124.私の願いを、叶えてください
「私を、利用してください」
目の前のその手を取れば、俺は随分と行動し易くなるだろう。
けれど、それは本当に文字通り『利用する』という事だ。
吾妻さんを利用した結果、吾妻さんも五十嶋さんのように『記憶喪失』になるかもしれない。
「出来ない、よ」
「何が問題ですか?」
「その、俺は危ない事に首を突っ込んでいて……」
「そうなんだろうなと思っています」
「――俺が吾妻さんを利用したら、」
「五十嶋さんの様になりますか?」
自然に視線を下げてしまっていた俺を覗き込むように、吾妻さんが視線を合わせる。
「ねえ、コタローさん。私は、とってもずるいんですよ」
それは、いつか聞いた台詞だった。
周知の事実でしょうと言わんばかりにくすくす笑って、吾妻さんはとびっきりの悪女みたいに、また綺麗な弧を描く。
「コタローさんのせいで、私がああなったら。コタローさんは私のことを忘れられなくなっちゃいますね。遂叶ちゃんの事なんて目じゃないくらい、気になって仕方が無くなる」
歌っているみたいだった。
痞える事もなく、彼女の声だけが部室内に響く。
それから、取ることの出来なかった手が更に俺の方に寄せられて、そっと俺の手を握った。
「正直、五十嶋さんが羨ましいんです。遂叶ちゃんがずっと側に居てくれて、コタローさんもずっと気に掛けてる。邪魔ですよね?」
「邪魔……?」
「ええ。なんで、私は一刻も早く五十嶋さんに記憶を取り戻してほしいし、叶うことなら、私が記憶喪失になりたい」
無茶苦茶だった。
全てが俺の都合の良いように、喋っている。
でも理屈は通っていて、それが、素直で無い吾妻さんなりの、優しさなのかもしれない。
「私の願い、叶えてくれますか?」
選択の余地なんてないとでも言いたげに、またエメラルドが光る。鈍く、光る。
「俺は、本当に、自分の力で何も出来ないやつだな……」
「もし貴方が自分の力で何でもこなしてしまう、スーパーマンみたいな人だとしたら。私は貴方の事なんて、きっとどうでもよかったんですよ」
子供を宥めるような口振りで、俺の手を優しい手付きで撫でながら、吾妻さんは言葉を続ける。
「私のように。私たちのように。怯えて、迷って、そんな素振りを見せるから。私たちは貴方に心をとらわれて、気に掛けずにはいられないんです。だからね、これは優しさの皮を被った欲でしか無いんです」
少し悲しそうに、視線を落として。
泣いてしまうんじゃないかと思ったけれど、彼女は泣きはしなかった。
また強い力を込めた瞳で、俺を見る。
「ねえ、もう一度言いますね。私の願いを、叶えてください」
確かに彼女はずるい人だ。
そうして、優しい人だ。
俺は、彼女を利用する事に、した。
どうせ吾妻さんを利用するのであれば、もう全部丸ごと利用しよう。
使えるものは全部使おう。
失敗しないように計画を綿密に練って、そうして最後には、彼女たちが幸せに暮らせる世界を作ろう。
覚悟を決めて、彼女の手を握る。
また、悲しそうに笑った彼女の顔を、俺は心に刻み付けた。
何度も臆してしまう俺が、もう二度と足踏みする事の無いように。
背中を押してくれた吾妻さんに、報いるために。
「ごめん、吾妻さん。手伝って、くれるかな」
「はい。お安い御用です」
「結果、もしかすると、五十嶋さんみたいになってしまうかもしれない」
「それは私にとって、何よりも幸福な事ですね」
聖母のような、というのは彼女にこそ相応しい言葉かもしれない。
笑みを絶やさず話を聞いてくれる彼女を見て、俺は一度深呼吸をした。
ゲームの中の彼女に、この世界がゲームであることを伝えた結果、何が起きるのかは分からない。
どうなっても、吾妻さんの事は俺が守ろう。
何が起きても、その責任だけは取らなくてはいけない。
「今から、突拍子も無い話をするけれど、聞いてくれるかな」
「私はコタローさんのことを信じているので、どんな話も聞きますよ」
何から話そう。
話すなら、あの、俺がこの世界に来た瞬間の事からだろうか。
長い話になるけれど、きっと吾妻さんなら聞いてくれる。
少し迷いながら、俺は吾妻さんを利用する為に、口を開いた。