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夫に言えないご職業

作者: 竜胆千歳

 朝、目が覚めて横には去年の暮れに婚姻届を出した夫がいる。

「おはよう、銃太」

「おはよう、エイル」

 明るい緑色の髪にタレ目の、ふにゃんとした顔がキュートなわたしの夫は、日によって仕事の時間が異なる。今日は日曜日なので割と朝が早い。

「今日はデーゲームでしょ、早く準備しないと」

「んー眠い……」

 野球選手である銃太は、生活リズムがズレやすい。家にいる時はこうして起こせるが、遠征の時は結構大変らしく、目覚まし時計を何セットかして起きているらしい。

「エイルも今日はお仕事?」

 ご飯を食べながら、銃太の質問にドキリとした。

「う、うん。東京までね」

 結婚してからも仕事は続けているけど、周りには、特に銃太には絶対に言えない仕事だ……ここでいかがわしい想像をした人は、16ビートでタコ殴りするからこっちにきなさい。

「仕事も東京なんでしょ、埼玉から結構遠いから、心配だなぁ」

 銃太の所属チームは埼玉菖蒲ヴォルフという強豪ひしめく『実力のオ』と呼ばれるオーシャン・リーグの名門チームで、正捕手を務めている、今注目の選手だ。そしてわたしの職場は東京なので、通えない範囲ではないが、少々遠い。

「大丈夫だよ、こうやって県外から来る人沢山いるんだし」

「でも、痴漢とか気をつけてね、エイル可愛いんだし」

「ありがと、余裕が出来たら車買おうかな」

 プロ野球選手といえど、年俸はピンキリで、銃太はレギュラー獲得からまだ1年ちょっとなので、年俸は4000万円、税金で約半分、身体のメンテナンスとか後輩の食事やらで実際に使える金額は一般よりかは多いけど、それが定年まで続く訳じゃないから貯金も考えると贅沢は出来ない。

「じゃあ行ってきます」

「いってらっしゃい」

 毎日早出練習で球場に行く銃太より先に家を出る、銃太の早出練習が試合開始前の6時間前なので、デーゲームだと8時には球場入りしないといけない。わたしは距離があるので、もっと早いが。

「おはようー今日もよろしく、エイルちゃん」

「よろしくお願いします」

 上司の森さんに声をかけられた、困った時に頼りになる親分肌なお人であるが、怒るとめっちゃ怖い人でもある。

「毎日埼玉から大変だな、体が大事なんだから、休める時はしっかり休めよ」

「ありがとうございます、森さん」

 パソコンで業務内容をチェックして、チアリーダーのみんなの練習スタジオを借りて、柔軟体操をする。毎日の準備は欠かさない。

 チアのみんなが来る前に退出し、仕事の準備をする。ここからは私語厳禁である、もう一度言う、私語厳禁である!

「おはよう、マイア。今日もよろしく!」

 マイアと呼ばれたわたしはもうつるぎエイルではない、読切ギガンテスのマスコット、マイアである。ギガンテスはギリシャ神話の巨人族、マイアもそれに由来している女の子だ、巨人族だけど、モチーフは何故かパンダである。近くの動物園の人気者にあやかったものだとか。

 そう、わたしは剣エイルは夫がオ・リーグの選手でありながら、球界の盟主であり、マウンテンリーグ、通称マ・リーグ所属の読切ギガンテスのサブマスコット、マイアなのである。球団関係者でも一部しか知られてない。いや、墓場まで持っていかないといけない極秘事項である。ましてや銃太には絶対知られたくない。なんせ、妻がライバル球団のマスコットなのだから。

 メインマスコットのギパンデス、チアチームのアフローディアとのイニング間でのダンスの確認をする。ファンのみなさんは野球を観に来てくれているが、どうしてもグラウンド整備というお互いの選手を守る仕事の間に、少しでも楽しんでもらおうと思ってダンスやショーをする。それに、子供達や野球初心者の人達に、少しでも興味を持ってもらえたら存在意義はある。全力でパフォーマンス出来るように、練習でも手は抜かない。

「はい、お疲れー本番でも頑張っていきましょう!」

「はい!」

 アフローディアのみんなに、ルーティンのハイタッチをして応援して見送る。

 それが終わったらわたしは球場内でファンサービスをする。子供達や女性ファンのみなさんに、握手や写真撮影をして交流するのも大事な仕事だ。それに同じチームを好きな同士でもある。時々疲れてこっそりダラっとしてるけど。年間戦う中で常に全力プレーは難しくて……。

「あっ、ラク之丞だー!」

 同じ東京の球団、東京ビオラークスのラク之丞が現れると、みんなそっちに流れていく。ぽっちゃり体型の可愛らしい姿とは真逆の、毒舌トークとイジりで野球ファン以外からも人気の高いわたしのライバルでもある。

「ラク之丞握手してー!」

 ラク之丞は握手羽で答える、そう、鳥なので手羽なのだ。1回プライベートで握手してもらったことがあるけど、その時、スケッチブックで『お疲れ様』と書いてきたのは、社会人としてなのか、はたまた同業者と見破ったからなのか……。

 そんなことを思っている内に、すっかり人がいなくなったわたしの元にとことこと女の子がやってきた。

「マイアちゃん、あくしゅしてください」

 人気者に目もくれず、握手を求めてくれるんだ……お姉さん、いや、マイアは嬉しいよ!

 女の子に握手して、頭をポンポン撫でてあげる。さ、サービスと思ってもらえるかな、怒られないかな?

「ママーマイアちゃんが頭撫でてくれたよー!」

「へーそう」

 こちらを見るお母さんの目が怖い、おそらく変なことしてないだろうな、とか、オッサンじゃないよねとかそんな疑いの目をしている。大丈夫ですよ、お母さん。25のお姉さんですからねー!

