2.さらばだ、おっぱい(その2)
街路樹に桜の木とは、如何なものなのだろうか。
夏のはじめに赤い実が地面に散らばる謎の木もどうかと思うが、桜は桜で毛虫が湧きそうだ。
虫は嫌いだ。
帰りに他の道を探そうと決意しながら、俺は学校を目指して道を歩く。
ちなみに、裏門を目指していた。
登校中に現れる選択肢。
寄り道をするか否か。これは二度寝をしなかった場合に現れる選択肢だ。
俺は寄り道をしないと選択した上で、裏門を目指してみることにした。
システムに邪魔されるんじゃなかろうかとの懸念はあったが、それはどうやら無さそうだ。
たどり着いた裏門の近くの植え込みに身を隠し、本当にゲームの攻略キャラクターが現れるのかどうかを確認する。
それが此処に来た理由だ。
俺が適当な植え込みに身を屈めると、そこには先客が居た。
ぱっとしない見た目の男子高校生。
ネクタイの色が青なので、俺と同じ一年生だろう。
どうもどうもとお互いに会釈はしたが、何だこの不審者はという視線を投げ掛けられている気がする。そっくりそのままお返ししたい。
ポケットから携帯電話を取り出して時間を確認すると、そろそろといった頃合いだ。
昔懐かしいガラパゴス携帯。何度親に両断された事か分からないそいつをポケットに捻じ込むと、同じ植え込みに身を潜めていた男子高校生が、腰を浮かす。
何だ、こいつは。
尻をふりふりする男子高校生。
いよいよもって不審者が極まっているなと植え込みに隠れられるギリギリまで距離を置いたのと同時に、彼は立ち上がり、門へ向かって一目散に駆けて行った。
駆けて行ったのは、彼ひとりではない。
あちらこちらの植え込みから、飛んで火に入る虫のように、門へ向かって駆けて行く野郎が数十人。
全員青いネクタイをして、まっさらな制服に身を包んでいる。
此処でのイベントは、遅刻しそうになって裏門をよじ登ろうとした攻略キャラクターが上から降って来て、乳に触れるというものだったはず。
見れば確かに、門をよじ登ろうとする、短く切り揃えられた青髪の女の子がいる。
野郎どもはそれに向かって走っているようだ。
赤いマントに向かって行く牛のように、むさ苦しい彼らは門の下で団子になった。
押しては返す波の様に、女の子の真下を目掛けおしくらまんじゅうをする彼らに気付いた女の子は、大きな瞳を溢れ落ちそうな程にかっぴらいて悲鳴を上げた。
真下を陣取る野郎どもはというと、目を血走らせ、彼らもまた溢れ落ちんばかりに、その目をかっぴらいている。
多分、パンツが見えるのだ。そんなイベントスチルがあったはず。攻略本を買って眺めた記憶はある。
運動部系女子特有の、程よく筋肉のついたむっちりむちむちの太腿もご覧頂ける事かと思う。
目前にニンジンを吊るされた馬の様に、頭をがくがく振るい、両の手を天に掲げ唇をぶるぶると震わせる野郎どもの気持ち悪さは目を見張るものがある。
地獄絵図から目を逸らす為に足元をみれば、そこには黒い財布が落ちていた。
マジックテープ式のそいつをジジジと開いてみれば、それはどうやら先程植え込みに相席していた彼のものの様だった。
収められていた保険証に彼の名前が書いている。
あああ ああ、さんと言うらしい。
渾名はあーくんだろうか。
何はともあれ、俺は此処で確信した。
あいつら全員、俺と同類なんだな、と。
ストーリーを知っているが故に、虫みたいに群がって来たのだろう。
女の子の悲鳴に誰も駆けつけないとはご都合主義のギャルゲーである。
彼女は驚きのあまり足を踏み外してしまったらしい。
何とか腕に力を入れて落ちまいとする彼女の健気さに心を打たれた俺は、一役買ってやる事にした。
「おまわりさん! こっちです!」
大きな声で叫んでやると、野郎どもはその気持ちの悪い動きをぴたりと止める。
それからガン開きの恐ろしい目で辺りをキョロキョロと見回した後、一目散に退散して行った。本当に虫のようだ。虫は嫌いなので背筋がぶるぶると震えてしまう。
ゲームの中だとわかれば、人は此処まで素直に己の欲望の赴くままに行動出来るのか。
最早感心してしまう。
一人になった女の子が地面にしたたか尻を打ち付けるところまで見届けて、俺はイベントスチルを一枚も手に入れなかった事に、胸を撫で下ろした。
転んでいる女の子が居るのだから手くらい差し伸べるべきかもしれないが、近付くと乳を押しつけてくるかもしれない。このゲームの攻略対象は無自覚を掲げた痴女ばかりだ。
俺は俺の天使と会う為に、ひとつのイベントだって起こしてはいけないのだから、植え込みから出るリスクは犯すべきではない。
「大丈夫か?」
けれどまあ、安否確認くらいはするべきだ。
声を掛けてみると、女の子はびくりと肩を揺らす。
あんな事があったのだから、それはそれは恐ろしいだろう。
「アンタが助けてくれたの……?」
「とても吐き気のする光景だったもんで」
「確かにね」
くすりと笑った彼女は、辺りをきょろきょろと見回す。俺が何処にいるのか探しているのかもしれない。
「出てきてよ! お尻痛くて立ち上がれないの」
「救急車は必要か?」
「それほどじゃないよ」
「そうか、それじゃあ俺はもう行くよ」
「え、置いてくの!?」
「出て行くわけにはいかないからな」
とは言え、見つからないように此処を去るには匍匐前進をする他無い。
新品の制服は土埃に汚れてしまうけれど、背に腹は変えられない。
女の子はまだ何かを叫んでいたが、俺は匍匐前進を開始した。冬の終わり、約一年後に会える、天使の為に。
バツボタンの代わりに俺の身体が摩耗し擦り切れようとも、俺は天使のためなら頑張れる。
さらばだ、名も知らぬ第二のおっぱい。
お前に触れる未来もまた、何が何でも回避してみせる。