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奇跡の三年間 ~ウィルフレード・ジョンソン~

 マフィアが裏切って、検察に仲間を売ったら、たいていは証人保護プログラムに入る。

 ブルックリンのニューヨークっ子がアリゾナかアイダホで家族丸ごとと新しい人生を始める。


 証人保護プログラムに入ったら、両親の死に目にも会えない。

 会いに行ったら、両親のすぐ後を追うことになる。


 ところが、あるマフィアの準構成員はFBIの情報提供者であることがバレたにもかかわらず、証人保護プログラムに入らず、生まれたブルックリンを離れず、三年間生きた。


 これは信頼関係の物語である。


     ――†――†――†――


 ウィルフレード・ジョンソンがFBIの情報提供者になったのは1966年。

 当時、ジョンソンはガンビーノ・ファミリーの幹部カポカーマイン・ファーティコの子分だったが、ファーティコが収監中、家族の面倒を見てやるという約束を破った。


 ファミリー絡みの押し込み強盗をして逮捕されたのだが、この約束が反故になり、ジョンソンの妻は働いたが、乳幼児ふたり抱えてフルタイムで働けるわけはなく、とうとう生活保護に頼ることになった。


 ジョンソンはこのことに激怒し、ガンビーノ・ファミリーについての情報をFBIに漏らすことになった。


 ウィルフレード・ジョンソンは1935年生まれ。

 アメリカにとっての下町葛飾的位置にあるブルックリンで生まれ、ブルックリンで育った。

 父ちゃんはネイティブ・アメリカン、母ちゃんはイタリア系。子だくさんの一家だった。


 父ちゃんは建築労働者だったが、酒に酔うと母ちゃんと子どもたちをぶん殴った。

 そして、母ちゃんはときどき家出をしたが、子どもはおいていったので、逃げた母ちゃんの分、余計にぶん殴られた。


 そんなウィルフレードの最初の犯罪は九歳のとき、キャンディストアのレジスターに手を突っ込み、カネをつかめるだけつかんで逃げて、逮捕された。


 ところが、そのキャンディストアというのが、当時マフィアに良質な殺しを提供していた殺人株式会社マーダー・インクの司令部だった。


 ぶっ殺されてもおかしくないが、殺し屋たちはむしろウィルフレードの根性を気に入り、見込みありとみたようだ。


 ウィルフレードが十二歳のとき、学校で喧嘩して、決闘をすることになり、それを学校の屋根の上でやり、落ちて、頭をぶつけた。これにより、生涯、彼は慢性の頭痛に悩まされることになる。


 ジョンソンはそのうち重機操作労働者組合に入り、働いたが、まもなく犯罪の道をひた走ることになる。

 六フィートに一インチ足りない身長に二百ポンドオーバーの体重で、プロのレスラーみたいにいかつかったジョンソンは誰かに頼まれて、誰かをボコボコにしたりして、ストリートを生きていく。あだ名はウィルフレードの名前をもじって、〈ウィリー・ボーイ〉と呼ばれていたらしいが、実際は父ちゃんの生まれをとって、〈インディアン〉のほうが通っていたとか。


