三章:夜神アリスと副会長E
ふと、目を開けるとそこは学校だった。それも、見たことのない夜の学校。シンと静まり返った教室に自分だけが居座っている。夢だろうか。しかし妙に生々しいというか現実的というか…。
そう思っているとある声が自分を呼んでいる気がした。廊下の方からだ。それも、だんだんと大きくなってきている。物騒な足音と共に声が叫び声だと分かる。
ギャアギャアと響き渡るその声は、とうとう教室の扉の前で止まる。
ガラガラ。ドアが開いた。得体のしれない生き物が入ってきた感覚だ。逃げろ、逃げろと本能が脳を刺激しているのに、足はがくがくと震えて動かない。
次の瞬間、「それ」はふらふらとした足取りで静かに自分の眼中に入ってきた。女だ。血まみれの服を着て、髪は伸び放題で。けれど、そんなことよりも目を引くのがその顔面だった。口は耳まで裂けて、鼻は不自然に折れ曲がり、目玉は無く、虚空がどこまでも続くような瞳だった。
突然、その真っ黒な穴と自分の瞳が合った瞬間に女は耳が痛くなるような笑い声を上げた。汗が止まらない。それと同時に震えも。ひたすら下を向こうとしていたがどうしても目がそちらへ流れてしまう。
「みいつけた!きゃははははははははは。きょーのちょーしはどお?」
狂気に満ちた微笑みを浮かべてそろりそろりと近づいてくる。動け動け動け!拳を作って膝の上で震わせる。だが、肝心な時にこの足は動かず、女が隣に来てしまった。駄目だ、死ぬ!
「ほっそいあしぃ。なくてぇも、いいんじゃああなあいのお?」
「きゃあああああああ。」
全身に走る痛み。女が言葉を放ったか否かの直後、左足の太ももの肉を引きちぎられる。たまらず女を突き放し、痛む足を動かして教室から出る。振り向くと、自分のちぎられた肉片が女に食べられていた。
「まっずううううう!でも、逃がさあなあいよおお?」
とにかく、逃げなければ。しかし、床を踏むたび大量の血と共に痛みが走る。必死で真っ暗な階段を降り、玄関に辿り着く。だが、あろうことか正面扉はぴしゃりと閉まっている。
「うそ?なんで?鍵も開かない!」
もたもたとしているうちに、あの奇声が響き渡った。
「無駄ああなぁぁのおおお!血い落ちてるぅよお?きゃははははははは。」
もう、逃げ場は無い。と、思ったときに二つの掃除用具ロッカーが目に入る。一か八か、隠れるしかない。慌ててロッカーに逃げ込んだ。
「はあ、はあ。もう、大丈夫よ。きっと。」
心の中で呟き、そっと小さい穴から外の様子を伺う。なんだ、何か変だ。あの奇声が止んだ。それも唐突に。どうなっている。もしや、どこかへ行ったのか?
「よかった…。」
小さく安堵のため息をつく。
「何があああ?何が良かったあのおお?」
大きな音がしたかと思うと、真っ暗な目玉のない歪んだ顔がロッカーを開けて立っていた。
「きゃあああああああああ!」
ガバッと布団から起きて、吉沢花美は悲鳴をあげる。そして、しばし過呼吸が続いたと思ったらどたどたとメイドが走ってきた。
「お嬢様、どうなさいましたか?」
「え、な、なんでもないですわ。」
頭を抱えて花美は横になった。時刻は午前二時。いつもこんなことはない。いや、まて。そういえば最近悪夢にうなされることが多くなった気がする。それも、こんなに長期間続くのは初めてだ。
「花美!どうしたの?」
母親がメイドを押しのけて駆け寄ってきた。どうやら家中に響く悲鳴だったようだ。
「お母様、心配なさらず。す、少し悪夢を見ていただけですわ。」
「花美?顔色が悪いわ。唇が真っ白!それにこんなに震えているわ!あなた達!今すぐお風呂を沸かしてちょうだい!」
「お母様。大丈夫ですわ。お風呂もけっこう。私はもう少し寝ますわ。」
「そう?なら構わないわ。花美、何かあったら母を頼るのですよ。」
「ええ。有難うございます。」
母親とメイドが部屋を後にした時、花美は横になったが眠れなかった。眠ればまたあの恐怖がやって来ると思うと目を閉じる事さえできない。恐ろしい。痛みが本物の様に自分を襲ってきた。
ふと、花美はちぎられた左足の太ももを恐る恐る覗いてみる。すると、そこには細い太ももがしっかりとついていた。だが、足を触ってみると感覚がない。動かそうにも動かない。どうなっている。まさか、足の機能が低下したのか?よく布団を見ると、べちゃべちゃと血がついている。
「お、お母様!来てちょうだい!私の足が、足が!」
花美が呼ぶと、先ほどの様にどたどたとした足音はなく、ピチャリ、ピチャリと水辺を歩く音が聞こえる。どうしたのだろう、洗面器の水でも漏れたのだろうか。
「お母様?どうなさいましたの?」
「なんでもないわ花美。」
ドア越しにやけにおっとりとした母親の声が聞こえる。
「ああ、よかった。先ほど夢に出てきた化け物かと思いましたわ。」
「化け物?」
ぎいっと扉が開く。だが、おかしい。母親が、あの心配性の母親がなぜさっさと姿を現さないのだ?
