三章:夜神アリスと副会長C
ガチャリと玄関のドアが開かれる。それは丁度アリスがドクター達と別れた後の重い空気が流れている最中であった。疲れ切ったアリスは悲しい顔をして、真っ暗な外を眺めていた。もう、こんな思いはしたくない。いっそのこと、自分などいなければよかった、自分に感情がなければよかった。自分がいたことすらなかったことにされてしまうのならば、死んでしまっても誰も悲しまないだろう。だって、自分は人形であるから。ただ、夜神アリスという個体から切り離された精神の一部で他の兄弟からしてみれば、きっと自分たちの妹そっくりの人形としか思われていないだろう。
「ただいまー。あら?アリス、そこにいるのかしら?」
「お帰りなさい。」
やつれた顔のアリスがか細く言う。
「ただいま。」
「ただいまー、おーい、アリス大丈夫か?」
「ただいま。あー、ビール飲みたいなあ。」
「どうも。」
次々と兄弟たちが入ってくるが、アリスは素っ気なくその場を去って研究室に向かった。もう、外にいるのが限界だ。トラッシュが心配そうに何か言おうとしたが、何も聞く気になれない。
「どいてください。」
キッチンに差し掛かった時、アリスはシュロに行く手を阻まれた。
「どかねえよ。」
「聞き分けが悪いですね。もう一度術を発動させますよ?どいてください。」
俯きながらアリスは言う。
「どかねえって言ってるだろ。ちょっと来い。」
「あ、ちょっと!や、やめてください。痛いです。」
アリスはそのままシュロの部屋に手を引かれながら連れられる。その様子を莉央菜は睨みながら見送った。
「なんなんですか。」
「アリス、おめえ死ぬ気だろ?違うか?」
はっとアリスは顔を上げてシュロを見た。そのアリスの目はまだ涙が残っていて、いつものように強気なアリスはいなかった。
「違います。」
「図星だな?」
「違います!」
「嘘を言うんじゃねえよ!俺は知ってるんだぜ。おめえもうすぐオリジナルが完成するんだろ?」
兄は知っていた。何故だかはわからないが、理解していたようだ。
「ええ。嘘ですよ!でも、私に生きる意味なんてないんです。私はただの人形。私はただのソフトなんです。他人とコミュニケーションを取るためだけの、オリジナルが完成した時にサポートをするだけのソフトなんです!今の私は、私は。もう、いなくなってしまうんです。記憶も、感情も、存在自体が皆の頭の中から消えるんです。」
体は震えきって涙を零し、頭を抱えながらアリスは言葉を述べる。全て言い終えてしまったら、アリスはシュロに抱き着いた。
「少しこのままでいてもいいですか。」
「構わねえよ。それに、おめえはただのソフトなんかじゃねえよ。俺の妹だ。例え人形でも俺の大切な妹なんだよ。」
アリスはただ、泣くことしかできなかった。この暖かい兄の温もりがどれだけ救いになっただろうか。普段はあんな兄でも、今は寄り添ってくれる唯一の頼りだ。
「アリス、オリジナルが完成するのは俺も嬉しい。だがな、今のおめえがいてくれるのも俺は嬉しいんだぜ。それに、おめえの連れてきた男いただろ?あいつはおめえに惚れてるんじゃねえのか?」
「分かりませんが、本人もそうだと言っていました。」
シュロに埋もれてアリスがもごもごと言う。
「おめえも惚れてるんじゃねえのか?」
「ち、違います!」
「図星かぁ。まあ俺は許してやるぜ、いい奴そうだったからな。」
「もお!図星ではありません!で、でも。」
思わず口ごもる。
「でも、なんだ?」
「た、確かにいい方です。お優しいし、頼もしいです。」
視線を逸らして赤面するアリスを見て、シュロは思わず笑ってしまった。
「ほら、惚れてるじゃねえか。」
「ななな、何をぬかしているんですか!全然違いますから。それに、あの方はもう、私の事を覚えていませんよ。」
「はあ?おめえ記憶操作の術使ったのか?」
「私ではありません。きっと、なんらかの超能力でしょう。いいように改善されているようでした。」
それを聞いてシュロはため息をつく。まさか、妹が惚れている相手が妹に関する記憶を失っているとは。
「仕方ねえ奴だな。おいアリス、おめえのいじめの方も気になるが、野郎の方も気にかけておけよ?」
「分かりました。ではそろそろ食事に行きましょう。」
「おう。」
「ご主人様、お知らせです。トラッシュ様はしばらくは研究所でお過ごしのようでございます。それと、勝手ながらご質問をさせて頂きます。私が用意しましたカプセルのお食事はどうなされますか。」
