・DAIWAフィッシングウェーダー(長靴とオーバーオールが合体したような漁師さんの装備)
・バッテリーで動くファンの付いたクーラーベスト
・使い込まれた、シンプルな銀色のジッポライター
・メーカー不明の釣り用ベスト
・未開封のイカ釣り用仕掛け
エトセトラエトセトラ…
普通に買ったら、合計いくらかかるか分からない。
無料で頂いた物なので転売はできないが、自分で使うからいい。むしろ、オタク気質のオレからしたら、こういうこだわり品を手に入れるために働いているとさえ言える。この機会にまた釣りを趣味にするのもありだろう。
改めて、頂き物の品々を見る。自分では、欲しくても高価でなかなか買わないでいるうちに、スマホのメモ帳の『欲しい物リスト』に書いたまま何年かしたら忘れてしまうような品々。誰もいない作業場の中で、オレは、「有難うございます」と一回頭を下げる。誰に対する礼なのかは自分でも分からなかった。
「…うっし、始めますか」
とりあえず、今日のうちにHONDAクロスカブ110のエンジンがかからない理由を調べておきたかった。
壁の時計を見る。夜の八時だった。
二ノ〆、
晩酌に、真珠貝柱の麹漬けを小皿の上に盛り、小皿の上の白い麹を箸先に付けてちびちび舐めながら、湯呑みに注いだ神の河のソーダ割りをちびちびやる。麹漬けは頂き物だが、神の河は自分で買ってきたものだ。普段のオレは酒を飲まないが、今日は特別だ。修理していたHONDAクロスカブ110が、ひと月かけてやっと完成した日なのだ。
普段の仕事をやりながらなので、思った以上に修理に時間がかかってしまった。初めて触る機体を、オレ一人で修理するのは苦労もあったし、エンジンがかかるようになってからも、独特なシフトペダルの動かし方が分からず、何度も乗ったり降りたりを繰り返した。それだけに、初めて作業場の駐車場を走り回った時は感動ものだった。独特なシフトペダルも、一度慣れてみれば楽しいだけだ。
雨の日対策としてペダルに滑り止めをはめたり、ハンドルポジションを自分用に調整したりもして、気付けば「クロスカブ110 マフラー 取付可能」や「クロスカブ110 マフラー 音の違い」、「クロスカブ110 カスタム」でネット検索したりしていた。
自分の過去の経験からして、これは危険な兆候だ。沼にハマる前に自制しなければならない。
マフラーのことは一旦置いておいて、普段飲まない酒で個人的にHONDAクロスカブ110カスタムの完成を祝うことに決めた。
元鉄工所の作業場の中で、直ったばかりのHONDAクロスカブ110の黄色いボディと、特徴的な形のヘッドライトガード、見る者が見れば分かる細かい自分的カスタムポイントを一つ一つ眺めながら、とろんとした目でオレはつぶやく。
「やっぱいいよなー。専用機は男の憧れだよなー」
飲み始めて30分で、ソーダ割りはまだ2センチしか減っていないが、もう酔いが回っていた。
酒も飲んじゃったことだし、今日は作業場に泊まることにしよう。そうしよう。風呂には、少し早起きして明日の朝入ればいい。
元鉄工所だった作業場の中の一角には、なぜか床より少しだけ高くしてある所に畳が敷かれた休憩スペースが設けられている。そこに軽ワゴンの中に積んでいたキャンプ用の小さな折りたたみテントを広げて毛布を敷き、寝袋をかぶる。気分はもうアウトローだ。
テントの中とはいえ寝袋一枚では少し寒いので、テントの中に折りたたまれたダンボール箱を入れて風除けにする。もう全然寒くない。むしろ、このアウトロー感で今後はキャンプにもハマりそうだ。
HONDAクロスカブ110の修理の合間に、頂いた釣りの道具も磨いてピカピカにしたことだし、これからは釣りキャンプをオレの趣味にするのもいいかもしれない。夢がどんどん膨らんでくる。
明日は、HONDAクロスカブ110の記念すべき公道試運転の日だ。眠ってしまうのは名残惜しい気もするが、今日はもう寝よう。オレはソーダ割りの残りを飲んでからストーブを消し、畳の上のテントに潜り込んだ。
寝袋の中で、一人で考える。
この頃、なんとなく、色んなことがうまく回ってきているような気がする。仕事を振ってくれる人がいたり、分からないことを聞ける人がいたり、とにかく周りにいる人に助けられている。
商社時代から独立まで、苦労してきたけど、すべては今報われるためだったのかもな…。
オレは、小声でそうひとりごちる。こんなに自然にひとりごちるのは、生まれて初めてだった。
やがて、オレは深い眠りについた。
…この時のオレは忘れていた。
一時うまくいっているからといって、決して油断してはならないということを。
世の中には『フラグ』というものがあるということを。
『異世界リサイクル_廃棄物召喚で持続可能な異世界ライフ』
第一部 おっさん転生(転移?)の巻 そのニ
了
To Be Continued.⇒Next episode.
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