137.ちょっと、話そうか
チケットを窓口で出して、入館を果たした鴎太は、一目散に駆け出した。
躾のなっていない犬を散歩する飼い主みたいに、連れて行かれた二ノ前さんの背中に心の中で合掌をする。勿論、追いはしない。
そもそも、ダブルデートで水族館だなんて、別行動する気満々のチョイスな気がする。
遊園地なんかであれば、一緒にアトラクションを回るから、必然的に団体行動だ。――この面子で、遊園地を選ばれるとそれはそれで地獄なので、それが良かったって訳では無いけれど。
「あはは、本当に、鳳凰すごいね」
「小学生でもあんなに喜びやしないよな」
結局別行動になった俺と三条さん。もうきっと追い付く事も無いんだろうなと思ったけれど、その予想は意外にも裏切られた。
入って初っ端にある小さな水槽の所に、大人しくなった鴎太がいた。
近付いてみると、きらきらした瞳で、その水槽を凝視している。
水槽を展示しているんじゃないかと思えるくらい、小さな小さな魚の泳ぐ水槽が、鴎太はよっぽど気になるらしい。
取り敢えず十分は待ってみたが、一向に動く気配は無い。
そう言えば、日向も、小さな頃に動物園に行った時。ペンギンの前で二時間動かなくなった事があったし、子供ってそんなもんなんだろうか。
「えっと……、先、行っててもいいよ?」
蚊の鳴くような声で、穂波が鳴いた。
何かを企んでいるなら、俺と三条さんの側に居たいだろうに。それでも、鴎太の手を振り解く事も出来なければ、先を促す事も出来ないらしい穂波は、折れた。
此方を見た三条さんの顔には『どうしよう』と書かれている、みたいに見える。
「行こうか、三条さん」
「……うん」
三条さんは少し迷ったような素振りを見せて、それから小さく頷いた。
三条さんも、鴎太と二ノ前さんを引っ付けたい訳だから、側に居たいのかもしれない。
とは言え、この状況では外野は邪魔以外のなにものでも無いだろう。
鴎太を待っている間に周囲の水槽は見て回っていたので、次のコーナーへ移動する。
薄暗い館内は、酷く静かだ。流れる水の音と、時々他の来館者が声をひそめて会話する声。雑音というには心許なくて、何か話をしなければいけない気に、なってくる。
「思ってたより、規模は大きくないんだね」
「商業施設に隣接してる所だからね。海の方に行けば、おっきい水族館もあるんだよ」
取り立てて意味の無い会話は、一往復で終わってしまった。
重たく鎮座する沈黙から逃れるために話題を探していると「コタ」と名前を呼ばれる。
「どうかした?」
「満月ちゃんはさ、ちょっと悲しそうだったよね」
悲しそう、そう言われてみれば、そうかもしれない。
照れている風には見えなかったし、何かを考えているように見えた。
俺は、きっと何か目論みが外れたのだろうと解釈したが、三条さんにはそれが悲しそうに見えたらしい。
「なんかさ、辛そうだった」
不安そうに、俺を見る三条さんの瞳は揺れていた。
優しい子だから、友達になった穂波の様子が気になるんだろう。
「ちょっと、話そうか」
館内には、所々ベンチが設置されている。
その中で一番近いものを指差して促すと、三条さんは小さな声で「ありがと」と礼を言う。
少し気不味そうにしているのは、自分が俺の思惑と外れた行動を取っていることを、気にしているんだろう。
俺は利用しようとしていた訳だから、そんな事、気にしなくても良いのに。