102.ヒナちゃん次第
「あ、コタ帰ってくるの遅い」
「ごめん。久々に鴎太と話したもんだから」
「……そっか。まあ、仕方ないね」
中庭へ戻ると、結構なスピードで作業が進んでいるようで、板の切り出しの半分程が終わっていた。
主に牛鬼がその役を買って出ているようで、その筋肉だるまの周囲にだけ、もやもやと熱気のようなものが吹き出している幻覚が見える。
「アタシと咲ちゃんで取り敢えず床を組むんだよ」
ちょこちょこと此方へ近付いて来た三条さんは、現状の作業進度を報告してくれる。
汗をかいてるみたいだから、飲み物でもいれてあげようとスポーツドリンクを袋から取り出せば、途端に笑顔で「ありがとう」と礼を言う。
世話の焼き甲斐があるのも困り物だなあと思いながらコップを手渡すと、後ろからどしんと、誰かがぶつかってきた。
「タロくん! ヒナはヒマだよ!」
「やる事ないの?」
「センセイが一人でやっちゃうんだもん」
牛鬼に聞こえないように、耳打ちしてくるヒナちゃんには「確かにね」としか返せなかった。
五十嶋さんは、五十嶋さんで、二ノ前満月の気を引こうと必死だし、鴎太はそんな二人に飲み物を届けに行ったらしい。
「ヒナもこっちで一緒にやる?」
「電動のドライバー怖いもん」
「アタシやるから支えててよ」
三条さんがヒナちゃんに向かって宥めるように、比較的優しい声音で話しかけてはいるけれど、ヒナちゃんは頬をむくむくと膨らませるばかりだ。
駄々っ子モードというやつだろうか。
五十嶋さんが姉にかまけている事も気に入らないらしいヒナちゃんは、嫌々と首を振る。
「おーーい、田中くん手、空いてる?」
――そういえば、戻って来てから姿を見かけなかったな。
南校舎から繋がる渡り廊下から此方へ向かって駆けてきた水無月仁美が、右手を上げて振っている。
いつもの作業着を着て、何やらホウキとちりとりを持っているので仕事でもしているのだろう。
此方へ辿り着いた水無月仁美は、にっこりと八重歯を見せて笑った。
「手は空いてますけど」
「お金渡すから、ペットショップで猫丸の餌皿と水皿買ってきてあげてくれない?」
「今までどうしてたんですか」
「適当な紙皿使ってたんだよね。でも正式に学校で飼うって事になるならこの機会に揃えようと思って」
パシリは普段ならお断りしたいけれど、今はこの場から離れた方がサボれて良い。
ヒナちゃんを連れていけば、彼女の暇も潰せて一石二鳥だろう。
「あ、あと猫のトイレと猫砂も!」
「……結構な量になりません?」
「車出してあげれればいいんだけどね。ほら、お姉さん仕事中だから」
もしかすると、水無月仁美は、そろそろサボりが出てくる頃だろうと様子を見に来たのかもしれない。
逃げ道を用意する代わりに結構な重量の買い物を頼むが、どちらか選べという事だろう。
「ヒナちゃん、俺荷物持ちするけど、行く?」
「ヒナ、行きたい!!」
万歳だ。
付き合う他無さそうなので溜息をひとつ溢してから手を差し出す。
「レシートだけ貰ってきてね」
差し出した手の上には、手乗りサイズのガマ口財布が乗せられた。
中を見ると、一万円札が一枚。
「じゃあ私はまた仕事戻らなきゃだから、頼んだよー」
お気楽な声を残して去って行った後ろ姿を見ていると、ヒナちゃんが腕にしがみついてくる。
「早く行こうよ!」
「わかったよ」
急かされるままに歩き始めた俺の後ろから「早く帰って来てね!」と三条さんが声を投げ掛けてくる。
恐ろしく不吉な言葉ではあるけれど、手を振る事で返事をしておいた。
「ネコちゃんの玩具とかも買っていいかな?」
「まあ、いいんじゃないかな」
「またたびとか?」
「……いや、効かないんじゃない?」
何なら、酒を出した方が喜びそうまである。
何はともあれ、サボる権利は手に入れられたので、若干の子守感はあるけれど幾分かは楽出来るだろう。
夕方くらいに戻ろうと心に決めながら、俺は中庭を後にした。
ついでに、神社の方も下見できれば万万歳なんだけど。
その辺りは、ヒナちゃん次第といったところだろう。