不意にクロがアリスの影から出てくる。訓練の際に用意してもらっていたチョコレートの滝やら、肉の木やらがあるバーベキュウのカプセルだ。今日は従姉が来ているのでどうしようか迷っているとシュロが勝手に答える。
「わりいな。また今度お袋が帰って来た時にしてくれ。当分はセリカの飯で大丈夫だ。」
「了解致しましたシュロ様。ご主人様もご納得なされていると見受けましたので失礼させて頂きます。」
「はあい。」
二人は影に沈んでいくクロを見送ってから大広間に向かった。相変わらずだだっ広くて美しい大広間のテーブルにはスパイシーな香りが漂っていた。
「おや、今日はチキンですか。美味しそうですね。」
「ほんとだな。お、カレーもあるじゃねえか。」
本日のメニューは、セリカ特製の組み合わせで作られた数種類のスパイスカレーと、中にたっぷりと秘伝ダレがしみ込んだ骨付きから揚げ、更にはセリカが一から作ったナン、新鮮な海藻サラダである。
まずは何と言ってもカレーがメインだ。兄弟でそれぞれ好みが全く違うので、辛党でないアリス用のカレーも並べられている。ピカリと輝くカレーポットにはシャバシャバに作られたカレー、とろみが見るだけで伝わってくるカレー、真っ赤な唐辛子が目立ち、ぼこぼこと沸騰したままのカレー、具材が小さくて優しい味わいのカレーなどもあり、らっきょうや福神漬けも置いてある。
また、これらのカレーと食べても美味しいし、そのままでも十分美味しい、もちもちとした触感のナンは特大のものが五枚ほどあり、一枚一枚味が違っている。生地そのままの味を生かしたナンもあれば、チーズが散りばめられたナンもあったり、硬さを重要としたナンもある。そのどれもが高級レストランと変わらない味わいになっている為、全員つい夢中で噛むことを忘れてしまう。
「んー、美味しいですね。やっぱりカレーはスパイシーで辛くない方がいいです。」
「でも辛いのも美味しいよ?ね、お兄ちゃん。」
「そうだねシリアちゃん。俺はらっきょうとビールがたまらないなあ。」
「けっ、兄貴ばっかりずりいぜ。俺も飲みてえ。」
「うふふ、駄目に決まっているでしょう?ほ・う・り・つ、よ。」
「怖えよ。」
「セリカ姉さんの料理やっぱり美味しい。」
「あら、ありがとうね莉央菜ちゃん。」
さて、カレーに飽きてきたところで次に口にしてしまうのがから揚げだ。セリカが仕入れた地元の鶏肉をふんだんに使った骨付きから揚げは、大皿にこれでもかというくらいどかどかと乗せられていた。
一口、まず初めに噛んだ感想は「柔らかい」。そして二口目に肉汁と油が舌の上を踊り、三口目にはそこに生姜のきいたタレがしみ込んでくる。さらに、まるまると太った鶏を使っている為、肉の部分が多く骨に至るまでにしっかりと味わうことができる。できたてほやほやのから揚げの暖かさについ口元の力が緩み、口角が上がる。まさに、和の味わいだ。
「プハー、このから揚げはたまらないねえ!ビールとよく合うなあ。」
「あちちっと。」
「あら、シリアちゃん。熱かったかしら?ごめんなさいね。私がフーフーしてからあーんしてあげるわね。」
「キモイ。それに私このくらい平気だもん。」
「うふふ。強がってるシリアちゃんも可愛いわあ。」
「セリカ、そこのレモン取ってください。やっぱりから揚げはレモンとタレのマッチングが一番いいです。」
「なにい?から揚げには塩コショウに決まってるだろ?」
「いやいや、から揚げはマヨネーズでしょう?」
「セリカ姉さんが作ってくれたから揚げならそのままでも十分美味しいよ。」
莉央菜がレモン党のアリス、塩コショウ党のシュロ、マヨネーズ党のセリカに割って入る。ここから、一気に意味のないぶつかり合いが生じてしまう。
「何を言ってるんですか莉央菜!レモンの良さが分かっていないんじゃないですか?第一に、レモンは酸味が程よく、肉とタレの本来の味わいを上手く引き立ててくれるんですよ?」
「それはレモンなんかじゃなくて塩コショウの役目だぜアリス。レモンみたいに酸っぱ過ぎず、丁度いいのが塩コショウだ!」
「はあ?シュロ君もアリスも意味が分からないわ。莉央菜ちゃんは私のから揚げが美味しいと素直に言ってくれているから納得がいくけど。まあそもそも、どんなものにでもマヨネーズは必須よ!だって、隠し味には丁度いいし、何よりそのままでも十分美味しいもの。」
「それはセリカがマヨラーだからでしょう?」
