123.利用してください
五十嶋桂那が『記憶喪失』になって数日。
様子見の為にその数日間、俺も揃ってカウンセラー室へ登校していた。
三条さんが宣言通りずっと側についてくれているので、大丈夫だろうと判断したのが、昨日。
カウンセラー室へ男子生徒の肉壁が出来ないのは、初日に牛鬼が呼び出したからというのが大きな理由だろう。
別段問題も無さそうだったので、今日は部室へ向かう事にした。
今後の作戦を、練らなければいけないからだ。
社を壊すと口にするのは簡単だが、やるとなれば相当難しい。
警察のご厄介にはなりたくないし、退学なんて事になれば、何も成せないまま入学式の日へスキップされるかもしれない。
一番良いのは、俺でない実行犯を用意する事だ。
プレイヤーの誰かを唆すのが良いかもしれない。
次点で、誰にも俺がやったとバレないように、痕跡を消して実行する事。
ただこれは、難しいだろう。
社を壊したのが誰だか分からないという状況になれば、俺が真っ先に疑われてしまう。
犯人が存在する方が、都合が良いのだ。
例えば、記憶を失う前の『五十嶋さん』であれば、この役を買って出てくれただろう。
けれど今の五十嶋桂那が協力してくれるとは、思えない。
五十嶋桂那の記憶を復元する方法を探すか、協力者を探すか。
後者の方が、まだ望みがありそうな気がする。
鞄を床に転がして、椅子を引くと、やけに音が大きく聞こえた。
此処にいる時は大抵、三条さんが側に居たから。
狭いはずの部室が、少し、広く感じる気さえした。
椅子へ腰掛け、机に伏せる。
寝れやしないんだろうけれど、考える事ばかりで頭が重たい。
――コン、コン、コン。
ノックが三回、耳に届く。
「コタローさん、いますか?」
その声は、吾妻さんのものだった。
三条さんから、サボりの場所をカウンセラー室に移している事は、聞いているはずなのに。
「うん、いるけど……」
「入りますね」
顔を上げて、小さく返事をしただけなのに、扉の向こうに届いたらしい。
扉を開けて、笑みを浮かべた吾妻さんは「おはようございます」と挨拶を投げ掛けてくる。
「……授業は?」
「サボりました」
吾妻さんがサボるなんて、珍しい。
二ノ前満月が化けているんじゃないかなんて、疑心暗鬼に襲われていると、吾妻さんは扉を閉めて、鍵をかけた。
「お話があって、来ましたよ」
「……何かな」
「腹を割って、話しましょうか」
ごくりと、喉が鳴る。
――目の前に居る吾妻さんが本物である、確証が持てない。
「私は言いましたね」
吾妻さんは、机を挟んで向かい側の椅子に座る。
笑顔を絶やさず、何でもない、世間話をするみたいに。
「貴方の事が、好きだって」
――確かに、そんな話をした事がある。
俺はそれの答えを、考えなかった。
もし吾妻さんが俺に好意を持ってくれていても、俺はそれに応える事が出来ないからだ。
「答えはきっと考えていませんね」
小さな子供に呆れるような口ぶりで、吾妻さんは頬杖をつきながら、真っ直ぐ俺を見る。
窺うような視線を向けられているのに、目を逸らす事は出来なかった。
吾妻さんの瞳が、何よりも澄んだ、エメラルドみたいにキラキラしていたから。
「どう受け取って貰っても構わないんです。でも、そんな事を口走るくらい、私は貴方の味方なんですよ」
俺の言葉も待たずに、吾妻さんは言葉を続ける。
俺は、形の良い、赤い唇が動くのを、ただただ眺めていた。
ふうと、そこから息が漏れて、それからまた、吾妻さんは言葉を続ける。
「遂叶ちゃんにあって、私に無いものは素直さですね。でもその素直で無い事は、私のとっておきの武器でもあるんですよ」
にいと、赤色が弧を描く。
そうして彼女は、俺に向かって手を差し伸べた。
緑のお下げ髪が揺れて、眼鏡の向こうのエメラルドが細く、光る。
「私を、利用してください」