19.羨ましいよ
「どうぞどうぞ、まあ寛いでください」
「……アンタ、神経図太いよね」
用務員室のソファーへ堂々と腰を下ろし、向かいのソファーへ三条遂叶を促したのだが、どうやら何か気になる事があるらしい。
首を傾げてみせると、三条遂叶はこれみよがしな溜息をひとつ吐いてから、ソファーへ腰を下ろした。
「本当に、用務員さん来ないの?」
「来たことは無いですね」
ふああと欠伸を溢しながら答えると、また溜息。
いつかの俺のように酸欠が危ぶまれる。
「幸せ逃げますよ」
「誰の所為」
「少なくとも俺じゃないですね」
顔に突き刺さる視線だけはどうにも落ち着かないけれど、テーブルを挟んで此処まで距離が空いていれば、前の様に掴みかかられる事も無いだろう。
俺は、安心して、ソファーの上で、横になる。
空き教室は机が群れを成しているので、その上で寝転がっているが、ソファーの方が万倍寝心地が良いな。
「寝ないでよ」
「聞いてますよ」
「聞く態度じゃないじゃん」
「逃げてはないでしょう」
目をつむる。そもそも、何度でも述べるが人と顔を突き合わせて話をする事が得意では無いのだ。
こうしていれば、向かい合って話す必要もないので、幾分か気が楽だった。
「鳳凰鴎太が、アンタには好きな人が居て、その人に勘違いされたくないから吾妻さんを避けてるって言ってた」
「概ね間違って無いですね」
天使の事、そんな風に説明したのか。
伝えた通り、ざっくりと言えばそんな所なので非常に助かる限りだなぁと、ぼんやり思ったわけだが、三条遂叶は、酷く気に食わないといった声音で話す。
「じゃあ、何ではじめに助けたの」
「虐めは傍観者も加害者だって言うでしょう。吾妻さんが困ってそうで、自分ではどうにも出来なさそうだったから」
「友達って言ったのは?」
「吾妻さんが、友達出来るか不安だったって、笑うから」
そうして友達になれば、あの場所であれ以上恋愛イベントが起こる事は無いかもしれないって、打算もあった訳だけれども。
あの時の吾妻さんの笑顔は、ぎこちなくて。
花のつぼみが、ゆっくり綻んでいくみたいな、笑顔だった。
その笑顔を思い出してしまうと、少し申し訳ない気持ちになってしまう。
「どうせ忘れるだろうなって思ってたんですよ」
「……なんで?」
「吾妻さん、可愛らしいでしょ。きっとすぐに他の友達が出来て、忘れるだろうって。クラス遠いし」
「…………でも、覚えてる」
「結果論じゃないですか。友達出来るか不安だって言ってたから、一人目になって。あとは自然に増えて、一人目なんて忘れるだろうなって思ってたんだ」
知能パラメーターの低い俺の事を、ゲームの中の吾妻咲は、ウンコを見るような目でしか見ていなかった訳だし。
もう少し、自我がある事を考慮していれば良かったなぁ、なんて、少し後悔はするけれど、俺には譲れないものがある。
「やっぱり、吾妻さんには会えないですよ。本当に好きなんです、俺。相手は名前も知らない子なんですけどね」
授業中の校内はどこもかしこも静かなもんで、そんな恥ずかしい台詞が、用務員室に響いて消える。
でも、嘘ではなかった。本当に譲れないくらい。俺は俺の天使に会いたいと思ってるんだ。
言葉にすればする程、それだけが何よりも大切な事なんだって、実感出来た。
「羨ましいよ」
三条遂叶の声は、震えていた。
重たい目蓋を押し上げて、彼女を見れば、彼女の瞳は再び涙に濡れていた。
俺の小便騒動のせいで引っ込んだそれが、戻って来たのかもしれない。
「羨ましいですか? 片思いですよ」
「アタシは、そんなに、何かが大切だなんて思えた事。一度も無いから」
心の中に抱えていたものを、そっと吐露するみたいに。
俺に言ったところで、何にもなりやしないのに。
三条遂叶は、それでも語る。
強がりな彼女の、柔らかな部分の話だ。