 そんな夢のない言い訳は口が裂けても言えないけど、女の子が喜んでくれたなら何よりだ。そして野球が好きになってくれたらなお嬉しい。

「ママ、おおきくなったらマイアちゃんになる!」

「バカなこといってないで、行くよ」

 バカなこと……やっぱりマスコットは反論も出来ないし、辛い仕事ではある。けど、この仕事に誇りを持ってやってるんだ。最初は成り行きだったけど、これだけは断言できる。

 先程の親子のところに走っていって、筆談で熱い思いを伝える。

「な、なんですか」

『誇りをもってわたしはがんばってます』

 そして、女の子に向かって少し長文でメッセージを伝える。

『おおきくなって、ホントにマスコットになりたいと思ったら、そのときはおうえんするよ』

「娘に変なことを吹き込まないでください、いくよ!」

 怒らせてしまったけど、わたしはあの子の純粋な気持ちを応援したかったんだ、それは今伝えないと、一生会えないかもと思ったら後悔するから。

『おこらせたらだめだよ、つらくても、ふぁんのみんなをたのしませるのがぼくたちのしごとだからー』

 ラク之丞先輩が肩を叩きながら注意する、うん……だけど、あの子が可哀想だよ……。

『でも、おんなのこはうれしそうだったから、びーるおごってくれたらゆるす!』

 慰めてるのかそうじゃないのか分からない、ラク之丞の言葉に少し笑いそうになるが、とりあえずもってるスケッチブックで頭を叩く。

『ただビールがのみたいだけでしょ!』

『でへっ、ばれた?』

 ラク之丞はなんだかオッサンくさいが、前のシーズンで銃太とも交流していたりとかなり社交的だ、いい雲雀なんだろう。ビール飲んでいる時は雲雀かどうか分からないけど……。

「マイアちゃんそろそろ時間だから」

 わたしはスタッフに連れられて関係者室に戻る、そこでエイルに戻って水を飲み、塩をひと舐めしてまたマイアになって、グラウンドに駆けていく。

 3回裏、チアチームやギパンデスと一緒にダンスショーの時間が始まる。元々ダンスの経験はバレエくらいで、チアリーディングみたいなダンスは経験なかったけど、猛特訓したおかげで、今では女の子マスコットでトップクラスと評価されるまでにダンスには自信がある。

 キレキレでキラキラなダンスを披露する中、今回はラク之丞も一緒に踊っているが……あれ、最近スキャンダルがあった、人気アイドルグループの振り付けしてるよね?

「ワハハー!」

 意味が分かったお客さんや選手から笑い声が聞こえる、ネタが黒いなー。かと思えば優しいメッセージをくれたりするから愛されてるんだけども。

「アフローディア、ギパンデス、マイア、そしてラク之丞ありがとうー! ラク之丞は後で球団から話があるそうです」

 ラク之丞が頭を抱えてノー! と叫び声が聞こえるような気がした。まあ、怒られるよね。少なくともアイドルファンにはブチギレられる。

 わたしは元気だせよと意味を込めて肩を叩く、ラク之丞はなぜか手羽でベシベシ頭を叩いてきたけど、理不尽な気がする。

「ラク之丞、マイアに八つ当たりしないの」

 スタジアムDJがラク之丞を嗜める、これでも女子ですから、即興コントとはいえ割と力を込めているのはやめてほしい……。

 そんな感じで控室に戻ると、ラク之丞が頭を下げながら筆談で『ありがとう』と書いてくれた。わたしもグッジョブとやって、和解した。ラク之丞のキャラ的に、球界のお笑い担当なので、ああいうネタになるのは大事なのだ。試合はバチバチだけど、野球を盛り上げる気持ちは12球団共通事項であり、共闘する間柄で、ビジネスパートナーでもある。ワイワイやりつつ、協力したり、しれっと裏切るドライな事もあるけど……。

「次は5イニング目です、よろしくお願いしまーす」

「はーい」

 アフローディアの皆さんは返事をして、マスコット陣は手を上げて了解の意を示す。次はミニゲームだ。



☆☆☆☆




 ミニゲームはジェスチャークイズ、球場のお客さんに、3択の答えから選んでもらい、正解したらグッズをプレゼントという企画なんだけど、あの無茶苦茶で有名なラク之丞がきている時点で、真っ当な企画にならなそうな……。

「さあさあ今回のジェスチャークイズは……あれ、ラク之丞なんですか?」

 カメラがズームでラク之丞のスケッチブックに焦点を合わせると、こんなことを書いていた。

「『せいかいをふぁんのみんなにきめてもらって、こっちがそれをやる』……できるの!?」

 無茶振りに等しいが、1つしかやってないんだけど、果たしてどうなるんだろ?

「それでは、カップルのおふたり、この中から選んでください」

 1つはサッカーのPKで成功して喜ぶギパンデス、2つ目はラク之丞が、野球対決で負けて泣きの1回を土下座で頼むシーン。最後はマイアがギパンデスにヘッドロックを喰らわせるというスポーツ3択……いや、サービス問題だから分かりやすいけど、分かりやすすぎ。

「カップルの答えは……おっ、3番ですか!」

 わたしが参加するやつだ! ここはラク之丞が選ばれると思ってたのに、ヘッドロックってどうやるの?

 プロレス知識が薄いわたしが、焦って出した技は、ジャンプして両足を折り曲げた状態から、足を伸ばしてギパンデスを吹っ飛ばした。

「マイアちゃん、それドロップキック! 大丈夫、ギパンデス!?」

 わからないよ、正解じゃないんだから、あたふたしてたらラク之丞と目があった、これ、やれって言ってる気がする。

「おおっと、ラク之丞にもドロップキックが炸裂……ってマイアちゃん何やってるの!?」

 とにかくテンパったわたしは決めポーズで、ハートマークを作ってバーンと撃って誤魔化した。

「マイアちゃん、ごまかせてない、ごまかせてないから」

 球場がこの日1番の盛り上がりを見せた、もちろん、試合以外での話だけど……。

「ともかくみんな、ありがとうー!」

 バックヤードに戻り、わたしはみんなに必死に謝るが、ギパンデスが蹴られた場所をさすっているのが申し訳なかった。

「エイル……テメェなにやってんだ!」

「申し訳ございませんでした!」

 必死で平謝りするが、森さんの怒りは収まらない。この後もこんこんと説教が続き、ようやく終わった頃には、みんな帰っていた。

「早くしないと終電が……」

「あれ、エイル?」

 帰ろうと球場を出ると、ばったり銃太と出会した。

「こんな所でどうしたの?」

「ああ、友達がラク之丞のファンで、球場にいて……」

「そっか、でもこんなに夜遅くまでどうしたの、試合もだいぶ前に終わってるよね?」

 うっ、確かにもう11時前、試合終了は今回はテンポ良く進んで9時10分には終わってる。えーと、この時の言い訳は……。

「銃太にもらったペンダント落としちゃって、探している内にこんな時間になっちゃったんだ」

「そんな、夜遅くになるくらいなら、後でもよかったのに……エイルの安全が優先だから」

 うっ、心が痛む……でも、こうして大事にしてくれるのはとても、とても嬉しい。

「銃太こそ、どうして東京に来てるの?」

「先輩に連れられて飲みに誘われたんだ、東京の方が良い店あるからって」

 それこそ、終電はどうするつもりだったのか、あるいはホテルにでも泊まるつもりだったのだろうか……まさか、水商売のお姉さんと一緒にホテルとかいってないよね!

