ドン・コルレオーネのモデル? ~フランク・コステロ~
『ゴッドファーザー』の主人公、ドン・コルレオーネは本物のマフィアから見ても、かっこいいマフィアのボスだった。
抑制された物腰に強い意志、伝統を重んじ、家族を愛し、麻薬を嫌い、大勢の政治家と判事をポケットのなかに入れて、自由に使うことができる。
特に最初のシーン、娘の結婚式の豪華さは、やはりボスたるもの、ああでなくてはとうなづくし、敵のファミリーに肩入れする警部を殺すことについては、この世界に足を突っ込むなら、殺される覚悟をするべきなのだとこれも同意する。
すると、ドン・コルレオーネのモデルは、実はおれなんだと言い出すボスたちがいる。
そこでちょっと見てみよう。
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まず、エントリーナンバー1。ヴィトー・ジェノヴェーゼ。
ニューヨーク五大ファミリーのひとつ、ジェノヴェーゼ・ファミリーのボスであり、野心旺盛で、ずる賢く立ち回って、1950年代には反対派を粛清し、ボスのフランク・コステロを引退に追い込んだ。
ただ、彼はドン・コルレオーネと言うよりは、敵役のドン・バルジーニな気がする。
それにジェノヴェーゼはドン・コルレオーネのモデルには絶対になりえない。
ジェノヴェーゼは麻薬アリ、いやガンガンやっていこうというボスなのだ。
ドン・コルレオーネは麻薬を取り扱うことを断り、その結果、撃たれてしまい、抗争が始まってしまう。
だから、ジェノヴェーゼはドン・コルレオーネになりえない。
ヴィトー・ジェノヴェーゼがドン・コルレオーネと共通するものといえば、ファーストネームのヴィト―くらいなのだ。
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エントリーナンバー2。ジョセフ・ボナンノ。
ニューヨーク五大ファミリーのボスであり、彼がドン・コルレオーネのモデルと言われた理由は息子をファミリーの跡取りにしたことと麻薬を取り扱うことを断って、抗争になったから。
それにボナンノは敵対ファミリーに誘拐され、その後、解放されたが、これは『ゴッドファーザー』でトム・ヘイゲンがソロッツォに誘拐され解放されたのと似ているとも言う。
ただ、ジョセフ・ボナンノもドン・コルレオーネのモデルにはなれない。
その一、ボナンノが麻薬を嫌ったというのは嘘で、麻薬賛成派で賛成どころかカナダとアリゾナに拠点を持って、ヘロイン密輸ルートを牛耳って、麻薬売買の独占を図った。
この人も相当、野心旺盛なボスだったのだ。
そのことを危険視され、他のファミリーとのあいだで齟齬が生まれた。
だが、抗争のきっかけになったのは息子のサルヴァトーレ・〈ビル〉・ボナンノを次のボスに指名したからだった。
ここは相談役のガスパール・ディ・グレゴリオが最適だろうと思われていたのだが、ボナンノは身びいきをして、息子をボスにする人事を強引に通してします。
このため、ディ・グレゴリオとのあいだで戦争が起きてしまったのだ。
ドン・コルレオーネはマイケルをボスにするつもりはなかった。マイケルは知事や議員になり、表の世界で人を操るようになるべきだったのだと言っていた。
ボナンノは血筋を重視し、同じ五大ファミリーのボスであり、親戚にあたるジョセフ・プロファチと組んで、やはり五大ファミリーのボスだったカルロ・ガンビーノとトーマス・ルケーゼの命を狙った。
――が、その殺し屋部隊の隊長に命じたジョセフ・コロンボが寝返って、ガンビーノとルケーゼにご注進した。
はっきり言って、ボナンノには人望がなかった。
これではドン・コルレオーネにはなれない。
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エントリーナンバー3。ジョセフ・プロファチ。
理由は表の世界でも成功したビジネスマンであり、アメリカにシチリアのオリーブオイルを輸入する会社の最大手だった。
確かにドン・コルレオーネもオリーブオイルの輸入会社を持っていた。
そこだけはモデルにした可能性がある。
ただ、この人も違うだろう。
この人はケチなのだ。
物凄くケチなのだ。
1946年、シチリアのマフィア、グレコ・ファミリーが内部抗争を起こしたとき、プロファチは義理があるから、これを支援すると言って、子分たちからカンパをさせ、そのカネをまんま着服した。
そのくせ、本人は上納金を納めない部下をすぐに殺す。
賭博担当幹部のフランク・アバッテマルコが五万ドルの上納金を支払うことを拒んだとき、プロファチはアバッテマルコの手下であるギャロ兄弟にアバッテマルコを殺したら、縄張りの一部を継承させてやるといって、アバッテマルコを殺させたのだが、プロファチは息を吸うみたいに約束を破って、その縄張りを全部自分のものにした。
怒ったギャロ兄弟はプロファチの幹部を誘拐して、身代金を払わせた。
こんな浅はかなケチがドン・コルレオーネになれるわけがない。
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エントリーナンバー4。ジョセフ・コロンボ。
