第三話
翌日は、あつらえ向きの快晴だった。
セレスティナとアナスタシア、リクト、エドガルドの四人は、それぞれの馬に乗って、城下町から程近い王家の私有地へと向かっていた。
今日は、四人の他には誰も同行していない。
姉妹が外出するとの知らせを聞いた国王は、護衛不要という希望に許可を渋ったが、「救世の勇者御一行に護衛が必要だとお思いですか? 護衛が守られる羽目になるのがオチですわ」と言うアナスタシアの笑顔に項垂れて引き下がったのだった。
他愛もない話をしながらカポカポと馬の背に揺られていると、セレスティナの隣にエドガルドがやってきた。
「疲れてない?」
「ありがとうございます、大丈夫ですわ」
セレスティナは微笑みながら答えた。実際は少し疲れていたが、それを表情に出さないように努める。
エドガルドは、そんなセレスティナの状態を見透かしているかのごとく
「無理しなくていいからね」
と小声で告げた。セレスティナは笑顔のまま頷くと再び前を見た。
前には、リクトとアナスタシアが並んで談笑している。
五年前には馬になんか乗ったことないと言っていたリクトだったが、今ではとても上手に乗りこなしていた。馬を繰りながら談笑するのも余裕そうだ。
私がいなければ、きっと、もっと早く駆けるのでしょうね。
馬に乗り慣れている三人が、セレスティナに合わせた速度にしてくれているのは明白だ。なんだか少し申し訳ない気持ちになってしまい、セレスティナは心の中だけで嘆息した。
「ほら、着いたわよ」
アナスタシアの声が聞こえるのと同時に、突如、視界が開けた。森を抜けたのだ。
そこは柔らかい緑で覆われた野原になっていた。そこかしこに白や黄色の名も知れなぬ花が咲いている。野原にはなだらかな起伏があり、近くには小川も流れていた。
野原の真ん中、小川にほど近い場所まで来て、三人がひらりと馬を降りる。
セレスティナも降りようとすると、いつの間にか傍に来ていたリクトが手を貸してくれる。セレスティナが礼を述べると、リクトは頭をポンポンと頭を撫で「どういたしまして」と笑った。
改めて辺りを見回し、セレスティナは姉に言った。
「綺麗なところですね。私、ここに来るのは初めてです」
「そりゃ、森もここも、魔物が跋扈してたからね。お父様がお許しになるはずないじゃない」
笑いながらそう応えると、アナスタシアはエドガルドに持ってもらっていた籠を受け取り、慣れた手付きで敷物を広げ始めた。セレスティナにはとてもあのように手早く綺麗に敷けそうにない。気が付けば、エドガルドとリクトも馬たちの手綱を引いて小川へ水を飲ませに行っていた。
付き人がいなくても、自分が何をしなきゃいけないかちゃんとわかってるのね。
セレスティナは自身がまったく気の利かない人間である気がしてきた。胸の奥に、また黒く淀んだ何かが貯まっていくような、そんな感覚を覚える。
「ちょっとセレス、手伝ってちょうだいな」
アナスタシアの声に、セレスティナはハッと我に返った。
「あ、お姉さま、すみません。ぼんやりしてました。何をしたらいいですか?」
「ランチを広げるの。えっと、これかしら?」
アナスタシアが、籠からナプキンに包まれていた四角いものを取り出して開けると、野菜や卵やハムの挟まれた色彩豊かなサンドイッチが出てきた。同じような包みがあと三つある。
「まぁ、美味しそう……」
「ね!」
思わず口から漏れてしまったセレスティナの言葉に、アナスタシアが笑顔で同意する。
セレスティナはアナスタシアに言われるまま、皿を用意し、それぞれにサンドイッチの包みを乗せていった。その間に、アナスタシアはお茶を淹れるための湯を魔法でポットに用意する。
「すごいですね、お姉様も、リクト様も、エドガルド様も」