「うん、キャバクラ行ったけど、先輩の接待をして抜け出してきました」

「素直にいうんだー、へー」

「嘘はよくないし、やましいことはしてない。でも嫌だよね、ごめん」

 むっ、それをいわれたら、もうそれ以上は何もいえないじゃない。ずるいなー。

「だけど、僕に怒っていても、一緒に帰らせて。夜に1人で帰らせたくない」

「別に怒ってませんけどねー」

 心配はしてるだろうし、これで1人で帰ってなにかあれば、困るのは自分だ、それならタクシー代もあるし、一緒に帰りますよ。

「許してほしいなら、今度美味しいお菓子奢ってよ」

「美味すぎるお菓子で」

 それ、埼玉で有名なお菓子だよね……いや、美味しいけどさ。

「とりあえず駅に行こう、僕も電車で来てるから」

 電車に乗り、席に座らせてくれた銃太は、なんだかんだでわたしに甘い。聞き上手で、怒っているところを見たことがない。

「イライラしないことないの?」

「どうにもならないことを受け入れた上で、自分のやることやったらそれで終わりだと思うから、そこまでないなぁ。師匠の教えだけど」

 家に帰る道中、銃太に聞くと、銃太はあっけらかんと悟りを開いたみたいなことをいっていた。メンタルが強い、でも、そうじゃなかったら、ストレスが多い捕手なんてやってないだろうか。

「ついたね、ご飯はどうする?」

「軽く食べてたから、大丈夫。銃太は」

「捕食は食べておくよ」

 前もって作っておいた捕食をレンジで温める銃太の話を、他の選手の奥様に言うと驚かれる。自分でやれることをやらない選手も多いみたいだ。だから野球選手は早婚が多いのかも。

「銃太は苦手なことある?」

「突然なにさ?」

 野球選手妻の井戸端会議の話をすると、銃太は首を傾げた。

「最低限の家事は高校時代に家でやってたからね、共働き家庭だったし、野球選手だから何にも出来ない訳じゃないよ。ただ、1軍選手は待遇がいいから、それもあって何にもできない人が出てくるけど」

 ちなみに、両親の職業は裏社会の情報屋とかいっていたけど、本当かどうか分からない。ただ、確かめる勇気はないからスルーしている。もし知りすぎたら消されちゃうかもしれないし。

「それと、ロッカールームも、僕が綺麗に使ってるランキングで上位だと自負してるよ」

 家でも銃太の部屋、わたしより綺麗だもんね……ヤバい、そのうち部屋の掃除とかしてあげるとかいわれて、ギガンテスのグッズが出てきたら大変なことになる、明日は部屋の掃除しよう……!

 ご飯を食べ終わり、洗い物をし終わった銃太が、突然わたしを抱きしめた。

「ちょっとどうしたの」

「好きじゃない人にベタベタ触られるよりも、好きな人に触れていたいな」

 先輩の付き合いで飲みにいったのが、あんまり好きじゃないんだろうな。あんまり酔ってないのをみると、飲んでないし、そもそも酒を飲んでいい歳から、酒を積極的に飲んでいるのを見たことがない。酒で失敗するタイプじゃなさそう。

「野球選手って、そんなに顔がよくなくても、女性がよってくるから、バカは調子乗るし、顔がまあまあよかったら、それこそ遊びすぎてトラブル起こすしね」

「銃太は癒し系だと思うけど」

「応援してくれるのはありがたいけど、エイルをずっと好きでいることと、ずっと好きでいてもらいたいから」

 これは……酔っているのか? 突然好き好き全開でデレてきてるし、割と口が悪くなってるし。

「酔ってるの?」

「行ける口っていわれて、ショットをバンバン飲まされたから多少はね。ダブルを5杯くらい」

 それで普通に帰ってるし、弱い人なら倒れてるくらいだよね……絶対サシで飲みたくない。

「でも、軽い気持ちで好きだなんていわないよ、いつもありがとうって、なかなかいえないけど思うんだ」

「銃太……」

「だから、いつも本当にありがとう」

 本当に誠実な人だ、それこそ顔が熱くなってくる。この人といられて良かったな。

「こちらこそ、いつもありがとう。何年経っても、いつも好きって思うくらい、こっちも好きだよ」

 幼なじみと結婚したけど、いつでもふと好きな気持ちが湧いてくる。流石にケンカすることもあるけど、でも、人生やり直せるっていわれて、初めからやることになっても、また銃太を選ぶんだろうなぁ。

「ねえ、子供って欲しい?」

「酔った勢いでするものじゃないでしょ、早く寝たら」

 正直欲しい気持ちはある、でも、今の仕事をどうするんだろうって思う。マスコットの仕事を辞めても球団に残れるのかとか、それまで代役はどうするんだとか、そのまま代役に代わったら引退とか、様々な思いがある。相談も出来ないし、こればっかりは自分で決めるしかない。

「そうだね、でも僕は欲しいと思ってるよ」

「……うん、わたしもすぐにとは思ってないけど、欲しいよ」

 せめて迷惑をかけないようにしたい、引き継ぎの時に、この人なら大丈夫と思ってから身を引きたい。それまでは子供は後かな、ただ、そんなに先延ばしに出来ないけど。

「そっか……じゃあ、もし子供が欲しいと思ったらいって、僕も迎えられるように野球も私生活も出来るだけ頑張るから」

 抱きしめてられている手が頭を撫でてくれた、優しさに甘えられる内に、決断しないとなぁ。


☆☆☆


 今日は対中吉ワイバーンズとの試合、試合前にマイアとしてグラウンドに出ていると、みんながワイバーンズの選手に注目していた。

「ああ……アレがあの……」

「脅迫状凄い届いてんでしょ、よく試合できるね……」

 陰口の対象になっているのは、銀色の髪と赤目が特徴の中上狼夜なかがみろうや親が捕手として初めて日米通算3000本安打と、400本塁打を打った中上銀狼(ぎんろう)選手で、本人も捕手として1年目から試合に出ている。