ケチなプロファチが病死し、その跡継ぎがボスと認められず、ボナンノがニューヨークから追放された後、コロンボがプロファチのファミリーを継いだ。
コロンボは自分がドン・コルレオーネのモデルになったと自信があったが、というのも、フランシス・フォード・コッポラとマーロン・ブランドがマフィアを題材に映画を撮ることについて、自分に了承を取りにきたことを挙げ、あのときの自分のオーラがドン・コルレオーネのもとになったのだと言うのだが、ふたりが挨拶に来たころにはほぼ脚本は固まっているのだから、それはないだろう。
それにこの人もドン・コルレオーネのモデルにはなれない。
目立ちたがりなのだ。
公民権運動が盛んだった時代、世間がイタリア系アメリカ人をマフィアとつなげるのは不公平だという運動が流行り、イタリア系アメリカ人の会というものができた。
コロンボはこの会の会長だった。
マフィアのボスがイタリア系アメリカ人をマフィアと結びつけるのはやめろと主張したのである。
ドン・コルレオーネと言うよりはドン・キホーテである。
ちなみにコロンボはこの運動で集会を開いたところで撃たれてしまって植物人間になってしまう。
やったのはケチなプロファチから身代金を取ったギャロ兄弟である。
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エントリーナンバー5。フランク・コステロ。
理由は冷静沈着で、判事、弁護士、芸能人、そしてFBIのフーバー長官などと交流があり、最大クラスの大物ボスであり、麻薬を嫌い、撃たれて九死に一生を得たから。
1946年、キューバのハバナにマフィアのボスたちが集まって、ヘロイン・ビジネスについて話し合った。
マフィア界で最大の大物ラッキー・ルチアーノは国外追放されたが、それにめげず、地中海じゅうを飛びまわって、トルコ=コルシカ=シチリアのルートでヘロインを密輸する一切合財を用意した。
これでマフィアたちはガンガンヘロインを売れる。
とにかく儲けがでかい。
禁酒法時代の密造酒ビジネスが忘れられないマフィアたちはあのくらいの利益が見込めるヘロインにかなり乗り気だった。
野心旺盛なジェノヴェーゼ、自分は麻薬は嫌いだと嘘をついたボナンノ、ケチなプロファチ、後年は麻薬をひどく避けたカルロ・ガンビーノですら、このときはヘロインに乗り気だった。
ヘロインは売らない、扱うべきではないとはっきり言ったボスはただひとり。
それがフランク・コステロだった。
コステロはアメリカ東海岸にスロットマシン帝国を持っていて、賭博で十分稼いでいた。
ヘロインへの量刑は増える一方で、そんなリスキーなビジネスに手を出すべきではないと主張した。
これまでのボスはみんな麻薬を扱ってきたが、フランク・コステロは本当に扱っていない。
これは有望なボスである。
じゃあ、コステロに弱点や欠点がないのかと言うと、そうではない。
この人はファミリーの面倒をあまり見なかった。
基本的にマフィアの組員は自分で食い扶持を見つけてくるが、それでもボスが多少は組員たちを気にするものだが、コステロはスロットマシンに夢中で、部下たちには適当に稼げとしか言わなかった。
そこに第二次世界大戦が終わった直後、エントリーナンバー1、ヴィトー・ジェノヴェーゼがアメリカに戻ってきた。殺人で訴えられて、イタリアに逃げていたのだが、証人が失踪し、無罪となったので、カムバック。
そこでファミリーを見てみると、あちこちに途方に暮れる組員たちがいた。
ジェノヴェーゼはそうした組員たちの面倒をこまめに見て、徐々に自分の派閥を形成していった。
ジェノヴェーゼには気をつけろと何度か警告されていたが、そのときのコステロの勢力はジェノヴェーゼでは敵わないほど強力だった。マンガーノ・ファミリーのアルバート・アナスタシアは自分の派閥だし、忠実な部下のグアリーノ・モレッティはニュージャージーの支部で軍資金と五十人の部下を常に臨戦態勢にしている。
ところが、モレッティとアナスタシアがあれこれ理由をつけられて殺されてしまい、準備ができたと思ったところで、コステロがジェノヴェーゼに襲われる。
頭を撃たれたが、弾は少し頭蓋骨を削っただけで命は助かった。
コステロはもはや自分の時代ではないと思って、引退し、ヴィトー・ジェノヴェーゼがボスになった。
ただ、ずっと後になって、ジェノヴェーゼの権力志向が敵をつくり、ガンビーノら他のボスたちはヘロイン売買でジェノヴェーゼをハメて、刑務所にぶち込んだ。
これにはコステロも関わっていたが、ジェノヴェーゼはそれを知らなかった。歳なのと刑務所暮らし、何より最愛の孫娘に麻薬で起訴されて投獄されたことを知られたことで、落ち込んでいたジェノヴェーゼはコステロとの和解をして、感動していたという。
だから、ジェノヴェーゼはドン・コルレオーネにはなれないのだ。
コステロは引退したが、その後も全米のマフィアのボスたちが助言をききに来た。
コステロは同じマフィアから見ても、かっこいいボスだった。
コステロにはドン・コルレオーネらしからぬ弱点もあったが、それでも個人的にはこの人がドン・コルレオーネのモデルだと思う。
当時のテレビの録音をきけば分かるのだが、この人は声が物凄くしゃがれている。
やはり、ドン・コルレオーネは声がしゃがれてこそですよ。