128.協力してよ
「こんな人気の無い所まで連れてこられて、わたしどうなっちゃうのかな」
「別に、二ノ前さんに何かしようなんて思ってないし」
「そうなの? 顔貸して、なんて、びっくりしたんだよ」
階上から聞こえてくる声に、耳を澄ませる。
曲がって降る階段に腰を下ろして、俺と五十嶋桂那は二人の会話を聞いていた。
ぎこちなさを感じる三条さんと比べて、二ノ前満月は警戒心を感じさせない軽やかな口振りだ。
夢の中の『穂波』は人との関わりが得意そうには見えなかったので、この世界で培ったものなのだろう。
「それで、話って何かな?」
声は、例えば明日の天気を問うくらい、ふわふわした呑気な調子だった。
まるで相手の喉元に刃を滑らせるみたいだ、と思ったのは、俺が彼女の事を少なからず知っている所為なのだろう。
自分に対して悪い印象を抱かれていないと、捉えたらしい三条さんは、少し落ち着きを取り戻して「二ノ前さんと、話がしてみたかったから」と答えた。
「あの……、ほら。二ノ前さんってさ、鳳凰の事、好きでしょ」
えらく、真っ直ぐな言葉だった。
言葉が返ってこない所を見ると、二ノ前満月は反応に困っているのかもしれない。
俺は三条さんと、会話内容に関して事前の打ち合わせは一切しなかった。
三条さんが二ノ前満月に対して何か優位に立つ事が出来るとしたら、それは三条さんの素直さが二ノ前満月に届いた時だろう。
俺が何かを言い含めれば、その素直さは削がれてしまう。
だから何も口を出さなかった訳なんだけれど、これは流石に、多少のアドバイスくらいはした方が良かったのかなと、後悔した。
隣で身を屈めた五十嶋桂那が、俺に哀れむような目を向けてくるので、その後悔もひとしおだ。
「誰かから、聞いたのかな?」
「……コタから聞いた」
――バラすんだ。
ちょっと今すぐ割って入りたい衝動に駆られたしまったけれど、二ノ前満月の反応は、存外悪いものでは無かった。
「あはは、それ、バラしちゃうんだ」
「うん。いいかなって。――ちょっと、アタシの話聞いてくれる?」
「うん、いいよ」
声が弾んでいる。
面白がっているのかもしれない。
三条さんを俺が差し向けた事は、最早バレているだろう。
圧倒的優位に立った二ノ前満月は、余裕たっぷりに待ちの姿勢を貫いている。
「アタシさ、コタのこと。……好きなんだ」
五十嶋桂那の、キラキラした黄金色の瞳が俺を突き刺す。
子供みたいなまん丸の瞳が此方に向けられるので、居た堪れなくて目を逸らした。
本当に、もう、止めに入ろう。
場を乱せば、きっと二ノ前満月は時間を巻き戻す。
三条さんに協力を仰いだ事は無かったことにしよう。
そこまで考えて腰を浮かせた俺は、そのまま尻をすとんと階段に戻された。
五十嶋桂那が、俺の手を掴んで、この場に留めたのだ。
淀み無く流れるような動作で身を寄せた五十嶋桂那は、俺の耳もとで「大人しく」とだけ囁いてみせる。
誰一人として、俺の手のひらの上で踊らせることなんて、出来やしなかったんだ。
皆が皆、自分の恋に、貪欲な世界だから。
分かっていた、はずなのに。
「アタシ、コタのこと落としてやるって言ったのに。まだ、何にも出来てないんだ」
決意表明みたいだ。
三条さんは、俺が此処に隠れている事を知っている。
だから、俺が聞いている事を前提として、話している。
この言葉は、俺にも向けられた言葉だった。
むしろ、俺に向けられた、言葉なのかもしれない。
「二ノ前さんの恋、叶えてみせる。協力するから、アタシの恋、協力してよ」
二ノ前満月の笑顔が目に浮かぶ。
綺麗に口元に弧を描いて、笑うんだ。
多分寸分も違わない表情で、笑っていると思う。
何せ、二ノ前満月の返答は「いいよ。とっても素敵」だったから。
俺が、三条遂叶に心を囚われれば囚われる程に、俺は自由に動けなくなる。
三条さんを俺の首輪にする為に、二ノ前満月は承諾したのだ。
最悪でしかない。
項垂れた俺の手をようやく離した五十嶋桂那もまた、笑っていた。
「そうだねって、言ったね」
小さな小さな五十嶋桂那のその声は、まるで呪いみたいに、耳の奥に、こびりついた。
全員が幸せに、なれれば良いのに。
その全員には、どうやら俺も、含まれているらしい。