「おはようございます」

「ういっーす」

 チームメイトからは愛されている彼に何があったのか、それは、このプロ野球が男女混合で試合が出来るようになったというのが大昔に出来て、狼夜選手の母親も野球選手だったんだけど……。

「マイアちゃん、今日アズールくんとの打ち合わせあるって言ったでしょ、行くよ」

 手を口に当てて頭を下げる、そうだった、よそ様の話は後で。

 アズールは中吉ワイバーンズのメインマスコットで、かつてはフリーダムなサブマスコット、バンキーの陰に隠れがちだったが、現在はそのバンキーと共に、チームを盛り上げてくれている。ワイバーンズの鬼竜と呼ばれ、気の抜けた人には容赦なくローキックを喰らわす一方で、みんなを励ますことを欠かさない厳しくて優しい竜人である。

「今回整備中の時間で、ギパンデスとアズールで対決してもらいます。マイアはアンパイアとして判定役です」

 対決はタイムアタック式の徒競走で、途中でバット回しをして、決めポーズをしてからゴールに向かう。わたしはバット回しの回数と、決めポーズの判定役だ。

「マイアはギガンテスの一員ですが、公平にジャッジして下さい。出来たらこのピンポンで面白く盛り上げてもらえると」

 このジャッジで盛り上がりの4割は変わる、ギパンデスやアズールが、ネタに走れば容赦なく『ブー!』を出して崩れ落ちさせよう。

 先攻はアズール、俊敏でダンスも上手いアズールがバット回しをした後に決めポーズ……ズボンに手を入れてドーン! 某全力暴走芸人みたいなパフォーマンス、いいですねー。

「マイアちゃん、判定は」

『ブー!』

「残念、不合格です!」

 子供たちもいるので、当然『ブー!』を出した。健全なネタじゃなきゃダメだよ、特にアズールは。

 その後中上選手の盗塁阻止を再現した細かすぎるモノマネを披露して合格、結局タイムは3分50秒、これを抜ければギパンデスの勝ちだ。

「さあ、このタイムを抜いてギパンデスは勝てるか! ギパンデスの挑戦です」

 ギパンデスが軽快に走る、バット回しをしてさあ一発ギャグだ!

「マイアちゃん、判定は」

 わたしは大きく頷いた、みんなオッケーかと思っただろう。

『ブー!』

「ああーっと、残念、不合格です!」

 だって流石に、ハートマークで萌え萌えキュンってやってたら引くわーいや、萌えキュンが引くんじゃなくて、普段真面目キャラなのに、そのネタしてたらみんなビックリするでしょ。

 ただ、その後にギガンテスの主砲、岡村さんのバット投げを完コピしてたので、すぐに合格にしたけどね。いや、クオリティバッチリでした。

「ゴール! タイムは3分30秒。この勝負、ギパンデスの勝ちです」

 ギパンデスが嬉しそうにガッツポーズをしていて、アズールは悔しそうに地団駄を踏んだけど、ギパンデスやわたしに握手を求めた、アズール、スポーツマンだなぁ。バンキーは謎の決めポーズして勝った風にしそうだけど。

 ただ、試合は中上選手が逆転のタイムリースリーベースを放ち、試合はギガンテスの敗北となった、うーん。お客さんのガッカリした顔を見るのがツラい……。

「調子乗ってんじゃねえぞ中上!」

「人殺しの息子が野球やってんじゃねぇよ!」

「大也、テメェも打たれてんじゃねえよ、ぶっ殺すぞ!」

 しっかりしてくれよなら分かる、何やってんだよもツラいけどなんとか受け止められるだろう。でもいくらなんでも、これは一線を越えてる。

「お客様、選手に対する、誹謗中傷はお辞めください。繰り返します……」

 敗戦投手になった大也投手も辛そうだが、中上選手は味方ファンからも、相手ファンからも罵声を浴びせられている。これはあんまりじゃないか、他球団のいちマスコットではあるけど、これは見ていて目を背けたくなる。

「中上も可哀想だよな」

「なにかやったんですか」

「昔、中上のお母さんが高校時代、イジメを受けてて、報復で殺したって話が出て、その後自殺したんだ」

 古参の球団スタッフが新人スタッフに解説している、確かにもし本当なら許されざる話ではある。でも、それを中上選手が全部背負うのはあまりに酷だ。悪いのはあくまでも中上選手のお母さんなのに……。

「1通のファンレターに対して、100通脅迫状が届くだってよ。酔っ払いに瓶で殴られたって話もあるし」

「なのにあんな気丈に……おれ、応援したいです」

「バカいえ、他球団の選手だぞ、おおっぴらに応援すんな」

 職員さんが去っていく中で、偶然、通路で中上選手とすれ違った。

「あっ、マイアちゃんだー」

 帽子を取って一礼して手を振った中上選手が、口を隠しながら耳元で衝撃の言葉を放った。

「エイルさん、銃太さんによろしくね」

 な、なななんでバレてるの、しかも他球団の選手に!?

「父さんが披露宴の映像撮ってたから知ってたのと、背格好と外足歩きだね、バレエやってたって話は聞いてたから、歩き方のクセが出てる。エイルさんが球場関係者の所にいたのを見た時の歩き方と歩幅が一緒だから……でも、ロミジュリ婚だね」