「ええ。気持ちの悪い化け物でしたわ。」
「へえーー。それわああ、私のぉぉこぉとお?」
母親の声が徐々に変化し、ついには夢に出てきたあの女の声がする。
「う、嘘。お、お母様?お母様!誰か、いないの?助けて!」
「だあれもいなあああい。かぁわぁいそお。きゃはははは。」
ついにその女が姿を現し、ベッドに近づいてくる。その、笑い声といい顔といい、全てが花美を恐怖へ貶める。
「い、いやああああああ!!!!!」
そして、本当の目覚めが来た。花美は訳が分からず、何度も周りを確かめる。どこまでが夢で、どこからが現実なのか。いや、全部夢なのかもしれない。
「あ、足は?」
動かなかった左足はいつも通り健全に動き、血塗られていたベッドはフカフカで綺麗なままだった。
花美は、ガクガクと震えながらベッドを後にする。暖かい日差しが包み込む二階廊下をパジャマで歩き、台所へ向かった。今日も朝ご飯はトーストとスクランブルエッグ、ミックスジュース、シリアルだ。
「お、おはようございます。お父様。お母様。」
「おはよう花美。今朝は遅いな。もう七時半を過ぎているぞ。」
新聞を広げ、肩幅の広いスーツ姿の父が椅子に座っていた。腕時計は相変わらず金色で、髪もワックスで整えられている。
「いいじゃありませんかあなた。花美だって寝坊くらいはするわ。ささ、ゆっくり食べなさい。学校が始まるのは八時半でしょう?」
いつも通り濃い化粧で朝を始める母がニコニコと笑ってスープを出してくれる。
「ええ。そうですわ。」
変わりない日常だ。あんな夢程度でびくびくしていた自分が馬鹿馬鹿しい。さっさと忘れてしまおう。パクパクと朝食を食べ、自室に戻り、制服に着替える。美しい髪を梳かしリボンを結び、カバンを持って玄関に向かう。
「行ってきますわ。」
「行ってらっしゃい花美。」
「遅れるなよ。」
父母に見送られて、玄関に待たせてある執事の車に乗り込む。
「ごめんなさい。待たせたわね。さ、行ってちょうだい。」
「了解しましたお嬢様。」
メイドも、執事も、母親も、父親も。特に変化はない。あんな恐ろしい夢、決して口にはできないが、ともかく現実ではない事に安心する。さあ、今日もあの女を傷めつけてやろう。いじめっ子共も楽しそうにしていた。今日も隠しカメラをしかけてあの女の無様な様を笑ってやろう。
昨日は顔に傷を追っていた。きっと不細工になっているに違いない。明日が休日だというのが気に食わない。あの女を痛めつけられないからだ。くそっ。
花美は思わず爪を噛む。小学校からずっと癖になって、今では気づかないうちに噛んでしまう。気に入らない事があればそれを排除する。気に入らない者が現れればそれを排除する。欲しい物は全て手に入れる。そうして、会長の女となる。それが彼女の今の望みだ。
「お嬢様、着きました。」
「ありがとう。それでは行ってくるわ。」
「お気をつけて。」
堅苦しい表情の執事に挨拶をし、櫻田中の校門へ向かう。暖かい春の日差しの中、花美はいつも通り特別校舎に入り、生徒会長である谷田春香を目にする。
「おはようございます会長。」
「おはよう吉沢さん。今日は遅いんだね。」
「私でもそういうことはありますわ。お気になさらず。」
「そうだね。早速なんだけど、今日の生徒会の集まりは昼休みと放課後でいいかな。」
「勿論ですわ。」
並んで歩くとさっぱりした春香の香りが漂ってくる。身長の高い彼の横にいると、顔には出ないが恥じらいが自分を襲ってくる。こんなにも近い存在なのに何故手に入らないのだ、何故届かない。
花美はどこか自分よりも彼が遠い存在に感じられる。そんな高見の存在に自分以外が手を伸ばそうものならそれを拒み、排除するのはごく自然だと花美は考える。
「会長、どうなさいました?」
