112.猫語はわからない
目的の神社は、駅の裏手にあった。
ヒナちゃんの言う通り、森ヶ縁は閑散としていて住宅地といった感じだ。
人通りも少なく、静かな町だった。
「ここだな」
神社一体は切り取った林のようになっている。
そこだけが『森』の名残を残しているようだ。
鳥居の先に一本道が続いているだけで、見渡す限り木が植わっている。
「少し奥へ進めば、もうちょっと開けてる」
「人が近付き難い感じだな」
「そうだな、でもまあ、地域の人に馴染みは深かった気がする。爺さん婆さんとかが、小さい頃からお参りに来てたから、習慣って言うのかな。良い事があれば報告に来るみたいな感じだったけど」
先頭に会話をしながら歩く俺と鴎太。
その後ろに猫丸を抱いた五十嶋さん。
鴎太の記憶の中の神社と、今目の前にある神社では、別物の印象を受ける。
鳥居を潜った先は、生えっぱなしの木が鬱蒼としており、手入れがされているようには見えない。
人の気配はまるでしないので、地域に馴染みが深い場所とは、とても思えなかった。
少し歩くと、鴎太の言葉の通り少し開けた場所が見える。
そこは二つ目の鳥居の先になっており、手前には手水舎が建っていた。
えらく寂れており、此処も暫く誰かが手入れをしている様子は無く、なんなら水も流れていない。
空っぽの、それらしい物が建っているだけだ。
神社の作法だなんだは詳しく記憶に無いが、手を清める云々は、あった気がする。
本当に此処に入っても良いのだろうかと躊躇していると「なあお」と猫丸が一声鳴いた。
――それを合図に、俺たちの後ろからびゅうと突風が走る。
「うわっ……!」
堪らず声を上げた鴎太が一歩前に進む。
「入って良い、みたいだな」
「うん、入れって事みたい」
俺の言葉に、五十嶋さんが同意する。
気味が悪い事に変わりは無いが、どうやら許されているようだ。
びくびくと震えた鴎太の背を叩き、前へ押し出す。
此処まで来て帰る方が馬鹿らしいのだ。
「なんだよ……今の風」
「神様が許してくれたんじゃないか」
「えええ……」
鴎太を後ろから押しながら、俺たちは二つ目の鳥居を潜った。
狛犬が一匹、何も無い台座を見据えている。
朽ちて崩れてしまったのか、打ち壊されたり盗まれたりしたのかは分からないが、何にせよ、一匹足りない状態だ。
「マジで怖いんだけど……」
鴎太が弱音を吐く。
「お前の為に来たんだろ」
宥める様に声を掛けたが、本当の所は自分の為なので、後ろめたさは若干ある。
だが、鴎太はその言葉で意を決したように拳を握って「うん、ごめん。行くか」と再び足を動かし始めた。
「……え?」
「ん?」
狛犬の前を抜ければ、赤い柵のような物が見える。玉垣と呼ぶんだったかな。自習時間に読んだ本に、そんな描写があった気がする。
その赤い柵の向こうには、拝殿やら本殿があるはずだ。
参拝する為の建物があるはずなのだが、それが、この位置からでも見えやしない。
「嘘だろ、無いじゃん……」
鴎太の声は、震えていた。
そこにあるはずの建物が無い。
拝殿と思われる建物も、本殿と思われる建物も、社務所なんかも含めて。
ただただ、だだっ広い空間がそこにある。
――何も、無いのだ。
異様な空間なのに、俺はそれが妙に腑に落ちていた。
この世界には、この神社に祀られるはずの神が居ないのだ。
必要が無いとも、言い換えられるかもしれない。
どちらにせよ、不要なので神が居るはずの場所は設けられていない。
俺たちの世界を模して作った世界とは言え、神仏までは複製出来なかったのだろう。
「みい」
猫丸が、少し悲しそうな声を上げる。
振り向けば、その瞳は何処か、寂しそうだ。
此処には、猫丸の家があったのかもしれない。
「なあ、猫丸。あの家は、気に入ったか?」
「にゃあご」
会話を試みたが、猫語はわからない。
ただ、家を無くした猫丸に家を作ってやった事に、もし猫丸が感謝してくれているのだとしたら――
猫丸は今少し、中立よりも此方寄りに居てくれているんじゃ無いだろうか。
此処に入るのを躊躇していた俺たちの背を押したのは、他でもない猫丸のはずだ。
完全に願望に近い憶測だけれど、文字通り、追い風が吹いている気がした。
「なあ、鴎太。その遊んでた社って、何処にあったんだ?」
「――あっち」
鴎太が指差した場所は、そこだけぽっかりと木が生えていなかった。
獣道のように続く先に、二ノ前満月の通う場所があるのかもしれない。
「行ってみよう」
――恐怖は、無かった。
先導するように、足を踏み出し、俺はその獣道へ向かった。