 喋られないし、ワザと首を傾げてトボける。ただ、中上選手が暴露したらどうしよう。

「ま、マイアちゃんはマイアちゃんだよ。お互いの好きなところを言い合ってキスする、アツアツカップルじゃないし」

 どこからその情報仕入れたんだろ、この人にめっちゃ弱み握られてないかな……。

「それより、ショー盛り上がってたよ、楽しかった。だけど、次もワイバーンズが勝つからねーあっはっは」

 辛い事も多いだろうけど、この人は荒れ狂う嵐でも悠然と自分のことが出来る人なのだろう。年下だけど学ぶことが多い。

「お疲れ様でした」

 仕事が終わって駅に向かう途中、女性とぶつかり、尻餅をついてしまった。

「これは失礼しました、ケガはありませんか?」

 慇懃に手を差し伸べる女性を見てハッとした、サラサラの長い銀髪に、深い青色の目をした、雪の女神といっても過言じゃないほどの綺麗な女性が目の前にいた。

「だいじょうぶだす……」

「……鼻から血が出て、目から涙が出ている時点で大丈夫ではありませんね。こちら、ハンカチです」

 ショッピングモールのコートよりも高そうな、肌触りのいいハンカチで鼻血を拭くのはためらいがあったので、涙だけ拭って、ティッシュで鼻血を抑えた。

「すいません、洗って返しますので……」

「飾るために使っている訳ではありませんので、大丈夫ですよ。それでは……」

「誰か捕まえてくれ、万引きだー!」

 振り返ると中学生くらいのガリガリに痩せた男の子が、必死に菓子パンを抱えて走っている。

「荒っぽいことは、得意ではないのですが」

 そうお姉さんはつぶやくと、少年の足を払って転ばせ、少年を確保した。

「はなせ、離せよ、菊乃に食べさせなきゃなんないんだよ!」

「菊乃さんがどういう方か存じませんが、そんなまともに食事も取れないあなたが、万引きして持ってきたとあらば、とても悲しむでしょうね」

「あんたみたいな金持ちに何が分かる!」

「富豪も貧民も経験してますので、物乞いや乞食もしたことはありますよ」

 この人、年いくつなんだろう、わたしより年上には見えないんだけど。

「ああ、捕まえくれてありがとうございます、テメェ、警察に突き出してやるからな!」

「少し待ってもらえますか」

 少年を引き渡しつつ、女性は少年の持っていた菓子パンを手に取った。

「1つ店頭でせいぜい150円程のパンも、マトモに買えない状態で警察に引き渡すのは良いのですが、根本的な解決にはなりそうもありませんねえ。あっ、それと、このパンを買い取っても」

「ああ、だけど商品盗んだんだ、警察には突き出すぞ」

「ええ、大変な接客業で商品を盗まれたら、たまったものではありませんし。ただ、警察が来るまでこの人に話を聞いても?」

「えっ、まあいいけど……」

「あなた、名前は?」

「えっ、わたしですか、剣エイルです」

「では剣さん、少しジュースでも買ってきてもらえませんか、それでハンカチの件は無しということで」

 店長さんの許可をもらった女性は、わたしを使いっ走りにして自販機で買ったジュースを少年に渡して聞き取りを始めた。

「では、まず名前を教えてもらえませんか?」

「別に名乗るつもりはない」

「それでは、仮にスカール君と呼びましょうか。今友人と一緒にやっているゲームの仲間モンスターから拝借しましょう」

「スカールくん……」

 痩せこけているから連想でそうなったんだろうけど、なんか嫌だなぁ、本名を名乗らせるように仕向けている可能性はあるけど。

「空、鹿島空だよ、だからスカールとか訳の分からない名前やめろ」

「これは失礼しました、では鹿島君、家族の状況はどうなっているのでしょうか?」

「父さんは知らない、生まれた時から母さんは取っ替え引っ替えで男連れてたから、まともに一緒にいるのは、妹だけだ」

 多分それが菊乃って子だろう、妹さんのために万引きしたとなると、なんだかやりきれない。

「年齢は、バイトは出来なかったのでしょうか?」

「まだ14でどこも雇ってくれない、母さんも家にいない事が多くて金も入れてくれないし、もう水道も止められてるんだ」

「水道が止まるって……」

「余程ですね」

 電気、ガス、水道の順番で止められるから、いよいよもってヤバい状態だ。

「学校もままならない状態ですね、それだと」

「フン、安い同情なんてしてんじゃ……」

 空くんが倒れそうになったので慌てて抱き止めるが、体臭がキツくて思わず顔を背けそうになる。

「警察です、万引きしてたのはこの子ですか」

「ああ、そうです、連れて行って下さい」

 警察官がやってきて空くんを引き渡そうとすると、女性が間に割って入った。

「ああ、丁度良かった。申し訳ないのですが、先にこの子の家に立ち入らせてもらいたいのですが」

「なんなんですかあなたは」

「申し訳ありません、この子の非行から察するに妹さんが飢餓状態にある可能性があります。警察署の連行の前に確認させてもらいたいのですが」

「お姉さん、そういうのは困りますよ」

 当然、おまわりさんが困惑していると、女性は携帯を取り出し、電話をし出した。

「ちょっと、なに話して」

「失礼しました、こちらの方に話を聞いてもらいたいのですが」

 訝しがりながら、おまわりさんが携帯を取って話をし出すと、突然直立不動になってカチカチになった。

 やがて電話を切って渡すと、お姉さんに向かって敬礼をした。

「先ほどは失礼しました!」

「いえ、こちらこそあまり褒められた行為ではないので、ただ、こういう時は使えるものは使っておかないとよろしくないので」

 この人、何したんだろう……年上のおまわりさんが急に態度が変わったし、よほどのコネでもあるのかな?

「それでは、お願い出来ますか?」

「中上警視長からも要望がありますし、どうぞお乗り下さい」

「失礼ついでに、こちらの女性も同伴してよろしいですか?」

「えっ……ええ分かりました」

 何故わたしも同伴することに……ただ、人命がかかっている可能性もあるので、なるべく断らずに申し訳ないけど乗らせてもらおう。

 パトカーに空くんも乗って、女性がようやく自己紹介をした。

「申し遅れました、海野暁うんのあきらです。今何かと世間を騒がせている中上狼夜選手はいとこになります」

 さっきの中上狼夜選手の親戚……世間は狭いなー。長身で銀髪という点においては似てるけど、ただ、性格は全く似てない。

「どうしてわたしも連れてきたんですか?」

「警官立ち会いの際に、万が一衰弱状態の菊乃さんが発見された時、食事や救急車の同伴が必要になりますし、その際に手伝ってもらおうかと」

 いや、暁さんが行けば……。

「多少の医療の心得はありますが、人手は欲しいので。男性に触られたくない可能性もありますから」

 確かに、母親が取っ替え引っ替え男を連れてきている中で、男性不信の可能性も高い。緊急を要するのに余計な手間は増やせないだろう、今連れていってくれているおまわりさんは、男性だからね。