「う、うるさいわねえ!仕方ないじゃない。」
「そんなんだから太るんだぞ。」
「太ってないわよ!」
セリカが思いっきりテーブルを叩いて立ち上がる。
「でも、他の調味料を加えるよりそのままの方がいいと思うよ!」
「何度言っても分からないんですか?から揚げにはレモンですよ。レ・モ・ン!カツにもレモン!水にもレモン!牡蠣にもレモンなんですよ!だから、から揚げにもレモンです!」
「レモンレモンうるせえな!そんなもんはあんまり食べねえほうがいいんだぜ?隠し味にも塩コショウは持って来いだし、なんにせよどこの家庭にもあるだろ!絶対塩コショウだ。」
セリカに続いてバンバンと三人とも立ち上がる。
「ちょ、君たち落ち着けよ。」
「外野は黙ってろ!塩コショウだ、塩コショウ!」
「レモンですよレモン!」
「マヨネーズよマヨネーズ!」
「そのままでいいんだよ!」
「落ち着けって言っているだろう!みっともないぞ四人とも。」
ついにから揚げの味付けの論争が激化したときにリュウガが声を荒げた。とうとう堪忍袋の緒が切れたリュウガは誰よりも強く張りのある声で叱りつける。
「いいか?せっかくみんな揃って、しかも今日は莉央菜ちゃんも来てくれているんだ。それなのに、いい年した四人がしょうもないことで争っているんだぞ?恥ずかしいと思わないのか?」
「うるせえな!外野は入ってくるんじゃねえよ。」
「ああ、そうか。僕は外野か。それなら尚更言っておくさ。好きな食べ方で好きにしてくれ。だがな、わざわざ自分の好みを他人に押し付けるような真似はするな。おすすめならまだいいが、張り合って言い合うのはおかしいだろう。」
リュウガの威圧に圧倒され、兄弟はしばし沈黙する。これが、夜神家の長男だ。ズバリと正論を言う。だからこそ、どこか頼ってしまう彼にもう誰も口答えはしなかった。
「すみません。些細なことで喧嘩してしまい、兄さんに迷惑をかけたことをお詫び申し上げます。」
「いや、アリスは謝らなくていいんだぜ。俺の方こそ、悪かったな。」
「ごめんなさい。」
「ごめんなさいね兄さん、シリアちゃん。まあ、サラダでも食べましょう。」
と、セリカが勧めたのが海藻サラダである。これは既にドレッシングがかかっており、わけのわからない言い合いもしなくていいだろう。なんせ、海藻だけで甘みや苦みが染み渡り、それを調和すべく作られたとっておきのドレッシングだからだ。更に言えば、このサラダにはカリカリに仕立てたチーズが幾種類か混ぜられており、触感もナイスなのだ。
「このサラダ美味しい。」
「あら、シリアちゃんが喜んでくれてとっても嬉しいわ。うふ。ありがとう。」
「いい仕上がりですね。これは高級レストランを軽く超えたと思います。」
「ほんとだぜ。脂っこいのが抜けていくな。」
「美味しい。セリカ姉さん、おかわりある?」
莉央菜が器をセリカに手渡そうとすると、セリカはにっこり微笑んだ。
「ええ、あるわよ。いっぱい食べていってね。」
兄弟は夕食を終えると、リビングでゲームを始めた。今、夜神家でブームのぴゃっぴゅうげいむだ。
「シリアちゃん、私はこっちの端末でやるね。えっと、最近始めたばっかりだからモーリオでいい?」
「いいよ。じゃあアリスはニャンドロスンね。」
「えー、私ぴゃっぴゅうがメインなんですが。というか、昨日VRが届いたので莉央菜の分はないですが、それでやりましょうよ。」
「わかった。」
「僕はいいけど、莉央菜ちゃんが可哀そうじゃないかい?」
「それじゃあ私のを貸してあげるわ。VRは前に体験したことがあるのだけど、ちょっと気持ち悪くて嫌なの。」
「いいんですか?なら、莉央菜はこのVRを使ってください。」
そう言ってアリスは黄色のVRを手渡すと、早速眼鏡を外して自分にも取り付けた。片手にはコントローラーを握って、セリカを除く兄弟全員と里緒菜がVRを装着し、いよいよゲームを始めようとしていた。
因みにシリアはびろりん、アリスはぴゃっぴゅう、リュウガはモーリオがメインであるが他のメンバーもメインはちゃんと決めている。セリカはモーリオ、シュロはニャンドロスン、莉央菜はモーリオだ。
「んじゃ、出発していい?」
シリアが全員に聞く。やはりこの中で一番ゲームが上手いシリアがリーダーのようだ。
「おーけーだぜ。」
「私も大丈夫です。」
「私もいいわよシリアちゃん。」
「僕もいいよ。」
「私も。」
