死の選挙区 ~ジョン・パワーズ~
1916年と1921年。
シカゴ市議会の第十九選挙区の議席をめぐって、殺し合いがあった。
市議会? しょっぼ!と思うなかれ。
アメリカは村から町、町から郡、郡から州、州から国と下から自治体が出来上がった国だから、市や州には日本人の想像以上に権限があるのだ。
しかし、議員の座をめぐって殺し合い。
つまり、選挙はギャングのボスVSギャングのボスであり、どっちが勝ってもギャングのボスが当選する。
汚職政治家待ったなし。
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1890年代から1930年代のあいだ、シカゴ市議会には『グレイ・ウルヴズ』と呼ばれる悪徳議員のグループがいた。
第一選挙区選出のバスハウス・ジョン・コグリン。
同じく第一選挙区選出のヒンキー・ディンク・ケンナ。
(1923年まで一つの選挙区からふたりが選出されていた。)
そして、第十九選挙区選出のジョン・パワーズ。
たかが市議会議席ごときと馬鹿にしてはいけない。
シカゴ市議会の選挙区は『世界で最もリッチな選挙区』と呼ばれていた。
キーは都市型公共事業である。
シカゴ市は電気やガス、交通機関などの公共サービスの運営を民間会社に許可・委託するのだが、『グレイ・ウルヴズ』はこれを自身が関係する会社に委託して荒稼ぎをしていた。もちろん、彼ら悪徳議員に取り入って、仕事をまわしてもらおうとする会社もたくさんいて、カネは使い切れないほど稼げた。
特に悪質なのはオグデン・ガス会社スキャンダルで、1895年、シカゴ市は都市ガス事業を行う会社の募集をかけたのだが、オグデン・ガス会社がこれを買い取って、事業許可を得た。
ところが、オグデン・ガス会社は存在しない会社で、他の会社がこのガス事業の権利を色をつけて買い取って、その利ザヤを『グレイ・ウルヴズ』たちが懐に入れていた。
ジョン・パワーズはこれを積極的に主導した民主党議員で、これが明るみに出たときはスキャンダルとして、ずいぶん騒がれ、当時の民主党選出の市長のキャリアが消し飛んだ。
こんなふうにシカゴの市議会というのはかなりどす黒い利権が渦を巻いていた。
シカゴ市議会の議席なら殺してでも奪い取る価値がある、と誰かが豪語した。
本人はおそらく冗談のつもりだったのだろうが、これが現実のものとなる。
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ジョン・パワーズは1852年生まれで、しばらくは雑貨店経営をしていたが、1888年、三十六歳のとき、第十九選挙区から初の当選を果たした。それから、1927年まで、州議会議員をやっていた一年間を除く三十八年間、市会議員に選ばれていた。
1895年のガス・スキャンダルの後ですら、彼は落選しなかったのだ。
当選の秘訣は移民である。
自身アイルランド系移民の生まれであったパワーズは、
「アイルランド系移民の権利を守るよ! 仕事も持ってくるよ!」
――と、ばら撒き型選挙をやっていて、移民が多い第十九選挙区ではこれが大いに認められた。
「そりゃあ、確かに彼は正しくないかもしれない。でも、目の前に札束があって、それを同胞たちに投げ与えないのは罪だし、それに余った何枚かの紙幣を懐に入れることだって、神さまは許してくれるさ」
いつの時代も、どこの国でも公共工事を自分たちのところに落としてくれる議員に、有権者は弱いのだ。
時代が移り変わるにつれて、移民にイタリア系が多くみられるようになった。
たいていの場合、イタリア系移民とアイルランド系移民は仲が悪い。
アメリカに来たばかりのイタリア系移民はアイルランド系移民よりも安いカネで雇えるので、アイルランド系の仕事がなくなるか、低賃金化してしまうからだ。
パワーズはここに目をつけた。
アイルランドとイタリアの信仰はどちらもカトリックである。
パワーズは有権者に対して、同じカトリック教徒同士いがみ合うのはよくないといい、そして、争いの原因である低賃金について、うまく公共工事をまわして、入札会社と秘密協定を結んで、イタリア系もアイルランド系も同じ値段で雇えるようにした。
これでアイルランド系もイタリア系も同じ賃金で、しかもパワーズはどんどん道路工事やら何やらの公共事業を引っぱってくるので雇いっぱぐれることもなく、うまい具合に暮らすことができた。
こうして第十九選挙区で、アイルランド系有権者とイタリア系有権者が連合させて、パワーズは彼らから多大な信頼を勝ち得て、ますます多くの支持者を得た。
しかし、パワーズは忘れていた。
イタリア産レモンにくっついてきた危険な害虫、マフィアのことを。
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このときのシカゴのマフィアはシチリア人連合というシチリア系移民同士の互助組織を表看板にしていた。
その会長はアンソニー・ダンドレアという人物で、シチリアにいたころは神学校に通っていて、聖職者を目指していたという。
