原罪 ~ビッグ・ジム・オレアリー~
1871年10月8日 イリノイ州シカゴ
夜、キャサリン・オレアリ―は納屋で牛の乳を搾っていた。
すると、牛がランタンを蹴飛ばし、それが藁のなかに飛び込んで、あっという間に火がまわった。
それから丸二日間、火はシカゴ市内へと延焼して、10月10日に鎮火したときには死者250人以上、焼失した建物17400以上、2000エーカーで東京ドーム約174個分だった……。
これがシカゴ大火と呼ばれる出来事だ。
「馬鹿女!」
「マヌケ!」
「なんで夜に牛の乳なんか搾るんだよ、クソアマ!」
シカゴ市民の憎悪はキャサリン・オレアリ―に集まったが、キャサリンは自分じゃない、牛の乳なんか搾っていない、火事があったときは家で寝ていたと必死に否定した。
1895年、キャサリン・オレアリ―は『シカゴを焼いた馬鹿女』と蔑まれ、憎まれ、死んでいった。
のちにキャサリン・オレアリ―が火元だと報道したシカゴ・リパブリカン紙はその記事が捏造であったことを認めた。
まさにマスゴミ。
ただ、人ひとり破滅させたのにお咎めはなかった。
シカゴ市がキャサリンと牛を無罪としたのは彼女が死んでから102年後の1997年のことだった。
――†――†――†――
ジェームズ・パトリック・オレアリーは1893年、貧しいアイルランド系移民の家に生まれた。
彼が二歳のとき、シカゴ大火が起き、母親が原因と世間が糾弾した。
これにより、ジェームズは物心つく前から『シカゴ大火をおこした女の子ども』という汚名を背負うことになる。
もうまともな職につけなかった彼は十代で私設馬券屋のもとで働くようになる。
まもなく、彼は彼のことを誰も知らないインディアナ州へと移り、そこで場外馬券場を開くが、いかんせん十代のガキ。これは失敗し、破産する。
理由は簡単で、競馬場から遠すぎたので、情報が入るのが遅かった。
だから、オッズ計算が間に合わなかったのだ。
ジェームズはまたシカゴに戻り、精肉工場〈ユニオン・ストック・ヤード〉で働くことにする。
ユニオン・ストック・ヤードは世界最大の精肉工場で、西部のカウボーイが育てた牛はここに集中する。
ただ、精肉工場というのはブラックのなかのブラック企業で、1907年にアプトン・シンクレアが発表した小説『ジャングル』では労働者は悲惨な状況で働かされ、肉の品質保持もいい加減で腐った肉や内臓を混ぜて、ひき肉を割り増ししたりとやりたい放題であることをすっぱ抜いた。
ジェームズが働いたのはその前であり、貧しくて英語もろくに話せない移民やワケあって普通の仕事ができない準犯罪者が集まっていた。
精肉工場はあまりにも広大で労働者も大勢いたので、『シカゴ大火をおこした女の子ども』はうまく紛れることができた。
体格がよく優秀な働き手だったジェームズはここで生涯のあだ名になるビッグ・ジムと呼ばれるようになる。
小金を貯めたビッグ・ジムは1890年代、ユニオン・ストック・ヤードをやめて、再び立身出世を夢見て、ハルステッド通りに酒場を開く。
ここはトルコ風呂、ビリヤード・ルーム、ボウリング場、レストランなどもやっていて、ちょっとした大人のアミューズメント施設であった。
これが当たると、ジェームズはギャンブラーとして成功を目指し、ユニオン・ストック・ヤードの出入り口近くに情報屋を配置し始める。
世界最大の精肉工場にはかなり整った電信設備があり、少年時代の失敗でギャンブルは情報が命と心得たビッグ・ジムはそこの電信係に賄賂を渡して、競馬場の情報を仕入れて、それをもとに違法な私設馬券屋を開く。
これが大成功。
もっといろいろ情報が手早く手に入ることが分かったビッグ・ジムは今日のお天気から大統領選挙までいろいろなものを賭けの対象にし、いつしかシカゴで押しも押されぬ賭博業者として知られるようになる。
