145.初恋の人
「オレのさ、大切な人の話してもいい?」
隣を歩く鴎太が、独り言みたいに呟いた。
声音ばかりは落ち着いているのに、繋いだままの鴎太の手は、ほんの少し震えている。
「……大切な人?」
「うん。……オレの、初恋の人」
壊れ物を扱うみたいに、大切に言葉を選んで音にしたみたい。
そんな風に感じてしまうくらい、優しい優しい声だった。
「……どんな人だったのかな」
「綺麗で、物知りで、不思議な人だったよ。……優しい人で、食いしん坊で、可愛らしくて。姉さんみたいな人だった」
鴎太には、自分の事がそんな風に見えていたらしい。
私は、背伸びをする事に必死で、強がって、知識をひけらかしていただけなのに。
優しくしていたのだって、下心があったからなのに。
返す言葉が見つからなくて黙っていると、鴎太は困ったみたいに笑って、それから反対側の手で頬を掻いた。
「オレさ、最近その人に会ったんだけど。もう会えないみたいでさ」
「……鳳凰くんは、その人に会いたいんだね」
「……ダメなんだけどね。本当はそんな事望んじゃいけないんだ。オレがオレの幸せを望むと、不幸になる奴がいるから」
「不幸になる人は、不幸にさせていたら良いじゃない。鳳凰くんが幸せなら、それで良いんじゃないかな」
まるで、言い訳をしているみたい。
でも、私にとってはそれが全てだ。
鴎太が幸せなら、それで良い。でも、私が居ると鴎太は幸せにはなれなくて――いや、違う。私は疾うに気付いている。解っている。
鴎太の為だなんて言って、本当は私の為だ。
だから鴎太がこの世界を捨てるだなんて受け入れられなくて。鴎太に普通の高校生活をなんて言い訳をして、会わない様にしている。
糾弾されるのが、恐ろしいから。
鴎太に、死を選ばせる未来が、見えていたから。
「ねえ、二ノ前さん」
「――何かな、鳳凰くん」
「オレと友達になってくれないかな」
足を止めて、此方を見る鴎太の瞳に映るのは相変わらず二ノ前満月だ。
目を逸らしてしまいたくて、逃げ出してしまいたくて。けれども、まるで縫い付けられてしまったみたいに、私は目を逸らす事が出来なかった。
鴎太があの日と同じ顔をして、笑うから。
ひとりぼっちで、孤独で、それなのに笑ってみせて。
そんな顔が酷く美しくって、寂しくて。
手を伸ばしても、伸ばしても、誰もこの手を取ってはくれなかった日の事を思い出して、私はその手を取らずにはいられなくなってしまうんだ。
「鳳凰くんは、友達だよ」
「そうじゃなくて、」
「……そうじゃなくて?」
「もう、……疲れたんだ」
ああ、そんな事を言わせたかった訳じゃないのに。
どうすれば良かったんだろうか。
あの日あのまま鴎太を見殺しにする事が正解だったとでも、言うんだろうか。
私の我儘で、鴎太を苦しませてしまっているんだろうか。
田中小太郎こそが、正しいとでも、言うんだろうか。
私は、――間違っているんだろうか。
「……わかったよ、友達になろう」
「――ありがとう」
泣いてるみたいに笑って、それから鴎太は後ろを振り返る。
「オレ、随分走っちゃったんだな。コタローたち、まだ来てないじゃん」
「鳳凰くん、結構足早いんだもん。追いかけるの大変だったよ」
「鴎太って呼んでよ。オレも、ミツキって呼ぶからさ」
穂波とは、呼んでもらえない。
それでも私は、何でも無い顔で「わかった、鴎太くん」なんて、返事をする。
二ノ前満月の演技も随分と慣れてしまって、こんな事なんでも無いはずなのに。
何処かに忘れて来てしまった心臓が、悲鳴をあげている気がして、誤魔化すように、前を向いた。