11.なんて可哀想なやつなんだ
入学式の日というものはこれといってする事も無いらしい。
牛鬼が今後一週間の予定を伝えていたが、俺としては一週間の予定なんて惰眠を貪る他に無い。
早々に解散となって、席を立った男子生徒は、俺と、もう一人だけだった。
後はすべて、この後開かれる校内掃除大会に参加するらしい。
大変嬉しそうな牛鬼が、必要以上に大きな声で今からの予定について語っている。
「あーっと、田中太郎くんだっけ、帰ろうぜ」
俺は一人で帰ろうとしていたのに、どうやら向こうは律儀にも一緒に帰るつもりらしい。
俺よりも入り口に近い席というアドバンテージを駆使したそいつは、俺の前に立ち塞がった。
俺よりもう二回りほど小柄で、人懐っこそうな笑みを浮かべるそいつ。
犬みたいだ。
犬――もとい、こいつの名前を、俺は知っている。
自己紹介の時に、一際目立っていたからだ。
「鳳凰鴎太くんだっけ」
ほうおう おうた。
鳳凰を姓にしておいて、名前がカモメだなんて謙虚なやつだ。
もう少しマシな名前をつければよかったのに。
やべえやつだという認識を込めた視線をくれてやれば消えるだろうかと思い、臆さず堂々と立ち向かってやると、そいつは開口一番「ごめん、本名なんだ」と、小さな声で呟いて、気まずそうに視線を泳がせた。
なんて、可愛そうなやつなんだ。
―――
「なあ、お前の渾名さ、コタローでいい?」
並んで学校の敷地外へ出た途端に、鳳凰鴎太はそんな事を口走った。
確かに、もう一人の田中太郎よりは俺の方が小物感はあったかもしれないけれど、それは彼が二メートルはあるんじゃなかろうかという巨体だった所為だろう。
俺が小さい訳では無い。
「失礼なやつだな」
「ごめん、思ったことすぐ口に出んの。もう一人のタローはデカタロー」
「コタローにすんならダイタローだろ」
「めっちゃプレイボーイっぽくてヤじゃん」
「……あああああファイブはなんて渾名にするんだよ」
「出席番号順で良くない? あいち、あに、あさん……は変か」
「普通に敬称つけて呼んでるみたいだな」
「じゃあ、アッサム」
あ、こいつ馬鹿なんだなと分かったので、こいつの発言は突っつき回さない方が吉かもしれない。利口な俺は、すぐに判別ついてしまった。
「あし、あご」
「身体の部位はやめとけよ。悪口みたいになる」
「あふぉー? あふぁいぶ?」
「足と顎で良いわ」
あふぉーってなんだよ。アホに聞こえてそっちの方がストレートな悪口だろ。
当の本人は満足げに「明日発表しよう」なんて言っているが、殴られる事請け合いだろうな。
「なあなあ、コタロー。うちのクラス、三条遂叶が居るんだって。今日は居なかったけど」
「スイカ?」
「え? 知んねーの?」
鳳凰鴎太がヤレヤレとでも言いたげに手を振り振りするもんで、殴り飛ばしてやろうかと思った。
人の神経を逆撫でする天才なのかもしれない。
「ゲーム未プレイ?」
「何周もした」
「でも三条遂叶は知らない?」
「興味無かったからな」
「誰推しなん?」
「教えねえよ」
「けちーっ」
唇を尖らせた野郎だなんて、これ程までに虫酸の走るものはなかった。
無視してみたが、鳳凰鴎太は足元をぐるぐる回る犬のように「なあなあなあ」と声を掛けてくる。
「オレの事はさ、鴎太で良いから。仲良くしてくれよ、な?」
「なんで、俺が」
「変なやつばっかなんだよ。ゲームだからって好き放題して、男子でマトモに喋れそうなのお前だけだわ」
一理はあった。
居残り組でない事を鑑みると、鳳凰――鴎太は、まだマトモな部類に入るのかもしれない。
とてつもなく煩いが、害は無さそうなので、特別拒否もせずに受け流しておく。
「な! だからよろしくな! コタロー!」
「犬みたいな渾名つけやがって。犬はお前だろ」
「あっは、良く言われるわー!」
まるで応えない。
彼は、とてつも無く丈夫なサンドバッグのようだ。
「んじゃ、オレあれ家だから、また明日な! コタロー!」
嵐のようなやつだった。
鴎太は駅近くに聳え立つ高層マンションを指差すと、そちらに向かって駆けて行く。
時々振り返ってはぶんぶこ手を振り回す犬。その度に溜息が溢れて酸欠になりそうだ。
――そう言えば、俺の家。
現実世界の実家と瓜二つだったな。