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131.こんなところで何してるのかな





 それからは数日、雨の日が続いた。

 部室に行く足が重くて、サボりの場所を用務員室に移した所、前よりも噂話が耳に届く。

 本校舎の昇降口近くなんかにあるものだから、現実逃避には適していない場所だったのだ。


 噂話の大半は、攻略対象がとある部室に勢揃いしている、というものだ。


 ある意味、この世界の最も良い形なんじゃないかと思えて、笑えてしまう。


 世界を壊すなんて、最早俺一人の望みでしか無いのかもしれない。

 いや、それでもエゴを通すと決めたじゃないか。


 堂々巡りの思考回路をぶん投げて、惰眠を貪ろうと目を閉じたのとほとんど同時に、用務員室の扉が開く音が聞こえた。


「ん、こんなところで何してるのかな。少年」


 落とした目蓋を押し上げなくても、声の主の判別がつく。水無月仁美だろう。

 用務員室に彼女が現れた事なんて、俺が知る限り一度も無かった。多少驚きはしたけれど、まあ、本来此処が居るべき場所ではある。

 ソファーに寝転がったままで居る俺を、水無月仁美は放っておいてはくれなかった。


「私に用かな? でも此処に私が居ないの知ってるじゃんね」

「そうですね」

「もしかして私が居ないからって、サボり場にしてる?」


 当たりなので、答えない。

 そうして目を瞑っていると、額を何かがくすぐった。

 これには流石に目を開く。そうすると、俺を見下ろす彼女の瞳と、視線がぶつかった。

 やんわりと目を細めて俺を見ているその様は、聖母のようなと形容できそうなくらいに、穏やかだ。

 穏やかな表情で、俺の額を撫でている。


「悲劇のヒロインみたいな顔してんのね」

「……俺がですか?」

「うん。君がだね」


 まあ、たしかに。

 こんなところで一人いじけている俺は酷く滑稽かもしれない。

 客観視すると、途端に顔が熱くなるもんで。

 逃げるみたいに、目蓋を伏せた。


「田中くん、意外と睫毛長いね。羨ましい」

「全くいらない情報ですね」

「うん。そうだねぇ」


 水無月仁美は何も言わない。

 ただただ、俺の額をそろりそろりと撫でているだけで、責めるわけでも無く、慰めるわけでもなかった。

 だったら干渉せずに居てくれれば良いのに。

 ――いや、此処は彼女の居るべき場所だ。勝手に立ち入って放っておいてくれなんて、流石に我儘が過ぎるだろうか。


 いっそ、寝てしまうか。


 そんな事を考え始めた頃に、小さく、声が降って来た。

 水面が風でさわさわ揺れるみたいに。小さな小さな声で「君を見ていると不安になるよ」と、独り言みたいに呟くのだ。


「俯瞰するみたいに物事を見ていて。とても高校生の男の子には見えないんだからねぇ」


 俺は高校生ではないから。

 勿論答えやしないけれど、水無月仁美は返事なんて求めていないみたいだ。


「全部上手くなんて出来ないもんだよ」

「それでも上手くやらなきゃいけないんですよ」

「田中くん。例えばね、君が今どうしても、いちごのショートケーキを食べなきゃいけないとしようか」

「……はい?」

 

 脈絡の無い言葉が飛んできて、思わず目を開いてしまった。

 依然、目の前にある彼女の瞳を覗き込むと、その瞳は目蓋に隠れてしまう。

 俺の額に添えられていた手を離して、人差し指を立てて。まるで立派な大人が高説を垂れるみたいに、水無月仁美は言葉を続ける。


「けれど田中くんは、いちごのショートケーキを食べられなかった。君がどうしようもない絶望の只中に居たとしようね。手の届かなかった甘いものが欲しくて欲しくてたまらないし、手に入れられなかった自分には存在価値が無い気さえしてしまう」


 比喩表現なのだろう。

 成すべきことを成せなかった自分を、責めるなと言いたいのだろうか。

 そんな事を考えながら続く言葉を待っていると、水無月仁美は、小さく笑った。


「けれどね、私は思うわけさ。田中くんは、チョコレートケーキだって、チーズケーキだって食べる事が出来るのに」

「……何か勘違いしてません?」

「え? 失恋くんじゃないの?」


 俺が本当に『失恋』していたとしたら、その『失恋くん』って呼び方は心を酷く抉りそうだ。

 ぱちぱちと瞬きをして、間抜けに目を丸めた水無月仁美は「なあんだ」と、えらく安心した様子で息を溢す。


「見当違いな話をしてしまったねぇ」

「惜しいところではありましたよ」

「そっかそっか。私はてっきり、傷付いた事の無い少年が初めて傷を負った現場に出会してしまったかと思ったよね」

「どうしてそうなるんですか」

「慰めて欲しそうな顔をしているもんだからねぇ」


 俺、そんな顔をしていたのだろうか。

 だとすると相当恥ずかしいものがある。

 照れ隠しで半身を起こして、顔を背けると、水無月仁美はけらけらと楽しそうに笑った。



お久しぶりです。前回投稿から酷く間が開いててしまいました。申し訳ありません。

投稿再開させて頂こうと思います。この章が終わるでのストックは用意しているので、一週間は毎日投稿の予定です。お付き合い頂けると嬉しいです。

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