140.眩しいよ
「それで、結局ダブルデートはどうなったのかなぁ」
「……水無月さん、どうして用務員室に来るようになったんですか」
「サボり魔が現れるって知ったもんだから」
けたけたと笑いながら、水無月仁美がコーヒーをいれる。
とは言え、インスタントのそれだから、粉末を入れてお湯を注ぐだけの簡易なものだ。
「それで、どうだったのさ」
電気ケトルの電源コードを弄びながら、尚もしつこく聞いてくる。
そんなに気になるもんでも無いだろうに。
「どうって、何ともありませんでしたよ」
本当に、何とも無かった。
三条さんが鴎太の事を回収した後は、何故か男女別の行動になり、俺は立ち止まり固まる鴎太の尻を蹴りながら歩いた。
早々に現地解散になった後、三条さんは穂波と喫茶店へ行ったらしく、後からメールで『楽しかった』と報告が来た程度のものだ。
「田中くん、これあけて」
ケトルに水を注ぎながら、瓶を顎で示してみせるので、俺は重たい腰をあげて、水無月仁美の元へ向かう。
片手で手渡された瓶の蓋は、びくともしない。
ステータス値が低いので、当たり前といえば当たり前だ。
それを見た水無月仁美は、殊更に楽しそうに笑ってみせた。
「田中くんは最近部室には顔を出さないんだねぇ」
耳敏い、とでも言おうか。
水族館へ行った件も話した覚えは無いし、部室も別に顔を出した訳では無いだろうに。水無月仁美は、何でも知っているようだ。
ともすれば、理由だって察していそうなもんなのに、水無月仁美は敢えて問い掛けているんだろう。
「女の子同士で仲良く出来てるなら、俺が入るのは邪魔かなぁと思いまして」
「田中くん以外の子が言ってたら拗ねてるのかなーって思うけどさぁ。君っておっさん臭いよね」
若い子の輪に入れない気持ち理解出来るわぁと、そんな事を独りごちてはいるけれど、この人に言われると首を傾げてしまう。誰よりも、人に取り入る事が上手いくせに。
「前よりは男前な顔してるね。悩みは晴れた?」
いちいち突っ込む気にもなれない。
俺が苦戦している瓶を、手の中からひょいと掠め取って、難も無く開けながら、水無月仁美は一人で頷く。
「私なんかはさ、もう色んな事を諦めちゃってるけど。少年にはまだまだ戦わなきゃいけないものがあるんだろうねぇ」
少年という歳では、ないんだけれど。
言えはしないので、相変わらず黙ったままでいると、水無月仁美はコーヒーカップを差し出した。
「そんな君たちが、私は眩しいよ」
俺も、眩しいよ。
やっぱり何も言葉を返せやしない。
誤魔化すみたいにコーヒーを啜りながら、ソファーへ戻る俺の事を、水無月仁美は咎めない。
相変わらずの笑顔のままで、なんだかとても微笑ましいものを見る目で、ただただ見ていた。
―――
サボり魔が、なんて言っていたくせに。
水無月仁美は、コーヒーを飲み終えると、すぐに出て行った。
仕事中なのだろうし、ただの差し入れだったのだろう。
する事も無くてぼんやりしていると、携帯電話が震える。
取り出して、確認すると、未登録の番号からの着信だ。
五十嶋桂那の番号は登録したし、他の心当たりなんてなかったけれど、取り敢えず出てみる事にする。
「はい、もしもし」
『……もしもし』
聞き覚えのある、声だった。
「…………穂波?」
甘い、砂糖みたいな声。
二ノ前満月の振りをしている時ほどでは無いけれど、それでも甘ったるさを感じる声。
穂波が、俺に接触してくるなんて、あんまり良い予感はしなかった。
おまけに、随分と神妙な様子で、小さく『うん』と返事をするもんだから、背中を嫌な汗が伝う。
「何か用?」
『……私と、……手を組まないか』
俺が、穂波と手を組む?
――何を言っているんだ。
心臓が早鐘のように鳴っているのが分かる。
その先の言葉を聞いてはいけない気がするのに、それでも携帯電話から耳を離す事が出来ない。
ごくりと、生唾を飲み下す音で我に返って「どういう意味」とだけ、返事をする。
『私が、間違っていた。鴎太は、こんな世界を望んではいなかった。……私のエゴで、沢山の不幸を作り出してしまったから』
「それは、世界を壊して――」
『この世界の、ループを取り消す』