「鹿島君、最後に妹さんに会った時、どういった状態でしたか?」

「……お腹が空いてフラフラしてた、母さんはどこにいるか分からないし、金なんてなかったから」

「やはりあまり良い状況ではありませんね、──剣さん」

「なんですか」

「鹿島兄妹の部屋が分かり次第、コンビニでゼリー飲料とカロリーバー、スポーツドリンクとプロテインジュースを買ってもらえると助かります」

「分かっているけど……使いっ走りですよね」

「役割分担は大事ですよ、鹿島君、家の近くにコンビニはありますか?」

「あるよ、場所は……」

 コンビニの場所を教えてもらい、しばらくするとよくいえば風情のある、悪くいえばボロアパートについた。台風が来たら雨漏りするんじゃないかと思うくらい、お世辞にもしっかりしてるとはいえない外観だった。

「ただいま、菊乃ー」

 真っ暗で電気をつけようと思ったけど、水道止められている時点で電気もへったくれもない。なので、スマートフォンの灯りをつけて部屋の中を照らすけど、ゴミ袋も買えないからなのか、廊下の時点でゴミが散乱していて、生活環境は非常によろしくない。

「ワンルームですよね、失礼します」

 暁さんが部屋を開けると、ゴミが散乱している中で少女がグッタリと倒れていた。

「菊乃!」

「きゅ、救急車呼んできます!」

「剣さん、飲み物は残ってますか?」

「は、はい。ペットボトルのジュースが半分」

「渡してください、そして手筈通りコンビニに買いに行ってください」

 わたしはアパートから猛ダッシュで、コンビニに行って水とスポドリ、ゼリー飲料とカロリーバーを買って、アパートに戻った。マスコットのダンスで鍛えた脚力が、ここで活きているとは思う。

「買ってきました!」

「今救急車を呼んでます、水は買ってますね」

「はい、どうぞ」

 暁さんがゆっくりスポドリを飲ませて、菊乃ちゃんの反応を窺う。一応飲めるくらいは意識があるらしい。

「菊乃さん、聞こえますか」

「……おばさんだれ」

「お兄さんの知り合いです、ここがどこだか分かりますか?」

「お家……」

「朦朧としてますが場所が分かっているので、深刻な状態ではありませんね、救急車が来るまでゆっくり飲んでください」

 そこから数分後、救急車がやってきて菊乃ちゃんを運ぶ際、空くんとおまわりさんが乗って行った。空くんが逃げないようにの監視の意味もあるのだろう。

「さて、これ以上はこちらの出る幕はありませんので、貴方は帰っても問題ありません、あと、レシートがあれば請求していただいても構いません」

「空くんや、菊乃ちゃんはどうなるの」

「空君は14歳ということですし、逮捕されるでしょうが、状況的に少年院よりかは、児童自立支援に送致の可能性が高いでしょう。不起訴の可能性も多少あります。菊乃さんに会える機会は減りますが、定期的には会えるでしょう。菊乃さんはこの状況だと、養護施設に入る可能性が高いでしょう。ここまで放置されていたとなれば、母親が保護責任者遺棄罪が適用される事態ですし」

「……里親とかって出来ないですか」

「条件を満たせば出来ないことはありませんが、問題は兄妹の母親がどういう行動に出るかですね、措置解除を主張して許可されれば連れ戻されますし、今度はどうなるかは分かりません」

「……こんな状態まで放置している人が、更生出来るのかな」

「可能性は低いでしょうね、再犯の可能性の方が高いかと」

「どうして、どうしてそんなに冷静になれるんですか!」

 淡々と喋る暁さんに、わたしは思わず熱くなる。こんなの、菊乃ちゃんが死んでも関係ないって、暗に伝えているみたいで……。

「他人ですからね、本来会うはずのない、名前もせいぜい、事件として表面化した際に、ニュースに流れる程度にしか交わることのない、数日後には完全に忘れ去られている命ですよ」

 張り倒したいと本気で思ったくらい酷薄な発言に、わたしは必死に歯ぎしりして抑え込む。

「ただ、せっかく出来た縁ですし、立ち上がるきっかけ程度は提示したいとは思いますよ」

「……本当ですか、薄情なあなたがいうと信用ならないんですが」

「薄情な自覚はあります、信用ならないのも分かりますが、手段があるのに使わずに死なれたら、流石に目覚めが悪いもので」

「本当に自分本位ですね」

「自分本位でない人など、無能か救いようのないお人よしです。どのみち生き残ることは出来ません」

 美人で丁寧な言葉遣いの人だけど、はっきりと分かる。苦手なタイプだ、わたしとは真逆の冷淡で身勝手で慇懃無礼な、人として最低な人だ。

「あなたとは分かりあえません」

「構いませんよ、全員と仲良くなるなんて考えなんてありません。──が、あなたにも協力してもらいたいことはあります」

「嫌です、そんなどうしてあなたと」

「福祉施設の野球招待を、12球団合同で企画したいと思ってまして」

「なんの冗談ですか?」

「私が専務をしている会社も多少大きくなりまして、ここで福祉活動もしなければと、野球選手の親戚がいるなら、コネクションから話も通しやすいですし、人気のピークは過ぎているとはいえ、人気スポーツの一角です。広報イメージもしやすい」

「あなたみたいな人が慈善活動なんて、狼に衣っていうんですよ」

「そんなマイナーなことわざ、他人から初めて聞きました」

 銃太がことわざとか好きでこっちも覚えてしまった、簡単にいえば、良い人ぶってるけど悪い人という意味だ。

「役に立たない善業より良いとは思えませんか?」

「詐欺師みたいな屁理屈を……」

「誰がやるかは与えられる人からは、さほど重要ではありません。なにを享受出来るかの方がより大きい、お互いの利益の為に、お互いが多少損をする方がペイ出来るのですから」

「慈善活動で利益を考えるのってどうなんですか」

「どの企業も、慈善活動はイメージアップの売名行為が多かれ少なかれ混ざっています。もちろん、功徳を積みたい気持ちがない訳ではありませんが」

 聞けば聞くほど酷い人だ、こんな人と仕事を一緒になんてしたくない。

「私はどうにも思いやりが分かりません、ですから、人を傷つける事が多いのです。ただ、好きな人が出来て人の思いやりを分かりたいと思いました。……彼は人が好きなんです、その彼を理解したい。貴方も好きな人の好きなものが分かりたいと思いませんか?」

 不意に出てきた可愛げに、わたしは少し考えを改めた。この子も人の子なんだな、少なくとも彼氏の好きなものを知りたいという気持ちは本当だろうと、根拠もないけど確信している。

