4.彼女は、声も上げずに泣いていた
旧校舎裏の桜の木の傍には小さな花壇がいくつかある。
春は芽吹きの季節だ。
花の名前の知識なんて全く無いので、綺麗な花としか表現出来ないが、そうした花々が、花壇に盛られた土からぴょんぴょこ顔を出していた。
人集りが出来ているのは、桜の木に一番近い花壇だ。
吾妻咲との出会いイベントは、そこで起きる。
該当する花壇の周りを幾重にも覆った肉壁は、イソギンチャクのびらびらが潮の流れに身を委ねる様に、くぱくぱと伸縮する。
天に向かって掲げられた幾本もの腕が、余計にそう見せるのだ。
そうして、一枚一枚の肉壁――もとい、男子生徒は酷く欲望にまみれた顔をしている。
何処を見ているのか分からない血走った目は先に同じであるが、開きっぱなしになった口からは舌が垂れ、へあへあと息を荒げ、雌犬の尻を追い回す雄犬のようだ。
内へ内へと目指す挙動が、まるで腰をかくつかせている様で、気持ち悪さを助長させている。
時々「あひゃっ」だとか「ぶひゃっ」だとか言語にもなっていない奇声が聞こえるもんで、俺は顔を手で覆った。とても、見れたもんじゃない。
性欲に寄生され、現実世界では無いという免罪符を得た獣たちは、酷く醜い。
あの一等でけえおっぱいがそうさせるのだろうか。
けれど、罪作りなおっぱいだ、なんて冗談でだって言えやしない。
おっぱいは、ただ、柔らかくてデカいだけなのだ。
そこに存在しているだけなのに、騒ぎ立てる、あの獣たちの頭が悪いのだ。
「あびゃひゃ、ひゃっひゃひゃん!」
「や……、やめてください……」
あまりのおぞましさに肉壁から目を背けてしまったが、その中心から、か細い声が聞こえて我に帰る。
そういえば俺は、助けに来たんだった。
さて。王道というものは、王道たる理由があるのだとは良く言ったもので、俺は此処でも声を張り上げることにした。
「牛鬼先生こっちです! 新入生が教室にも行かずたむろしてるんです!」
牛鬼は、生活指導担当の体育教師の名前である。
このゲームをプレイした者で、この教師を恐れない者は居ない。
青春とは教師の意向に反するものだ。我々が楽しい人生を送ろうとすればするほど、この鬼は俺たちを追い立てる。
俺もまた、この鬼に惰眠を貪っては叱られ続けた。
効果はテキメンだったようで、物陰に隠れて一声叫べば、獣たちは一斉にその動きを止め、地を揺らしながら校舎の中へと駆けて行った。
竜巻だって起こせそうな勢いに呆気に取られていると、円の中心に居た吾妻咲は、ずるずるとその場に膝をつく。
――彼女は、声も上げずに、泣いていた。