夢の国ストライキ ~ウィリー・ビオフ~
Disney strike 1941
グーグル画像でこれを検索すると、1941年に行われたディズニースタジオのストライキに関するパンフレットの画像が出てくる。
ドナルドダックが『ストライキは終わった!』とデマを流すラジオを角材で滅多打ちにし、『ディズニーは不公平!』と描かれたプラカードをミッキーが掲げている。
そして、そこに描かれる文字はディズニー風のコミカルなフォント。
おそらく世界一豪華なストライキ・パンフレットである。
なにせ、ストライキはディズニーのアニメーターたちが起こしたのだから、会社側の主張する著作権など屁でもない。
夢の国チキンレースはこのときから始まっていた。
そうして、描かれたイラストのなかにごついギャングが銃を構えて、ウォルト・ディズニーがその後ろに隠れている絵がある。
このギャングこそが今回の主役であるウィリー・ビオフ。
ディズニー・アニメーターたちの筆誅にかけられ、ウォルト・ディズニーがスト潰しに頼ったこの大物ギャングについて、見てみよう。
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1900年、シカゴのユダヤ系家庭に生まれ、八歳の時に家を追い出され、そのまま悪の道を進む。
酒の密売と売春の斡旋を行っていて、ケチな三流ギャングに過ぎなかった。
そのビオフが一旗揚げようと目指したのはロサンゼルスのハリウッドだった。
当時のマフィアたちは様々な労働組合に食い込んで、甘い汁を吸っていた。
これまでマフィアたちは密造酒を売るので忙しくて、ハリウッドのことは真剣に考えていなかったが、禁酒法が終わるとビオフはここに金の鉱脈があるのではないかと思い、探りを入れる。
間もなく、ビオフはジョージ・ブラウンという人物と知り合う。
ブラウンはハリウッドの美術担当スタッフ組合の幹部だった。
ビオフとブラウンは意気投合し、暴力と脅迫と買収で組合を掌握し始めた。
打ち出の小槌の構造は至極単純だった。
ビオフは組合員たちにストライキを起こさせ、映画製作会社からカネを強請った。
ハリウッドの大道具係と小道具係のほとんどがこの組合に加盟していたので、ストを起こせば、映画製作が止まる。
頭を抱えた製作会社にビオフとブラウンがストライキ問題解決の専門家と名乗って、彼らに顧問料を払うと、あら不思議。
ストライキもボイコットもきれいになくなってしまう。
簡単で比較的安全だが、儲けはデカい。
ローリスク・ハイリターンの儲け話というものは実在していたのだ。
途端、ビオフとブラウンは使い切れないほどのカネが転がり込み、早速豪遊しまくった。
ところが、そううまい話は続かない。
ビオフはシカゴ出身のチンピラだが、シカゴ・マフィアに座布団を預けていたことがあった。
つまり、準構成員だった。
当時、シカゴ・マフィアはアル・カポネが脱税でアルカトラズ島に送られ、カポネの右腕として賭博全般を取り仕切っていたフランク・ニッティがボスになっていた。
ニッティはこのウハウハ・ブラザーズに目をつけ、上納金を支払えと言ってきた。
これにはビオフたちも参ったが、しかし、ビオフはシカゴ・マフィアの大物たちがバックにつけば、もっと大きく稼げるのではないかと考えてみた。
これが大当たり。
ビオフは前からハリウッドに興味があったジョン・ロセリら有力マフィアたちのバックアップを得て、ブラウンを国際映画製作スタッフ連盟の会長に据え、ありとあらゆる映画製作スタッフを支配下に組み込んだ。
買収で組合幹部たちはビオフによって篭絡され、スタッフたちはビオフのいいなりになって、ストライキを打った。
あんなギャングのいいなりになるなんておかしい!と声を上げる良心的なスタッフや組合運動家もいたが、もちろん彼らは解雇され、完全に干されてしまう。
信じられない話だが、1934年ごろにはハリウッドはマフィアの支配下にあった。
ビオフとブラウンのもとには、大金が転がり込み続け、そのうちもうストライキを起こすのが面倒になったのか、映画製作会社の幹部を集金係にして、自分たちの顧問会社へ顧問料を支払わせるようになる。
ビオフにカネを支払っていたのは『ワーナーブラザーズ』や『パラマウント』などの大手から、映画ではなく演劇の比較的小さな製作会社まで多岐に及び、ビオフ&ブラウンのもとにはシカゴ・マフィアに上納金を支払っても、二百万ドルの利益が残った。
この時代の二百万ドルは二千万ドルくらいの価値があります。
年に二千万ドル稼げるヤクザやマフィアなんて世界でも十人かそこらです。
ビオフは誰かを殺したことのない、ちょっと喧嘩ができるチンピラに過ぎなかったが、そのチンピラが物凄い金脈を当てたわけだ。
マフィア史上、最もカネを稼いだチンピラ。
そういう意味では異色の存在だった。
ビオフはストライキを起こすぞと脅して、金を強請る一方、スタッフたちの自発的なストライキを潰して金を受け取ってもいた。