二十世紀に入ると、警察が手入れをできないよう、蒸気船にカジノを作ったり、電話交換台を買って、イリノイ州じゅうから電話で賭けの注文を受けつけたりと積極的に攻めていき、大儲けをした。
これだけ違法賭博に従事しながら、有罪判決を食らったのは一度だけ。
ビッグ・ジムの賭博場には議員や判事、大富豪、警察関係者も多く来て、賄賂も忘れなかった。
1907年には遊園地〈ルナパーク〉の共同経営者になったが、これは1911年に閉店している。
こうしてビッグ・ジムは百万長者になったが、シカゴにはもうひとりビッグ・ジムの名を冠する違法事業者がいる。
ジェームズ・コロシモというイタリア人でビッグ・ジム・オレアリ―が賭博特化型とすると、コロシモは売春特化型だった。
コロシモもまた相当儲かっていたらしく、オペラだ年下の妻だダイヤモンドだと派手に暮らしていた。
コロシモの高級売春婦とレストラン事業はうまくいっていた。
ちょうどそのころ禁酒法が始まり、ビッグ・ジムはコロシモのレストランにウィスキーを卸していたらしい。
ふたりのビッグ・ジムは友人で、オレアリ―はコネで本物のスコッチが手に入るから、コロシモのレストランに融通していた。
コロシモには当時、ジョン・トーリオという右腕がいた。コロシモが悪辣な恐喝者に狙われたとき、それを力ずくで解決してくれる人物として、コロシモがニューヨークから呼び出したのだ。
「やあ、トーリオ。スコッチ三十ケース。届いたかな?」
「はい、ミスター・オレアリ―」
「なかなか景気がいいようだ」
「まあ、どんな時代でも売春は流行りますよ」
「何か不安げだね」
「いえ。ボスに密造酒事業に乗り出すように言ってるんです」
「ほう」
「でも、いまの売春で十分儲かっているからと興味を示さないんです」
「まあ、確かに儲かっている」
「でも、密造酒はもっと儲かりますよ」
「それは違いない。ただ、ライバルが多すぎる」
「いえ、きちんと縄張りを決めておけば、それでも全員が十分に儲かるんです」
「コロシモを説得するしかないね」
「はい――おい、アル。倉庫へ行って、ブランデーの在庫を確かめてくれないか」
「了解っす」
「あの若者は?」
「カポネって男でおれがニューヨークから呼びました。なかなか頭も切れますし、度胸もあります」
「素晴らしい若手に恵まれて、コロシモは安泰なわけだ。じゃあ、また来るよ」
「またお願いします。ミスター・オレアリ―」
1920年、それから間もなく、コロシモは自分のレストランで撃ち殺された。
やったのはトーリオで、コロシモが密造酒事業への進出にどうしても、うん、と言わなかったからだと言われていた。
コロシモにウィスキーを融通していたビッグ・ジムも関与を疑われた。
すぐに釈放されたが、殺人の容疑で逮捕されたのは初めてだった。
このころ、第十九選挙区で議席をめぐって、殺し合いが起きている。
何かが変わりつつあった。
確かにビッグ・ジムの部下にも用心棒がいて、銃も持っているが、銃を使ったら、それはギャンブラーとして負けだった。
ビッグ・ジムのような古株は法を破るとき、スマートに破った。
だが、いまの違法事業者たちは血生臭く、残酷で、力ずくで破る。
それがひどく不安だった。
1925年1月23日、死去。
妻と五人の子どもに見守られての病死だった。
――†――†――†――
マスコミのいい加減な報道で世間からシカゴを焼いた女の子どもとさんざん蔑まれ、母は苦悩のなかで死んでいった。
シカゴを焼いた女の子どもはまともな職につけるわけがなく、その結果、彼は違法事業者になった。
彼はやろうと思えば、妊婦にヘロインを売ったり、公共の場で爆弾を破裂させたり、走行中の自働車から機関銃を乱射したりして、世間に報復することができた。
だが、違法事業者として選択したのは、世間に報復することではなく、世間を楽しませることだった。




