キララと日常
それから週に三回、キララはハクちゃんのところへ通い続けた。
本当は毎日行きたかったけれど、ピアノと塾は真面目にしたほうがいいとハクちゃんに言われてしまったのだ。
元よりやる気のなかった水泳とダンスはサボるようになった。
『誰にも言わないで』というハクちゃんの約束を守り、誰にも話すことはなかった。
ランドセルの中にいつもシャベルを入れるようになった。ハクちゃんの元へ来る度に掘り起こして、話し終わったら土を被せて帰った。
いつもキララは学校のことや家族のこと、家政婦のこと、習い事、勉強のことをたくさんハクちゃんに話した。
「キララちゃん、あの丘の上の大きなお家に住んでるの? すごいなぁ」
「うん! ひいおじいちゃんが建てたんだって!」
「煙突とかあったりして」
「あるよ! 近所でも煙突のある家はあたしのとこだけなの」
「いいなぁー! 私、小さい頃は煙突のあるお家に住むのが夢だったの」
どんな家でどんな部屋に住んでいるかを教えた。
「あのね、今日は姫華ちゃんがレオくんに告白したの! でもフラレちゃったんだー」
「わぁ…それは残念だったね」
「だから姫華ちゃんをなぐさめてあげたの。姫華ちゃんはいっつも変な髪型してるから、それをやめたほうがいいって言ってあげたの」
「わぁ! さすが! 偉いね!」
学校の友達についてたくさん教えた。
ハクちゃんはキララをいつもすごいねと褒めた。
「あのね、算数が分からないの」
「えー? 見せて見せてー! あ、あのね、ここはね…」
ハクちゃんはとても頭が良かった。
学校や塾の先生の誰よりも教え方が上手だった。
「すごいね! ハクちゃんが教えてくれたらすぐに分かった!」
「ふふ…お勉強は得意なの」
「将来、学校の先生になれるよ!」
「……そうかな」
それは無邪気な未来への期待の言葉だった。
子供なら純粋にあって当然と信じて疑わない将来の想像図。
しかしそれは白骨死体にかけるべき言葉ではなかった。
ハクちゃんの悲しそうな声にキララは気づくことが出来なかった。
塾のことやピアノのこと。
家政婦の話。友達の話。両親の話。
「おじいちゃんがね、もうずっと入院してるの」
それは夏休みに入る直前のことだった。
「おじいちゃん?」
「うん。みんな怖い人っていうけど、あたしには優しいんだよ」
「へぇ…キララちゃんが大好きなんだね…」
蚊が飛んでいるのを見て思わず手を叩いた。
パンと高い音が鳴った。蚊はすり抜けて逃げていく。
「おじいちゃん、一月からずっと入院してて、もう長くないんだって」
「うん」
「でも、ママもパパもおじいちゃんのことが好きじゃないからお見舞いなんて行かなくていいって」
「内緒で行けばいいんだよ」
「うん…でもね、明日からママとモルディブに行くの」
「え!? モルディブ!?」
「そうなの。毎年夏休みに入ると海外に行くの。でもママは買い物とエステとかばっかりであたしはひとりぼっち。ずっとホテルにいるからつまんないの。モルディブなんて海しかないし」
「そっかぁ…」
「あ、ねぇハクちゃんは海外に行ったことある?」
「ないよ」
「へぇー!」
キララは無邪気な子供だった。
そして愛情に飢えているため、試し行動という悪癖もあった。
その日、キララはハクちゃんを試した。
きっと優しいハクちゃんなら許してくれる。キララはハクちゃんに好かれていると自信を持っていた。
「海外に行ったことない人なんて、初めて見た! なんかダサいね!」
鋭いナイフのような言葉だった。
お金困ったことがないキララだからこそ言える言葉だった。
「……私ね、貧乏だったの」
あまり自分のことを話したがらなかったハクちゃん。
その日、ハクちゃんは初めて自分自身のことを話し始めた。
私も海外行ったことないです。