9.関わってしまうと、
スピーカーを通して流れる校内放送は、どこか懐かしさを感じさせる。
ゲーム内で輪廻する度に何度も流れた文言を、真面目に聞いている人間はどれほどいるのだろうか。
隣に座る吾妻さんが、えらく真剣に聞き入っているので、俺もそれに倣って初めてきちんと内容を聞いたけれど、次の瞬間には忘れてしまえる程に、無味無臭なものだった。
長い話が終わり、最後に、聞き覚えのある声がスピーカーから聞こえてくる。
牛鬼の声だ。
内容は、新入生代表の挨拶が省略された理由について。
新入生代表は、吾妻咲だ。
俺の隣に居るのだから、あの場で言葉を紡ぐ事は出来やしない。
本日起こった騒動のあらましについてを説明していたけれど、ざっくりかいつまむと、1年B組に人集りが出来てドミノ倒しが発生。怪我人が出た事。
校門付近で同じく人集りが発生し、これを牛鬼が解体した事。
その二つが挙げられていた。
騒動の被害者を除き関与した人間は、本日解散後に学校に対しての奉仕活動――つまり校内清掃と、反省文提出の罰がくだされる様だった。
「牛鬼がなんとかして、囲まれるような事が無くなるといいですね」
「どうして、私が囲まれたんでしょうか」
「可愛いからじゃないですか?」
攻略対象キャラクターだし。乳でけえし。
何の気なしに答えた訳だけれど、横を見ると、吾妻さんが真っ赤な顔をして此方を凝視していた。
「あ、キモかったですか?」
「ちが……、えっと、そんな事、言われた事がなくて……」
「普通に可愛いと思いますよ」
なんと言っても攻略対象キャラクターだし。
うんうんと頷いて見せると、彼女は首を左右にぷるぷると振るうので、おさげ髪がびったんびったん踊り狂っていて少し面白かった。
人間ってこんなに耳まで真っ赤に染め上げる事の出来る生き物なんだなぁ。茹でられた蟹の足みたいだ。
「ただいまーーーー」
そんな吾妻さんを一頻り眺めていると、ガタガタと立て付けの悪い扉が開く。
水無月仁美が帰って来たようだ。
俺と吾妻さんを交互に見遣った水無月仁美は、顔の赤い吾妻さんを見て「如何わしい事しとらんだろうね」と仁王立ちをして見せたけれど、俺は何もしていない。
乳を押し付けられるような困った出来事も無かったので「何も無かったですよ」と答えておく。
「まあ、君はマトモそうだもんね」
歯を見せて笑う水無月仁美の八重歯が光る。
笑うと幼く取っ付きやすい印象を与える要因はこれかもしれない。
顔立ち的には可愛いよりも美人と言った方が 相応しく、面倒見の良いお姉さん風なのに、笑ったその人は可愛らしい人といった印象を受けるので不思議だ。
「それじゃあ田中くんはそろそろ教室に帰りな。吾妻さんはともかく、田中くんは怪我してないんでしょ」
ごもっともだった。
俺としても、御両人とこれ以上居ると何が起きるか分からないので、離れるに越した事は無い。
吾妻さんは、不安そうに眉尻を下げて、眼鏡の奥の瞳を揺らしていたけれど、教室に行くよりもここに居た方が安全に違い無い。
「そうですね、俺は教室に向かいます」
何にせよ、本日起こり得る、全てのフラグは回避出来た。
吾妻さんとの距離は予想以上に縮まってしまったが、今後のことについては、概ね問題無いはずだ。
パラメーター値を見る事は出来無さそうなので予想でしか無いが、知能指数が初期値の現状であるからして、吾妻さんはこうして俺と話をしているに違い無い。
今後、彼女は時を重ねるにつれて俺に興味を失って行くはずだ。
知能パラメーターが地を抉るゲームの中の俺に対して、ゲームの中の彼女がそうだったように。
友達と言った言葉だって、忘れてしまうことだろう。
こんなにもころころと表情を変えて、話し掛けてくれる彼女を見る事だって、もう無いかもしれない。
ゲーム内でだって、笑顔の吾妻咲を見たのは、出会いイベントのスチル一枚切りなんだから。
「田中さん……、どうかしましたか?」
まじまじと見詰めすぎて、気持ちが悪かったのかもしれない。
吾妻さんが不安そうに此方を見るので、俺は極力、笑顔を努めた。
「なんでも、無いですよ」
これから先、吾妻さんは沢山の困難にぶち当たるかもしれない。
行く先々で、あの肉壁にその道を阻まれる事もあるだろう。
それでも、それだって、俺の目の届かない範囲の事であれば、関係のない事だ。
でも――、
「あなたの高校生活が、幸せの多いものであるように、心から願ってる」
それじゃあね。
またねなんて言わないからさ。
バイバイ。
俺にとっては、天使に出会う事が、何より一番大切な事だから。
酷い扱いばかりして、ごめんな。
怪我もさせてしまって、ごめん。
伝えたい言葉は全部飲み込んで。
胸の痛みにも気付かない振りをして、俺は、保健室を後にした。
関わってしまうと、情って湧くもんなんだな。