118.それを俺が、歪めてしまった
「誰がお前なんかと……」
「はは……、そっか」
男の子――たぶん、鴎太だろう。
鴎太は、この日すんなりと、言われた通りにその場を立ち去った。
穂波はそれに胸を撫で下ろしたわけだが、次の日も、次の日も、鴎太は此処に現れた。
「来るなと何度も言っている……!」
「今日はね、おやつ持って来たよ」
「なんだ……、それは」
「え? 食べたことないの?」
一般的にコンビニに売られているクッキーだった。チョコチップが入っている。
穂波はそれを物珍しそうに見ていた。
神社に来る人というのは年寄りばかりで、甘いものを持って来ても、コンビニのお菓子を持ってくる者は居なかった。
「じゃああげる」
鴎太が差し出したそれを、穂波は受け取ってしまった。
好奇心。
それに、穂波は食に縛られている。
人間とは、関わりたくなかったのだろうに。
それでも一度関わってしまえば、穂波は鴎太を追い返す事はしなくなった。
穂波は一度人間を好いてしまっていたから。
そうして、その人の笑う顔と、鴎太の笑う顔が良く似ていたからだ。
お菓子を受け取り、鴎太の話し相手をする。
主に病院での話ばかりだった。
それと、本の話。院内図書というものがあって、そこまで種類は多くないが、いくつか本が置いてあるらしい。
穂波は本が好きだ。なのでその話を殊更楽しそうに、聞いていた。
「今日はお前に良いものをくれてやろう」
「いいもの?」
「げえむだ!」
穂波が袋から取り出したそれは、旧型のゲームハードとソフト。
神社に参拝にくる婆さんが、息子がこれにハマって部屋から出てこないと嘆きながら「神様どうにかしてください」と奉納した物だった。
「父に貰ったのだ。これでお前は高校生になれるぞ」
鴎太は、中学生になっていた。
来年からは高校生、けれど鴎太は学校には通えない。
そこで穂波は鴎太にこれを渡したのだ。
不用品置き場から拾ってきたブラウン管テレビを地べたに置いて、そのコンセントを穂波が握り、電源を押せばぶうんと画面が明るくなる。
内容は、クソだった。
ギャルゲーだからだ。
それでも二人は楽しそうだった。
「現実にこんな髪色の娘はおらんぞ」
「だよね、見たことない」
「高校には忍び込んだ事があるが、こんなポンポン進むもんでもなかった」
「そうなの?」
「そうだ! 第一、勉学に励む場所だぞ。乳繰り合う場所では無い」
穂波は偏見の混ざった『高校生』についての事柄を、つらつらと語る。
鴎太はそれを真面目に聞いて、うんうんと頷いていた。
それは日が暮れるまで続き、続きをまたやろうと別れて翌日。
鴎太は社に来なかった。
翌日だけでは無い。次の日も、次の日も、鴎太は来なかった。
社の上に腰掛けて、穂波はぼんやりと日々を過ごす。
春。花見をしながら、酒を飲む。
夏。蝉の鳴く声を聞きながら、酒を飲む。
秋。月を見ながら、酒を飲む。
冬。雪に降られながら、酒を飲む。
「穂波、人間に肩入れしてはいけないよ」
春夏秋冬振りに会う父は開口一番そう言った。
けれど、その忠告はもう遅い。
穂波はまたすっかり、人間に肩入れしているし、毎日きっと鴎太の事ばかりを考えて過ごしていた。
「父よ、人は何故ああも儚いのだ」
「心を動かしているからだよ。だからこそ短命で、儚く、美しい」
「――そうか」
「そうさ。だからね、近付き過ぎてはいけないんだ。眺める分には良いけれど、愛着なんて持ってしまえば、彼らは瞬きする間に居なくなる」
穂波は、泣いていた。
つるつると頬を撫でる透明を、ぼんやりと眺める俺は、何とも言えない気持ちになる。
猫丸は、こんなものを見せて、どうしろと言うのだろうか。
―――
鴎太が姿を見せなくなって数年。
ダイジェストで送られた穂波の日々は、大抵が社の上で、酒を飲んでいた。
そんなのんだくれの狐の元に、一人の老婆が訪れた。腰の曲がった婆さんは、その腰を殊更に曲げて、指を結う。
「神様、もう、孫が長くないんです」
こんな所に来る老婆に、心当たりは一人しか居なかった。
鴎太の祖母だ。
それを聞いた穂波は、社の上からぴょんと跳ねた。
地面に足をつける頃にはもう、狐の姿になっている。
この姿の方が、足が早いんだろう。
跳ねるように駆けた穂波は、鴎太の入院している病院へ向かう。
匂いを頼りに、鴎太の病室まで辿り着くと、今の鴎太よりも少し成長した、似ても似つかない人物がベッドの上に横たわっている。
沢山の管に繋がれて、痩せ細った彼は、薄らと目を開けた。
「お前、お前はほんとうに、人間は本当に――」
人間の姿に戻った穂波は大粒の涙を溢しながら、意味を成さない言葉を撒き散らす。幼い子供が泣いているみたいだった。
「ほ、なみ?」
鴎太は彼女を瞳に映して、笑ってみせる。
その姿が痛々しくて、俺は見ていられなかった。
「――お前の願いを何かひとつ叶えてやる」
目元を拭い、穂波がそう宣言する。
神の見習いでしか無い穂波は、そんなに大層な力は無い。
せいぜい、テレビをつける程度の力だ。
「オレは、眠る時に、キミがいてくれれば。……それだけで幸せだ」
鴎太は笑った。ひとりぼっちの笑顔では無い。
鴎太もまた、穂波のことが好きだったのかもしれない。
川で出会ったあの青年も、きっと穂波のことが好きだった。
好きだけではどうにも出来ないほど、彼らは人間の中でも特に、短命だった。
穂波は、泣いた。
泣いて帰って、三日三晩泣き通した。
空は雲が覆い、穂波と一緒に泣いていた。
「穂波、またおじさんの言葉に耳を貸さなかったね」
男が、社の上で泣く穂波に声を掛ける。
番傘を差した男は、優しい優しい声を出す。
「君の名前はね、昔別の人間に与えた名前なんだ。年若いのに白い髪をしていてね。太陽に照らされた彼女の髪が風に流される様子は、まるで稲穂の束が波打つみたいだったよ」
穂波は返事をしない。
それでも、男は言葉を続けた。
「笑うと八重歯が見えてね、愛嬌があった。高い位置で髪を纏めている時なんて、特別稲穂の束のように見えて、好きだったな。でも、すぐに居なくなってしまった。私たちのような存在と縁を持つ人間は、寿命を縮めてしまうのかもしれないね」
それを言い終えると、男は番傘を放る。
くるくると地面に落ちる番傘を、穂波がぼんやりと眺める。
「穂波。君の願いをひとつ叶えてあげよう」
泣き噦る子供に、父が与えたその権利で、箱庭が作られた。
続きを出来なかった、鴎太が通うことの出来なかった、高校生を舞台にした、小さな世界。
父の管理する世界から幾つかの魂を入れ込んで作られた世界。
このギャルゲーを模した世界は、穂波の望む、夢の世界だ。
それを俺が、歪めてしまった。
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