15.πとπの正面衝突
おっぱいとおっぱいがお見合いしてるから!!!!
三条遂叶。彼女は、俺の胸倉を掴み上げたは良いけれど、如何程の腕力ゴリラであろうが所詮は雌ゴリラだ。凄みが足りないと思ったのか、ずいとその端正な顔面を俺に寄せる。
身を寄せた彼女の胸元も、やはり俺に寄る。
太古より、ボーイッシュキャラは貧乳と決まっている。
それだと言うのにこの三条遂叶、改めて距離が寄れば、思ったよりも、それの距離感が近い。迫り出していなければ、此処までの存在感は感じまい。
その膨らみがそこそこの大きさである事が認められる。
冷静を努め、状況整理に励んでみてはいるものの、俺の頭は酷く混乱していた。
おっぱいをおっぱいで洗う惨劇とは言ったが、俺のおっぱいを相手取るのは勘弁願いたい。切実に。
「ねえ、聞いてんの?」
「聞いてる……。から、離れてください」
抵抗する為に、何とか腕を前にならえし、三条遂叶の肩を掴む。
そうして目一杯押してやったのに、何と、この三条遂叶はびくともしない!!
俺はこれでも一応男なのに!
パラメーターというものは絶対らしい。三条遂叶の運動パラメーターは、きっと俺よりも高いのだろう。
最早、絶対絶命。πとπの正面衝突不可避かと思われた、その瞬間。
神は俺に、救いの手を差し伸べた。
「あ! いたいたコタ……え、修羅場?」
「鴎太……! 助けろ……!」
なんて有能な糞だろうか!
ウォシュレットの刑だなんて言って悪かった。ごめんごめんごめんなさいと謝罪の言葉を心の中で叫びながら、俺は鴎太に助けを求める。
情けない話だが、俺一人の力ではこの三条遂叶は、どうにもならない。
「…………鳳凰鴎太」
鴎太が現れた事により、此方が有利になったからだろうか。
三条遂叶は、強く強く握っていた俺の制服を離した。
えらく、あっさりと、だ。
俺は全力で三条遂叶に向かって力を加えていた為、自分の身体を支える事を失念していた。
ふかふかの土へ背中からダイブし、潰れたカエルのように「ぐえ」と声が漏れ出る。
焦った様子で駆け寄って来た鴎太は「大丈夫かよ……」と少し引いたような目で俺を見ていたが、この戦い、どうやら俺の勝ちのようだ。
三条遂叶はどういう事か、先程までの勢いを失い、急にしおらしくなっている。
「とにかく、伝えたし。明日も来ると思うから、アンタ教室で待ってなよ」
負け犬の遠吠えのようだ。
三条遂叶は捨て台詞のように、そんな言葉を残して、本校舎の方へ向かって足早に去って行く。
汗が一気に吹き出して、身体中の力が抜ける。
そんな俺を起こそうと、鴎太は必死に俺の手を引いていた。が、無視しておく。
それよりも重大な問題が発生しているのだ。
はたして、これは、公式イベントなのだろうか?
「なあ、コタロー。立てよー」
俺は恋愛イベント回避の為に、最低限の「なあって」知識は頭に「聞いてんのか?」入れて「大きなカブじゃねーんだからさあ!」、なんだよカブって。
「鴎太」
「なに!」
「うっせーわ」
「ひど!!」
兎にも角にも、俺の知識に、こんなイベントは存在しない。
ゲーム知識に関しては、決して多いとは言えないが、周回プレイをする中で、起こり得るイベントをざっくりとは認識しているつもりだったのに。
そもそも、吾妻咲を蔑ろにしている主人公を三条遂叶が問い詰めにくるというイベントが存在するのは、おかしくないか?
主人公が攻略対象キャラクターを放置する場合、それは別の攻略対象キャラクターに対してアプローチを掛けているからだろうに。
攻略対象キャラクターに自我がある所為で、ゲーム内には存在しないイベントが連鎖的に生まれ続けている?
だとすると、これは大変不味い事になってきた。
全恋愛イベント回避の難易度が、爆上がりしてしまう。
今のイベントは、吾妻咲との出会いイベント後に起きる強制イベントか? 吾妻咲の恋愛イベント? 三条遂叶の恋愛イベント?
選択肢が存在したと仮定するならば、三条遂叶に従い、吾妻咲に会うか、会わないか、か?
――これは、他のプレイヤーにも、協力を仰いだ方が良いかもしれない。
「なあ、鴎太」
「なんだよ、てか、いい加減立てって!」
この半月間、聞こえてくる噂話をまとめると、おそらく一年生男子生徒に関してはほぼ全員が同類――俺のようなゲーム外からの転移者だと考えて、間違い無い。
皆、程度は違えど、攻略対象キャラクターの内誰かに対して好意を抱いているはずだ。
俺が早々に離脱を宣言すれば、攻略対象キャラクターと俺が絡む展開の回避に協力してくれるかもしれない。
そうと決まれば、まず手始めは、鳳凰鴎太にしよう。
いつも側をついて回っているし、都合が良い。
「俺の推しさ、誰かって聞いたよな」
「ん、ああ。聞いたけど」
「俺の推しさ、ピンク髪の幼なじみキャラの、あの女の子の友達なんだよ。一年目の終盤と二年目の終盤と、卒業式の日に出て来る」
鴎太は、ぽかんと口を開け、目を丸めて、酷く驚いた様子だった。
それから、考え込むような素振りを見せる。
掴んでいた俺の手を離し、自身の顎に手を当て、言いにくい事でも口にするみたいに、勿体ぶって、口を開く。
「――そんなキャラ、いたっけ?」
――その言葉を耳にした途端、刺すような痛みが頭に走る。
きいいいんと断続的な耳鳴りに襲われ、上も下も、右も左も全て混ぜこぜになったような感覚に襲われる。
『そっかーーーーー! 話すか! まあ、話すか! 折角確認出来ないように、ゲームは消して、検索も出来ないようにしたのになあ!』
頭の中に、声が響く。
機械音じみた声。それを更に、拡張機を使う事により、音質を低下させたような音。
『ほんっとはもうこれ以上弄りたくないんだけどなーーーー! コタローも弄りすぎてどんどん良く分かんない奴になって来たしさーーーー! 進まないからって、特殊スキルで高位適応能力なんて振るんじゃなかったわーーーー!』
何の、事だ? 弄る? 俺を?
特殊スキル? 適応能力?
『でもこれはしゃーないか。うん、しゃーないわ。じゃあ、まあ、うん、これで良し。暫くはデバッグに奔走だけど』
ああ、そうだ、俺、この声何度も聞いた事、あるな。
聞いた後は、そうだ。確か――、
『じゃあ、クイックロードで。よろしくお願いします』
そうして世界は、ぱちんと弾けて、白になった。