「なんでいとこを通じて依頼しないんですか、親戚だから話が通りそうなのに」

「純粋に大嫌いなんです、酷い目に遭おうと、飲み込み、受け入れて前に進む風のような強さに、人生経験は人より多い自負がありますが初めて嫉妬した相手です」

 嫌いじゃなくて、大嫌いなんだ……これまたすごい嫌われようだけど、犯罪者の息子としてじゃなくて、生き方が羨ましくて悔しいというのが認めている証拠だろう。

「それで、パイプ役として繋いでもらえますか?」

「……繋げるだけで、あとはどうなっても知らないですよ」

「充分です、ありがとうございます」

「あれ、暁、それと剣さんって珍しい組み合わせだね」

 声のする方に振り向くと、狼夜選手──いや、プライベートなのでくんづけで呼ぼう──がランニングウェアで汗を少しかきながらこっちに来た。

「どうしたんですか、こんな遠征先の地で、風俗の帰りですか?」

 本当に手厳しいな、暁さん……確かに、認めてはいるけど、嫌いなのが伝わってくる。

「体作りに走ってた所だよ、2人はどうしたの?」

「人助けと商談です」

 狼夜くんの小慣れている感のある大人の対応に、わたしは思わず愚痴をこぼす。

「暁さんって薄情なんですね、少し見損ないました」

「えーでも、駿君からV字のビキ」

 そこから先は暁さんが手刀でいわせなかったが、手遅れだと思う。多分駿というのは彼氏だろうが、過激な水着を……?

「……惚れた弱みって、つくづく恐ろしいものです」

「絶対に写真撮らせたらダメだからね」

 少し変態臭が漂っている彼氏さんに染まらないか、いささか不安だけど、そんな無茶苦茶バカな人じゃなさそうだし、多分大丈夫だろう。

「ところで、思いっきり延髄斬りしたけど、いいの?」

「心配しないでください。この人、丈夫ですから」

「丈夫だけど、躊躇いなく急所狙ったね」

 ひょっこり起き上がるのが本当に丈夫、でも普通なら脳震盪起こして脳にかなりのダメージがあるから、冗談でもやっちゃいけない。

「他の人にはやりませんよ、そこは信用しているから、早めに黙らせるためにやっているだけなんで」

「つまり変態は認めると」

 今度は金的を容赦なく蹴り上げた、捕手だけどカップつけてないし、付けてても痛いだろうから、本当に恐ろしい。イメージしか出来ないけど。

「もう、酷いよ」

「セクハラ連発の当然の報いですよ」

 ドツキ漫才を見せられた所で、せっかくだから狼夜くんにもチャリティーの件を話してみる。

「僕は無理言って入団させてもらった身だから、どうなるか分からないけど、こういう話があるとは伝えておくよ。賛同してくれそうな選手も何人かいるし」

「余計な事を……それはともかく、エイルさん、ありがとうございます」

 わたしにだけお礼をいう辺り、本当に……。まあ、お互いに変な人達ではあるかも。

「じゃあ、根回し出来るように色んな人に掛け合うよ。じゃあね、エイルさん、銃太さんによろしく」

「はい、伝えておきます」

「暁ー」

「なんですか?」

「ヘ・ン・タ・イ♡」

 全力で猫とネズミのコメディアニメみたいなチェイスを繰り広げている残念な人達を放っておいて、わたしは家に帰っていった。




☆☆☆



 鹿島くんの一件から3ヶ月後、あの後鹿島くんは児童支援で観察処分になったけど、菊乃ちゃんと定期的に会えている。母親は保護遺棄罪で逮捕され、2人に興味がないのか菊乃ちゃんや空くんを里親に出すとあっさり宣言してしまった。親になれない人もいると、あの後暁さんと会っていわれて、その現実を目の当たりにしてやるせない気持ちになったが、ただ、2人の命は救われた、あとはこの兄妹が無事に未来へと歩いてくれるのを祈ろう。

 暁さんでいえば、あの後、まとまらないので有名な12球団をまとめ上げ、12球団合同で招待企画をすることを今年のオフに決定までこぎつけた。あとで調べたら、今急成長中の暁カンパニーの共同創業者にして早々に現社長にバトンタッチしつつも、実質トップとして辣腕を振るっている女傑だった、相性は良くないけど、あの人もあの人なりに鹿島兄妹みたいな子に元気を与えていると信じたい。

 そのオフシーズン、選手は体を休め、そして鍛え、年俸に一喜一憂する時期。マスコットはこの時期にイベントに参加して、ファンサービスに勤む。マスコットだからこそ出来る、大事な役目である。

「今日の予定空いてる?」

「あーゴメン、仕事が……」

「そっか……仕事休めないんだよね」

「本当にゴメン、明日なら予定が空いてるから」

 必死に謝るけど、今日じゃないとダメなのは分かってる、なにせ今日は結婚記念日なのだ。でも、仕事に穴を開けることはできない……でも、お祝いの用意はしてあるんだ。

「だけど、少し遅くなるけど今日記念日祝いしようよ」

「無理しなくても良いよ、せっかくの記念日ちゃんと楽しく祝いたいから」

 申し訳なさを感じながら、わたしは仕事へと向かう。今日は保育園のみんなと交流する日だ。マスコットもアフローディアも参加して、ダンスをしたり、遊んだりして楽しんでもらう、大事な役目である。

 司会進行はアフローディアのリーダー、一華さん、4人きょうだいの最年長というだけあって、子どもの扱いに慣れている、今回の任務は適任だ。

「さあみんな、こんにちはー」

「こんにちはー!」

 元気な挨拶を受けて、わたし達は自然と顔が綻ぶ。とはいえ顔は見せないけど。

「みんな元気だね、お姉さんは一華だよ、一華おねえさんって呼んでね」

「はーい」

 一華さんはチアユニフォームを冬場の外で着ているから、寒いだろうに、それを感じさせずに楽しく挨拶している姿はまさしくプロだ。姐さんカッコいいです!