花美はいつもより元気のない春香が気にかかった。何かあったのだろうか。
「ん?どうもしてないけど?」
「悲しそうにしていましたので。」
「そうかな?まあ、悲しいんだけどね。」
「何がですの?」
教室に着き、扉を開けるのを春香はしばし躊躇った。
「これ以上は君に言わなくてもいいかな?」
「え、ああ。勿論ですわ。言いにくいことを聞いてしまい、申し訳ありません。」
「構わないよ。」
最近いつもこうだ。それも、あの夜神アリスが会長に会いに来てから。許せない。自分が手を伸ばす存在に害を加えたあの女が。
「少し、用を思い出しましたので。先生によろしくお願いしますわ。」
「ああ、わかったよ。行ってらっしゃい。」
花美は足早に特別校舎から出ると、西校舎に向かう。いじめっ子たちに会いに行くのだ。今日は気分が悪い。もっともっと痛めつけてもらおう。廊下を歩きながら爪を噛む。
「牧野!来て!」
いじめっ子のリーダー牧野三奈を呼ぶ。こんな輩と手を組むのは嫌だが、あの女を痛めつけるにはこれくらい平気でこなせる人間が必要不可欠だ。
「な、なあ。副会長さん。例の夢あんたも見たの?」
「え?夢?」
「こら、君たち何をしている。朝の会だぞ。」
「うっせえよ糞教師!あんたらこっち来て。」
三奈は焦りが混じった声でいじめっ子たちを呼ぶ。全員、様子がおかしい。皆暗い顔をしている。
花美たちは教師に止められるのを無視して、使用されていない教室に入る。
「ねえ、あんたも見たんでしょ?」
「さっきからなんですの?例の夢?」
「あれだよ。あの、気持ち悪い女が襲ってくる夢。」
先程まで忘れようとしていたあの女の顔が脳裏をよぎる。駄目だ、思い出すだけで吐き気がこみ上げてくる。しかし、なんだ例の夢とは。まさか、この女たちも見ていたというのか?
「皆が同じ夢を見たということですの?」
「それしか考えられない。」
「あんなの怖い。もう、私眠れない。」
「とにかく、ただの夢ですのよ。早く忘れた方がよろしいですわ。」
その言葉に、三奈は苛立って花美に詰め寄る。
「ふざけんな!ただの夢だって?んなわけないじゃん!少なくともここにいる奴は皆見てるんだよ?忘れられるような夢でもないし!」
「私に歯向かうつもりですの?その恐怖をあの女にぶつけてやればいいのですわ!」
うまく言ったように花美が腕を組む。
「あの、副会長、そのことなんですけど。」
びくびくと震える女子生徒が不安そうに言葉を放つ。
「今日こっそり様子を見に行ったら、昨日顔につけた傷が嘘みたいに消えていたんです。」
「なんですって?」
奇妙なことに、夜神アリスはいじめっ子たちにつけられた傷や痣が次の日にはきれいさっぱり消えているのだ。彼女と例の夢は何か関係があるのだろうか。
「と、とにかく、あなたたちは私の指示にだけ従いなさい!傷の治りがそんなに早いというならいくら痛めつけても構いませんわ。」
「う、うん。」
追いかけてきた教師にとやかく言われた後、花美は教室に戻る。教室には既に担任が来ており、一限目を始めようとしていた。
「あら、吉沢さん用事は済みましたか?どんなことであれ、朝の会には間に合うようにしましょう。それでは、一限目を始めます。」
「はい。申し訳ありませんわ。」
担任には春香が上手いように話をつけてくれたのだろう。こういう気が利くところについ惹かれてしまう。駄目だ、彼を見ると思い上がってしまいそうになる。
「会長、有難うございます。」
こっそり隣の席の春香に耳打ちをする。
「構わないよ。」
にこりと笑い、親指を立てる春香が愛おしい。頭が爆発しそうだ。どうすれば届くだろうか。
吉沢花美は実に強欲な女だ。自分よりも高い存在は力づくで踏み潰し、気に入ったものは全て手に入れる。春香に惚れたのは小学校の頃だ。初めて彼に興味を持ち始めたのが小学五年生の体育祭である。
