104.ただただ、外を眺めていた
「こっちからのぼって、次の駅だよ」
先を歩くヒナちゃんが、上り階段を指差しながら教えてくれた。
この駅の名前が『妙森』次の駅の名前が『穂畑』と、記載されている。
地名的に、この辺り一帯は森だったのだろう。
高校のある周辺一帯が森であり、穂畑は恐らく切り開いて出来た農村部。その次の地名が『森ヶ縁』となっているので、かなり広範囲に渡る森だったと思われる。
その森を切り開くにあたって作られたのが、例の神社なのだろうか。
「穂畑って、名前は田舎臭いけどおっきい商業施設とか結構建ってて、栄えてるって感じだよね」
「そうだね」
肯定はしておいたけれど、土地勘は無い。
俺の元居た世界とは違う地名になっているし、おそらくゲームの中の世界の地名でも、無いはずだ。
ゲーム内の地域の名前なんて記憶にも無いけれど、聞き覚えが無いという事は、違うと言うことだろう。
「森ヶ縁はどんなところ?」
「ん? んー……、ヒナは基本行かないよね。住宅地だし。お姉ちゃんは塾がそこにあるから、平日は毎日行ってるけど」
「……二ノ前さんって塾通ってるの?」
「うん。高校入ってから、急に。元々頭良かったから、必要ないと思うんだけどね。ヒナは」
ホームで電車を待ちながら、そんな話をする。
確かに、二ノ前満月に勉強は必要無いはずだ。
塾に真面目に通うとも思えないので、目的はおそらく神社だろう。
――神社に、頻繁に戻らなければならない理由がある?
土日は行かなくて良くて、平日だけ必要なのだとすると、理由は多分、学校だ。
猫丸に聞いた所で教えてはくれないだろうし、鴎太も多分、知らない事柄だろう。
これも、行ってみればわかるのかもしれないけれど。
「高校入ってからのお姉ちゃん。ヒナは嫌いだよ。人が変わっちゃったみたい」
「……人が変わった?」
「うん。前まではね、ママとパパがヒナの事忘れてたりすると、お姉ちゃん怒ってくれたんだ。でも今はヒナとあんまり話してくれないし、別の人みたい」
「……ヒナちゃんは中学の頃のお姉ちゃんの方が好きだった?」
「――うん。あの頃のお姉ちゃんになら、ヒナ別に、負けてたってよかったもん。見合うように努力してたし、自慢のお姉ちゃんだったよ」
下を向いて、寂しそうに呟いたヒナちゃんの言葉は、きっと的を得ているんだろう。
中学までの――ゲームが始まる前時点の二ノ前満月と、今の彼女では、きっと中身が違う。
けれど、それは伝える事は出来ない事柄だ。
掛けるべき言葉が見付からなくて、俺はヒナちゃんに手を伸ばした。
そうして、しょげて下を向いている彼女の肩を、とんとんと叩く。
「ん……む……っ」
一本立てた人差し指に、柔らかい感触。
むにりと頬を潰されたヒナちゃんは、きらきらの瞳で俺を見て、みるみる内に頬を染める。
「な……っ、な……っ?!」
「元気出た?」
「た……たろくん、意味わかんない……!!」
ぴょいと一歩後ろへ飛んだ彼女は、自分の頬をむにむにと触っている。
とんでもなく寒い事をしてしまったけれど、気が紛れたのであれば、良い事だろう。
それにしても、そんなに動揺するもんなんだなぁと、見ていて微笑ましくなる。
「タロくん、ヒナに触るの禁止!」
「わかったよ、もうしない」
「絶対だよ……!」
「わかったわかった」
「す……するとしても、ちょっとだよ!」
ちょっとは良いんだ。
まあ、二度もしようもんなら五十嶋さんに締めあげられそうな気がしなくは無いので、しないんだけれど。
未だに赤みの引かない頬をおさえて、悔しいのか小さな怪獣みたいに地団駄を踏む彼女を見ていると、丁度ホームへ電車が滑り込む。
「行こっか、ヒナちゃん。腕、また貸そうか?」
「いらないよ……! タロくんキライ!!」
一度だけ此方を向いて、下を出してから電車に乗り込んだ彼女は、もう悲しそうには、していなかった。
後を追って乗り込めば、まだ少し顔の赤いヒナちゃんが睨み付けてくる。
こんなその場凌ぎの事しか出来ないけれど、少しでも彼女が楽になれば良いのに。
「オムライス、タロくんの奢りだよ」
「うん、いいよ」
吊革に手が届かないヒナちゃんは、俺の腕をそっと掴む。
その信頼が、少し痛い。
何でも無い振りをして外を眺めていると、横から、小さな小さな声が聞こえる。
「ありがと」
「どういたしまして」
それからは、特別言葉も交わさずに、目的地まで一駅分。
ただただ、外を眺めていた。