 イタリア系マフィアとかかわるようになったのは1949年ごろから。

 ゆうこときかない馬鹿を足腰立てなくなるくらいぶちのめしたいときにウィルフレードは重宝された。

 そのうち、正式組員メイドマンたちの高利貸しの取り立て屋として活躍し、ターミネーターと呼ばれるようになる。


 自分ではお金を貸していないウシジマくんである。


 そんなこんなの暮らしを続けていると1957年、ウィルフレードはあるチンピラと出会う。

 ジョン・ゴッティ。NY五大ファミリーのひとつ、ガンビーノ・ファミリーのドンとなる男だが、当時は高校ドロップアウトした喧嘩好きの十七歳だった。


 ウィルフレード・ジョンソンはゴッティの先輩として、ストリートでの生き方を教えていく。

 しかし、師弟関係はまもなく逆転。ゴッティはその暴力と機転の利く頭でガンビーノ・ファミリーの正式組員メイドマンになったのだ。


 ジョンソンは半分インディアンの血が流れているので、正式組員にはなれない。

 ゴッティの引きでジョンソンはガンビーノ・ファミリーの準構成員アソシエーツになり、ゴッティの直属上司で幹部のカーマイン・ファーティコの下につくことになった。


 このころ、ジョンソンが主にやっていたのは武装強盗だった。

 商品を積んだトラックを銃を突きつけて奪い、その荷――酒のこともあれば、ラジオのこともあり、カシミアのセーターのこともあった――を故買屋で現金に変えるのだ。

 もちろん、この仕事にはファーティコへの上納金もあるが、仕事熱心なジョンソンはファーティコから違法賭博場をひとつ任され、安定した収入を得るようになる。


 このようにガンビーノ・ファミリーでいい思いをしたジョンソンだったが、まもなくマフィアの意地汚さを目の当たりにすることになる。


 まず、ボスのファーティコ。

 さっきも言ったように、家族の面倒を見ると言いながら、カネが惜しくなりそれを破った。

 ジョンソンからすれば、自分は忠実で一度も上納金を払い遅れたことはなかったし、ぶちのめせと言われたら誰であれぶちのめした。

 それがこれかよ、と。


 もうひとりはジョン・ゴッティ。

 年下の元格下は正式に組員になれたことでジョンソンにデカい態度をとることになる。

 それだけならまだしも、ゴッティはギャンブル中毒であちこちデカい額を負けていたのだが、ゴッティは当然のごとく、ジョンソンの賭け屋の借金を踏み倒した。


 1967年、出所したジョンソンは再びFBI特別捜査官マーティン・ボランドと連絡を取り、情報提供を行った。

 ジョンソンの主要な稼ぎが輸送トラックへのハイジャックだったので、近所で行われたハイジャックのことならだいたい耳にしていた。


 たとえば、ルケーゼ・ファミリーの幹部ポール・ヴァリオの子分たち、ハイジャック特化型の強盗軍団を売った。

 この強盗軍団がルフトハンザ航空が運んできた数百万ドルの現金を強盗した事件はマーティン・スコセッシ監督の『グッドフェローズ』でおなじみだ。

 この強盗の主犯ジミー・バーグはカネを惜しんだのと裏切りの疑心暗鬼になったのとで、子分を殺しまくったが、情報の出元はジョンソンからだったのだ。 


 そのころ、ジョン・ゴッティがめきめき頭角をあらわし始めた。


「ムカつくことがほとんどだけど、ときどきジョンが好きになるんだ」


 元弟子ゴッティのことを密告するのは少し気が引けたらしいが、しかし、こうも言っている。


「あいつはどうしようもないギャンブル中毒で週に十万ドルも負けたこともある。そんなとき、どうするか? 自分より立場が上の賭け屋の借金を払い、立場が下の賭け屋は踏み倒す。おれ? どっちかなんてすぐ分かるだろ?」


 ゴッティはボスになった後、禁酒法時代のギャングみたいに高級スーツで身を固め、洒落者のドンとして名をはせたが、ジョンソンはこう言っている。


「騙されるなよ。今も昔も、あいつはこすっからい法螺吹きだ」


 ジョンソンは情報提供の見返りに金を要求することはなかった。

 一度だけ、ボランド捜査官から百ドルを借りたことがあったが、ジョンソンは利子をつけて返している。

 そのへんに譲れない線引きがあったのだ。


 ボランド捜査官は情報提供者との信頼関係を築くため、保険会社に問い合わせた。

 ジョンソンは奪われた荷物がどこの誰に盗まれ、どこに保管されているかを知っていた。

 保険会社は盗まれた品物の奪還に情報を提供してくれた人物に対して、謝礼を払っている。

 これがジョンソンの手に渡るようにした。


 ジョンソンはその後、ジョン・ゴッティが力を入れている麻薬売買についての情報を流し、またファミリーのボスの甥を誘拐して殺した男を殺害したのがゴッティであり、これによりゴッティの株が上がって、次期幹部間違いなしになった情報も上げた。


 ゴッティはその殺しで逮捕起訴されたが、ボスのカルロ・ガンビーノが敏腕弁護士を雇ったおかげで三年で出てこれた。


 ジョンソンとFBIとの関係は十九年間にも及んだ。

 そして、ボランド捜査官とのあいだには強固な信頼関係が築かれた。


 その関係は突然崩れた。


     ――†――†――†――


 1985年、連邦検事のダイアン・ジャコローネがジョンソンがFBIの情報提供者であることを世間に暴露した。もちろん、マフィアも知ることになる。


 なんでそんなことをしたのかというと、ジャコローネはジョン・ゴッティの起訴投獄を狙っていたのだが、そのためにはジョンソンの裁判での証言が必要だった。


 そこで野心家のジャコローネはあえてジョンソンの正体をばらし、後戻りできない状態にして答弁取引ののち、ゴッティの裁判で証言させジョンソンを証人保護プログラムに入れるという方策を取ったのだ。


 これ以外、生き延びる方法はない。ジョンソンはこの取引を飲むしかないと思ったのだが……


「証言はしないし、証人保護プログラムにも入らない。ブルックリンを離れるつもりはない。それと、もう情報提供はしない。あんたたちを信じられなくなった」


 三年後の1988年8月29日、ジョンソンは自宅前で十九発の弾丸を浴びせられた。そのうち六発は頭に撃ち込まれていた。


     ――†――†――†――


 正体がバレてから殺されるまでの三年間、なぜジョンソンが生きてこれたのかは不思議だ。

 85年にゴッティが有罪判決を食らったころはマフィアはかなり忙しかった。

 コミッション裁判で五大ファミリーのボスたちが全員懲役百年を食らい、一度にボスとアンダーボスと相談役を投獄されたコロンボ・ファミリーでは後継者争いが起きた。同じことはルケーゼ・ファミリーでも起きていて、マフィアたちが未曽有の大混乱を被ったのは確かだ。


 ただ、大混乱だけでは三年間という長い期間は説明できない。


 ゴッティ裁判ではアンダーボスのサミー・グラヴァーノが検察に寝返って、証人保護プログラムに入った。ルケーゼ・ファミリーの内部抗争では勝ち目がないと見たアンダーボスのアンソニー・カッソがやはり検察に寝返って、証人保護プログラムに入っている。


 正式に加入したマフィアの、それもボスの右腕たち、それに幹部や兵隊たちが裏切って証人保護プログラムに逃げるなか、ウィンフレード・ジョンソンはマフィアの目にどう映ったか。


 三年間、ブルックリンで生き延びられたのは、案外、そのへんにこたえがあるのかもしれない。

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