当時、花美は生徒会活動に興味を持たず―だがその頃から既にいじめは娯楽の一部であった―特に何かにこだわったりはしていなかった。だが、その日、体育祭の始まりの挨拶を聞いて彼女は谷田春香という人物を知ることとなる。
その日は酷く暑く、花美もイライラしていた。司会者の声がいちいち自分をムカつかせる。
「次は、児童会副会長から始まりの挨拶です。」
さっさと、終わればいい。こんな体育祭、どうせ例年と同じで楽しくないだろう。
「おはようございます。」
その、初めて聞いた優しい声に花美はビックリした。慌てて朝礼台を凝視する。そこには、五年生ながら、堂々とした趣の谷田春香がいた。
「今日は、僕の願っていた通り、カンカン照りの良い天気になりました。」
一言一言に心を揺さぶる何かがあり、自分の胸を打っていく。短い挨拶だったが、花美の心を動かすには充分な長さだった。彼を観察していくうちに段々と彼の声と同じような優しさが彼にあることに気づき、興味を持っていった。そして、いつしかその興味は恋心へと進んでしまうのだ。
中学に上がり、小学校より一層大人っぽくなった春香は、一年で生徒会書記に立候補すると噂が入る。ここで、止まってられるわけがない。花美はすぐさま立候補した。だが、小学校から悪い噂の立っていた彼女が当選するはずもない。それなのに、春香は上級生に可愛がられていたせいか、見事当選したのだ。嬉しさはあった。だが、自分に票を入れなかった上級生が憎く、花美の恋はいつしか他人を傷つけていく哀れな恋になってしまったのだ。
副会長になれたのも、多くの生徒を脅して無理矢理選ばせたからだ。冗談じゃないと反抗した者にはきついいじめを与え、選挙管理委員に票の数を密告させた。
自分に不可能はない。そう、自信を持って言える。他人など所詮自分の土台になるために働くだけでしかない。
花美はその性悪な性格を決して春香に悟られぬよう散々口封じをしてきた。だから、生徒会の今のメンバーも自分に逆らうものはいない。今排除すべきはあの夜神アリスだ。気に食わない後輩が、出しゃばることは許さない。必ず惨めな思いをさせ、自ら転校すると言えば完璧だ。
気づけば、もう昼休みだ。西校舎に行かなければならない。急いで生徒会室に向かう。
既にメンバーは集まっており、副会長の遅れにやや苦笑する。
「遅いっすよー。じゃあ、始めるっすよ。」
「ごめんなさい。ぼーっとしていたわ。」
生徒会の集まりで議題を話し合う時も花美はチラチラと春香を見つめる。真剣に考えるその姿が格好いい。ずっと、こうして見つめていたい。
「吉沢さんはこれでいいかな?」
「え?ええ。勿論ですわ。」
「じゃ、副会長は熊の着ぐるみっと。」
「可愛いっすね。」
「僕はその猫の着ぐるみがいいな。」
いつの間にか、保育園との交流会で着る着ぐるみの話に切り替わっており、話についていけていなかった花美はとりあえず頷いておく。そうでなければ自分が聞いていなかったことがばれてしまう。
ほとんどの生徒が部活動に積極的に参加する時間帯になった。生徒会メンバーは全員帰宅部なので花美がいじめの動画を生徒会室で見ていても誰にも見つかることはない。
「ふふ。今日は私疲れが溜まってますのよ。すっきりさせてもらいますわ。」
花美はにやりと笑い、生徒会室のパソコンで秘密につくった監視ソフトを開く。これは、三奈たちの中のこっそりいじめシーンを撮っている生徒のスマートフォンと繋がっており、リアルタイムで見ることが可能である。標的がいたぶられる様子を観察し、指示を出す。これが、花美のやり方だ。もし教師に撮影されていることを知られればこのソフトを消せばよい。そうすれば、復元も不可能になる。更に、教師が自分を主犯格だと確信しても、父親の権力を使えばいいのだ。何もしていないのに主犯格だと告げられたと泣き、父親をも操る。これがどんなに教師に効果的だろう。教育委員会に訴えて丸くならない教師はいない。