こうしてぴゃっぴゅうげいむのチーム戦が開始する。今回のマップは「どーるはうす」の次に広い「ですまっぷ」だ。チームはアリス達を合わせても五つはある。それに、今回はどのチームよりも多い六人なので余計に狙われやすい。
より多くのキルを取った方が勝者ではあるが、永遠にコンティニューができる。そのため、一番早くに優位な場所を取ったチームが圧倒的に勝率が高い。さて、シリア達はどう出るだろうか。
「とりあえず、お兄ちゃんとアリスは離島を取ってきて、シュロ君とセリカは中央の発射台を取って。私と莉央菜は上の射撃場を狙うから。」
「「「「「了解。」」」」」
シリアの作戦は離れた場所に位置する離島の確保による援護場所の捕獲、早くに辿り着いた者のみが操ることのできる大砲での攻撃、そして上からの射撃を同時に行う作戦だ。無論、この三か所はゲームをやり込んでいる者ならば誰しもが奪いに来る場所なので、警戒も重要だ。
「シリア、離島に既に一チームが芋ってるみたいですが、兄さんを囮に使いましょうか?」
「うん。でも確かお兄ちゃんの職業って仲間のパワーアップするやつでしょ?それならアリスが先に行ってボコボコにしたら?」
「分かりました。」
その指示が入ったと思うや否やいきなりシリアのHPゲージが大幅に減っていた。体力が無いからと言って攻撃してきた初心者だ。
「なめてると、痛い目見るよ。」
シリアが勢いよくマシンガンを連射し、更に莉央菜が火炎瓶を投げつけて相手はキルされる。その上、シリアはスキルが溜まったのでスキルを発動。それにびっくりした敵があたふた言っているうちに、赤ん坊にぶつかり動きがスローになる。好都合なことにそれを見計らってキルする者がおらず、シリアが連続でキル。その後、透明化で潜入していた敵チームのぴゃっぴゅうがたまたまシリアの視界の前にいたため、透明化が解けてスリープ状態になりあっけなくキルされる。
「おーい、発射台は取れたから今からぶちかますぜ。」
「こっちも離島は確保しました。」
「それじゃあ早速殺していこ。」
シリアの指令通り全員が、コンティニューした相手をキルしていく。どのチームも手出しができず、アリス達のチームが圧倒的優位になって散々キルした挙句に試合は終わった。今回はチーム全員が二十五キル以上していたので報酬にプラス五千コインとレッドコイン百枚が追加された。
「ふー、よかったですね。因みに今回のMVPは私でした。えへへ。」
「むー。惜しかった。あと二キルできればなー。私おやつ取ってくる。」
「まあいいんじゃねえか?俺はそろそろ風呂にするぜ。」
「そうだな。僕も風呂に入るよ。」
「じゃあ私莉央菜ちゃんの泊まる部屋を片付けてくるわ。」
「あ、ありがとうセリカ姉さん。」
リビングに取り残されたアリスと莉央菜はしばし沈黙を貫いたが、とうとう我慢できなくなった莉央菜が口を開いたと思うとアリスに突っかかってきた。
「もお!なんであんたはそんなに平気でいられるの?信じらんない。」
「はあ?何を言ってるんですか莉央菜。」
「あんたばっかりずるいの!私だってシュロ兄さんとかリュウガ兄さんとかと一緒にいたいのに。」
きりっと睨みつけられたアリスは困る。
「ええ。まさか、私の兄たちに惚れてるんですか?」
「べべべべ、別にぃ?惚れてないけど。」
「うわー、嫉妬ですか莉央菜。気持ち悪いですよ。」
「うっさい!あんたばっかりいい思いして私なんか、誰も想ってくれてないし。」
それは紛れもないアリスに対する嫉妬であった。まあ、無理もないだろう。なんせ夜神家の美男坊たちにちやほやされているだけで、羨ましく思う者は多くいるからだ。会社であれ学校であれ代々受け継がれてきた夜神家の美貌の血を引く兄弟たちが好かれないことはない。
「そんなに気にしなくていいと思いますよ。第一私はもうすぐシャットダウンされますから。」
「え、どういうことよ。あんたはオリジナルが完成しないと、死ねないんでしょ?」
「…。」
アリスのいつになく悲しい顔が莉央菜の直感を働かせる。
「ご察しの通りです。では、私は部屋に戻りますから。」
「ま、待ってよ。あんたはそれでいいわけ?」
ピクリとアリスが動きを止める。
「構いません。私はただのソフトですから。」
その後ろ姿は寂しげに去っていく。
何も言葉が出てこなかった。まさかアリスがあんなに悲しそうな顔をするとは思わなかった。自分は戸惑いながらその場に留まることしかできないのだろう。莉央菜はそう察した。