現在は通訳をしていて、同じシチリア人移民たちのために公式文書の英訳に携わり、シチリア人社会のあいだで頼りにされ、めきめきと頭角をあらわしてきていた。
写真を見る限り、眼鏡をかけたインテリだが、その正体はシチリア系マフィアのボスであり、1903年、ニューヨークで通貨偽造で起訴され、有罪判決を受けていた。減刑運動のおかげで十三か月で釈放されたが、ニューヨークで通貨偽造に関わるということはジュセッペ・モレロやテラノヴァ三兄弟とつながりがあったということだろう。
釈放後、ダンドレアはシカゴへ移住し、第十九選挙区のイタリア人社会で幅を利かせ始めた。
1914年、民主党から郡のコミッショナーに立候補したが、紙幣偽造に関わっていた過去を逮捕時の写真ごとすっぱ抜かれて、落選。
郡という広すぎる選挙だからダメなのだ、もっと狭くて、有権者を脅しやす――ゴホン、有権者に影響を与えやすい場所で戦えばいい。
そして、戦場が比較的小さくて、シチリア人がたくさん住んでて、そして旨味のあるところ。
そうして選ばれたのはシカゴ市議会第十九選挙区である。
もちろん、この選挙区から選ばれているのはジョン・パワーズ。
アイルランド系だけでなく、イタリア系からも支持を得ている鉄板だが、ダンドレアはこのパワーズに挑むことにした。
ところで日本の選挙には三バンという三つのバンが必要と言われる。
地盤、看板、(現金を詰め込んだ)カバン。
シカゴの選挙では四バンが必要だった。
地盤、看板、(現金を詰め込んだ)カバン、鉄砲バンバン。
1916年の選挙に立候補してすぐ、パワーズの下っ端政治屋で票の取りまとめを担当していたフランク・ロンバルディがバーにいたところをダンドレアの部下に撃ち殺された。ダンドレアから寝返るように言われたが、断ったためだ。
パワーズはダンドレアがこれまで戦ってきた対立候補など比べ物にならない危険な人物だと見て、カネでチンピラを集めて、対選挙ギャング団を編成した。
両陣営による暴力と殺人はエスカレートし、『デッドマンズ・ツリー』と呼ばれるポプラの木に次に犠牲になる人間の名前を刻むという悪趣味な脅しが横行した。
報復の連鎖の末、1916年選挙はパワーズの勝ちだった。
やはり地盤は強かった。
パワーズの帝国はびくともしない。
しかし、ダンドレアはあきらめたわけではなかった。
次の選挙は1921年だが、パワーズもダンドレアも選挙キャンペーンを1919年から開始した。
今回の選挙は五バンだった。
地盤、看板、(現金を詰め込んだ)カバン、鉄砲バンバン。爆弾バンバン。
状況は確実に悪化していた。
まず、パワーズの家が爆破された。
すると、お返しにダンドレアの政治集会が爆破され、ついでに選挙対策本部の事務所も爆破された。
パワーズもダンドレアも怪我はなかったが、これでますます抗争は激しくなった。
1921年、選挙の年は暴力が最高潮に達する。
まず、裁判所書記官でパワーズ支持者のポール・ラブリオラが徒歩で出勤途中、ダンドレアの部下四人に撃ち殺された(彼の名前はデッドマンズ・ツリーに刻まれていた)。
続いて、煙草屋のハリー・ライモンディが撃たれて死んだ。元はダンドレアの支持者だったが、パワーズ支持に鞍替えしたための制裁だった。
お返しにパワーズ陣営はダンドレアのボディガードのジョセフ・ラスピサを撃ち殺した。
暴力に次ぐ暴力の果てに投票日がやってきた……。
投票の結果、第十九選挙区からパワーズとその同盟者のジェームズ・ボウラーが当選した。
抗争自体もパワーズが優勢になり、ダンドレアの敗色が濃厚になった。
疲れて根気が尽きたダンドレアはここに来て、敗北宣言を出した。
しかし、もはや「や~めた」のひと言で済む事態ではなくなっている。
ケジメはつけられ、間もなくダンドレアは自宅前でショットガンで撃たれて死んだ。
犯人は不明で未解決事件になったが、パワーズがやらせたのだろう。
さらにダンドレア派の人間がふたり殺されて、このどうしようもない戦争は終わった。
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選挙戦という言葉はあるが、本当に戦争をしてどうする。
五年間の一連の抗争で三十人以上が殺され、新聞各社は第十九選挙区は中世ヨーロッパの暗黒時代よりひどいと掲載した。
この抗争は普通のギャングの抗争と違って、カタギを積極的にマトにかけている。
その分、余計にタチが悪いし、この抗争自体、議会制民主主義への悪辣な挑戦だった。
この戦争の直後、シカゴで選挙制度の改革があって、ひとつの選挙区からひとりを選出するようになり、パワーズは盟友のボウラーに第十九選挙区を譲り、自身は第二十五選挙区から立候補し、1927年まで議員を務めた。1930年、七十八歳で死去。
ダンドレア亡き後、シチリア系マフィアはいくつかの抗争を経て、カポネの組織に吸収された。
ダンドレアの息子のフィリップ・ダンドレアもカポネの組織の幹部になった。
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2023年現在、第十九選挙区から選出された市会議員はアイルランド系のマシュー・オシェア。
元ソーシャル・ワーカーだそうだ。