「つまらないわ。どうしてこの女はこんなに傷つけられているのに声一つ上げないのかしら。」
画面を見ながら花美は頬杖をつく。これまでいじめてきた女たちとは違って何か違和感を感じる。だが、こうしていたぶられている様子は滑稽だ。この女を見ていると、もっと苦しめたくなる。もっと痛々しい思いをさせ、嫌がる様子を面白がりたい。いっそのこと殺してしまえばもっと快感が生まれるのではないだろうか。
「あははは。駄目よ私。そんなことを考えるなんて。うふふ。」
と、彼女の中の僅かに残っていた人間性が崩れる音がした。
ふと、撮影中の夜神アリスの顔に目が行った。何故か、こちらを見ている気がする。ボロボロのそのエメラルドがかった瞳がじっとこちらを覗いているようだ。
「な、なんですのこの女。もしかして、気づいているなんてないですわよね。」
花美は焦ってパソコンから身を放した。アリスを見ているうちに、その傷だらけの顔があの夢に出てきた女の顔を思い出させた。花美の錯覚か、それとも夢なのかは分からないが段々アリスの顔がぼやける。ああ、どうなっているんだ。視界がグラグラとしてきた、と頭を軽く振りパソコンの画面を見るとなんとあの女が映っているのだ。いじめっ子がいじめていた人間がいつの間にかあの女に変わっている。
「嘘、嘘よ。どうしてあの女がいるんですの?」
「どーもぉ。ちょーしどお?きひひひひひひひひひ。」
「ひいい!どうなってますの?」
花美は驚いて椅子から滑り落ちる。画面から溢れる奇妙な笑い方。間違いない、あの血塗れの女だ。
「あしいい、ちょおだああいい。」
こちら側に伸ばすその手が画面からはみ出して、空間を超える。花美は必死で立ち上がり、パソコンをバタンと閉じるとすぐさま生徒会室を出る。
「どぉぉこぉぉいいくううのおお?」
「い、いやあああ!」
奇声が聞こえ無我夢中で走っていた花美はドンと前の人間にぶつかる。
「いたっ。」
「おやおや、どうされたんじゃ吉沢財閥のお嬢さん。」
「え、あ!ま、舛井先生。申し訳ございませんわ。私、急いでまして。」
優しい深みのある声の主はこの学校の総校長、舛井文吉である。眉間には深いしわが刻み込まれ、首を完全に隠す白い髭、そして時代を感じさせる黒いシルクハットとインバネスコート。何故だろうか、その独特のオーラが威圧感に思える程迫力のある人間だ。隣にはスーツ姿の秘書が黒いバックを抱えている。
「そうか、そうか。前はちゃんと見て走るんじゃよ。」
「はいっ。有難うございます。」
「舛井様、お急ぎ下さい。他の教師は既に揃っているとのことです。」
苛立った様子で秘書が耳打ちをする。
「おお、そうかの。では、行くとするか。それではな、お嬢さん。」
「はいっ。」
花美は総校長に背を向けて走った。だが、その内に奇声が聞こえなくなり花美は走るのをやめた。そして暫くして自分が見ていたもの、聞いていたものが幻覚であることに気づいた。
一体、どうしたというのだろう。今日は具合が悪い。もう、帰るとするか。と、花美は体の微かな震えを感じながら生徒会室に荷物を取りに行き、そのまま学校を後にした。
執事が校門まで来ると、花美が走ってくる。怯えているのだろうか、顔色が悪い。
執事はふと視線を感じ校舎に顔を向ける。すると、美しい黒髪を靡かせる花美を見つめながら、狂ったような笑みを浮かべる者が夕焼けに照らされる校舎に不気味に映っていた。
ホラー系になってきています。ご了承ください。更新が遅くなり、申し訳ございません。