そのターゲットになったのが、ディズニーだ。
1940年はディズニーにとってさんざんな年だった。
『ピノキオ』と『ファンタジア』がコケて、かなりの赤字を抱え、株価が25ドルから4ドルに下落。
そもそも世間は『白雪姫』のようなおとぎ話を期待していたが、『ピノキオ』は社会風刺に焦点を当てた癖の強い原作で『ファンタジア』は芸術性に振り切りすぎた。
会社の不振はスタッフへの待遇悪化につながる。
ディズニー・スタジオの給料は割といいほうだったが、現在の日本のアニメーター事情によく似たやりがい搾取なところがあり、アニメーターやその他スタッフたちは自分たちの私生活になるはずの時間も全部費やして、製作に当たっていた。
それまではウォルト・ディズニーとスタッフたちのあいだの関係は良好で割と開放的な職場であり、自由に意見を言えて、建設的だったのだが、世相が第二次世界大戦へと傾き、アニメがプロパガンダに使われる公算が強くなり、そのあたりでも会社側とスタッフ側の対立があった。
そして、ついにとうとう1941年にアニメーターをはじめとするスタッフたちがストライキを起こす。
ウォルト・ディズニーは困り果て、ストの解決をビオフに依頼。
結果的にストはビオフの雇ったチンピラたちによって潰された。
その後、ディズニー・スタジオは製作に復帰するのだが、多くの仲間が解雇され、そのなかにはグーフィーの生みの親もいた。
自分たちにギャングをけしかけたことでウォルト・ディズニーとスタッフのあいだには埋まらない溝ができてしまった。
同じ年、日本軍が真珠湾を攻撃。
アメリカの参戦が決まると、バックスバニーやスーパーマンがヒトラーやトージョーをぶちのめすプロパガンダ・アニメが次々と製作された。
もちろん、ミッキーマウスやドナルドも。
さて、ビオフに戻る。
戦争が始まってもビオフはハリウッドの大物で大いに稼いでたが、派手にやり過ぎて、ついにとうとう1943年、年貢の納め時がやってくる。
ビオフ&ブラウンと関係が深かった20世紀フォックスの会長ジョセフ・シェンクが労働組合買収と所得税のごまかしで逮捕起訴され、そこを突破口にビオフとブラウンは脱税と組合絡みの脅迫の罪でこれまた逮捕起訴され、アルカトラズ刑務所に収監される。
アルカトラズ刑務所は当時のアメリカには珍しい看守を買収して、快適なプリズン・ライフを送れない刑務所として有名だった。
あのカポネですら、ここでは何の影響力も行使できなかったのだから、カネはあっても根は小物のビオフではどうしようもない。
かなりの長期刑になるだろうと予測したビオフは連邦検事のボリス・コステラネッツに電話をかけた。
「オーケイ、ボリス。何が知りたいんだ?」
ビオフはハリウッドの組合ビジネスに関与したシカゴ・マフィアの幹部たちを片っ端から売った。
ポール・リッカ、ジョン・ロセリ、チャールズ・ギオエ、フランク・ニッティ。そして、長年の盟友、ジョージ・ブラウン。
起訴されたマフィアたちは十年の実刑判決、ボスのフランク・ニッティは刑が決まる前に自殺。実は閉所恐怖症で、刑務所暮らしは絶対に耐え切れなかったのだ。
ブラウンは1943年、刑務所で急死。怪しさ満載です。
ビオフはというと、起訴は取り下げられ、無罪放免。
偽名を使って、マフィアの手の届かないところで人生をやり直します。
「あの野郎、どこに消えやがった?」
「大陸の反対側じゃねえの? バーモント州かコネティカット州あたり」
「ニッティが死んだのはあいつのせいだし、落とし前はつけねえといけねえ」
「どこにいるのか分かんねえんだぞ。どうやってぶっ殺すんだよ?」
「おい、いま、ガス・グリーンバウムのとこの子分が来た。あの野郎、ベガスにいやがるぞ」
マフィアたちはみな、は?と思ったことでしょう。
ビオフはロサンゼルスからさほど離れていないラスベガスのカジノで働いていたのだ。
それはビオフが裏切ってから、12年後の1955年のこと。マフィアがラスベガスで幅を利かせていた時代だ。
しかも、カジノの持ち主はガス・グリーンバウムというユダヤ系ギャングで、シカゴのマフィアとは普通に付き合いのある人物だ。
1955年11月4日、ビオフは車庫に停めておいたピックアップトラックに乗り、キーをまわした。
すると、スターターに接続されていたダイナマイトの信管に電気が走り、ビオフは木っ端みじんに吹き飛ばされた。享年、55歳。
ちなみに同じ年の7月、ディズニーランドが開園している。
華やかなハリウッドの生活を忘れられず、華やかなベガスで働いたのだろうか?
だからといって、ギャングのカジノで働くとは小物ながら肝が据わっている。
ビオフは間違いなく、大穴を当てたギャングだった。
本来なら場末のナイトクラブで売春の斡旋をしているような小物だった。
しかし、ビオフは夢の国の一揆鎮圧に関わり、夢の国にかかっていた魔法をといてしまった。
その意味で言うと、最も世界に影響を与えたギャングなのかもしれない。