「今日はギパンデスとマイアが遊びに来てくれたよ」

「わあー!」

「可愛いー!」

「キャー、ギパンデスくんー!」

 園児たちに混じって、わたしと歳の変わらなそうな保育士さんが黄色い歓声を上げているけど、後で絶対に怒られるだろうなぁ……。

「みんな、ギパンデスとマイアはね、読切ギガンテスって野球チームの一員なんだよ」

「へえー」

「野球ってなにー?」

 野球中継もなくなっているから、野球に馴染みのない子供も増えている。でも、それは仕方ないけど、縁があるなら、少しは興味を持ってもらえるように頑張らないとね。

「野球見に行ったことのある人!」

 30人くらいいて、2、3人手を挙げた。よし、この3人を15人くらいに増やせるように頑張ろう!

「お姉さんもギガンテスの一員だけど、みんなに楽しんでもらえるように頑張っているんだよ。ファンキュアみたいに、みんなが笑顔になるお手伝いをしてるの」

 と、一華さんの説明は分かりやすくて、飽きないように朝の女子向けアニメに例えながら話している。今女の子が少し目線がこっちにむいた。すかさず両手を振って答えてあげた。

「こっち手を振ってくれたー」

「かわいいー!」

 少しは好印象を与えられた、つかみはバッチリだ。

「頑張る人を応援するのがお姉さん達やギパンデス、マイアの役割だよ。みんなはなにか頑張っていることあるかな?」

「お絵かき!」

「かけっこ!」

「ごはんたくさんたべること!」

 色々な意見を聞いて、一華さんは丁寧に頷く。本当に出来たお人だ、料理はすぐ下の弟に任せっきりだから、成功確率は首位打者並みの確率だけど……4割も届かない微妙なメシマズお姉さんなのはこれでチャラだ!

「お姉さん達は、そんな頑張る人を応援するよ、もちろん。みんなも応援するから、今から応援するから観ててね!」

 今回はアフローディアから一華さんをはじめ3人、それにギパンデスとマイアを入れて、ダンスショーをする。ギパンデスが力強く、アフローディアが華麗に舞い、わたしも負けじと軽やかなステップを踊っていると、みんなも楽しくなったのか、目が釘付けになって、段々と踊り出した。

「どうもありがとうー!」

「えー!」

「もういっかいー!」

 楽しんでもらえたけど、残念ながらアンコールは……この後質問コーナーで勘弁してもらおう。

「ごめんね、ギパンデスがみんなと遊びたいから、ダンスはここまでだよ」

「えー遊んでくれるの!?」

「やったぁ!」

 予定にはないけど、ギパンデスやマイアが子供達に手を引かれて、追いかけっこや縄跳びで子供達と触れ合った……いや、子供達って改めて体力おばけだ、峠を越えた大ベテラン選手とさほど変わらないスタミナがある。楽しい、楽しいんだけど、つまり、キッツイ!

「みんな、楽しんでくれたかな?」

「うん!」

「楽しかったー」

 いや、しれっと休憩してましたね、一華さん! なんてお方だ……。

 わたしやギパンデスが無言の抗議をしていると、流石に申し訳なく思ったのか、手を合わせてゴメンとした後に、質問コーナーに移った。

「さあ、質問コーナーだよ、なにか質問はないかな?」

「はーい!」

 みんな元気よく手をあげる、いいなー癒される……。でも、スタミナ削ってきたのもみんなだよね。

「じゃあそこの女の子からいこうか、お名前は?」

「あさみ」

「じゃああさみちゃん、質問はなにかな?」

「おねえさんたちはさむくないの?」

「ありがとう、少し寒いけど、みんなの笑顔であったかくなったよ。あさみちゃんの優しさでもすごくあったかくなったよ」

 マイアやギパンデスは今逆に暑いくらいだけど、2人のやりとりで心がぽっかぽかに温まった。一華さんって、本当にお姉さんって感じだ。こんな姉がいたらよかったなぁ。

「次の質問はー」

「ギパンデスとマイアってどんな関係なの?」

「じゃあ2人に聞いてみようか、喋るのが苦手だから、文字で書いて、お姉さん達が呼んであげるね」

 フリップで書いた内容は、球団の公式での紹介を書いた。

「2人はいとこ」

「お父さんの妹の子供がマイア……へえーギパンデスのお父さんってどこにいるの?」

 今度は公式でも設定はないぞ、ギパンデスはなんて書くんだろう?

「上野のファミレスの店員……いやいや、なにテキトーな事いってるの!」

 一華さんが背中を叩いてツッコミを入れる、頭を叩くともれなくショッキングな出来事になりかねないからね。

「上野にファミレスなんてないでしょ!」

 上野民に怒られるよ、一華さん。ちゃんとありますから、みんなも誤解しないでー!

「ほかに質問はないかな?」

「マイアってかれしいるの?」

 おーおませな質問を……ここはペンを走らせて、答えを出す。

「かれしはいないよ、だけどみんながいるから楽しいって」

「…………ねえねえ、かれしいるのー?」

 思わず笑いそうになったけど、嘘じゃない。だって夫だから、彼氏ではないんだよね。

 そうしてイベントが終わった頃には、すっかり暗くなり、慌てて家に帰ると、いきなりクラッカーの音がなって腰を抜かした。

「お疲れ様ーこっち来て」

「こ、腰が抜けちゃって……」

「ごめん、じゃあちょっと失礼」

 わたしをお姫様抱っこすると、豪華な食事のあるリビングに連れてこられた。飾りつけもして、わたしの好きなケーキまである。

「結婚記念日覚えてくれてたの?」

「そりゃそうさ、そうじゃなかったらこんなに豪華な食事用意しないよ」

 2人ともお酒が好きじゃないから、代わりにシャンメリーがあって、ソースが綺麗にかかったローストビーフに、オリーブ油を添えたカプレーゼまで……。

「出来合いもあるけど、簡単なものは作ったんだ。どうかな?」

「銃太……」

 わたしは銃太の背中に腕を回すと、頬っぺたに軽いキスをした。

「ありがとう、いつもわたしの好きにしてくれて」

「こっちこそありがとう、野球選手だなんて、先のことも分からない僕を選んでくれて」

 先のことなんて分からない、でも、これからもみんなの笑顔を届けたい、ギパンデスやアフローディアの仲間、上司の森さんと一緒にチームを盛り上げ、ラク之丞や暁さんとも共同戦線を張って野球界を盛り上げ、鹿島兄妹や狼夜選手みたいな辛い思いをしている人に立ち上がる勇気を与えたい。

 そして、今は言えないけど、いつか銃太にマスコットをやっていたと、誇りを持って言える日まで、この人と一緒に、チームは違うけどみんなに、夢を与えられますように。




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