「何が?」
「私、そんなにてきぱき動けませんもの。言っていただかないと自分が何をしたらいいのかわからなくて、おろおろするばかりですわ」
「んー、そうねぇ……。私もエドガルドも、初めはそうだったわよ? だって、自分でなんてやったことなかったんだもの。侍女や側仕えの人たちが全部やってくれてたんだから、当たり前よね。一人でまともにいろんなことができたのはリクトだけだったわ」
「そうなのですか?」
「リクトは幼い頃にご両親も他界されてるし、元の世界で自分のことは自分でやるのが当たり前って環境にいたみたい」
そういえば、とセレスティナは思い出した。リクトがこの世界へ来たばかりの頃、侍女に世話されるのをすごく嫌がっていた。三日も経たない内に、自分に付いている侍女を外してくれと国王へ直談判しに行ったほどだ。
「だから、しょっちゅう二人して叱られてたわ。脱いだ服は畳めとか、荷物くらい自分で纏めろとか、オレはお前らの母親じゃねぇとか」
「まぁ」
セレスティナは驚いて手で口を覆う。同時に、リクトに叱られてしょげるアナスタシアとエドガルドの姿を想像して、クスリと笑った。
「それは、あまりにもお前らが何もできなかったからだよ」
突然聞こえてきた背後からの低い声に、セレスティナはびくりと肩を震わせた。振り返ると、憮然とした表情のリクトが立っていた。
「あらリクト、聞こえちゃった?」
「聞こえるわ。声がでけぇんだよ」
「あらそーだった? まぁ、仕方ないわね。リクトのせいで、私、すごく庶民的な王女になっちゃったし」
「お前の場合は元から『ジャジャ馬』だったじゃねぇか。オレのせいにすんな!」
まったく悪びれる様子のないアナスタシアに、リクトがすかさず突っ込む。
そこへパンパンと手を叩く音が聞こえてきた。エドガルドが苦笑しながら口を開く。
「はいはい、二人ともその辺にして。お茶が温かい内に食べよう」
城の料理人たちが作ってくれたサンドイッチを、皆が完食した。ふわふわのパンも、挟まれていた様々な具も、いつもより数割美味しく感じた。
「あー、お腹いっぱい……」
アナスタシアが仰向けに寝転ぶ。そのままセレスティナを見上げて、自分の隣をポンポンと叩く。
「セレスもほら。気持ちいいわよ?」
その言葉に誘われて、セレスティナもアナスタシアの隣に寝転んだ。確かに、背に当たる若草が柔らかくひんやりと瑞々しくて気持ちい。正面に広がる澄んだ青い空を見ていると、吸い込まれそうな、心が洗われるような、不思議な清々しい感覚に陥る。
横を向けば、目を閉じる姉の向こうに、自由になった馬たちがのんびりと若芽を食んでいるのが見えた。
セレスティナも姉に倣って目を閉じた。
視界が遮断された分、小鳥の声や小川のせせらぎが聞こえて来る。季節を肌で感じる、という言葉を実感した。今までももちろん季節はあったが、魔王の驚異に怯えた生活の中では色褪せていたのだと今ならわかる。
しばらくそうしていると、そよそよと風が吹き、頬を撫でた。同じ風にスカートがたなびく。
「めくれるぞ」
というリクトの声に、セレスティナは跳ね起きてスカートを抑えた。隣のアナスタシアは、全く動じることなくそのまま大の字で寝そべっている。
「見たら鉄槌食らわすからね」
目を閉じたまま、アナスタシアがのんびりと言った。『何を』なのか明言しないところが恐ろしい。
「不可抗力だろ。こっちだって見たいわけじゃねぇんだから、金が欲しいくらいだ」
溜め息混じりにリクトが言うと、アナスタシアが目を開けて挑戦的にリクトを睨む。
「言ったわね?」
「ちょっと、二人とも……」
慌ててエドガルドが二人を宥めようとしたが、僅かに遅かったようだ。アナスタシアが素早く起き上がるのと同時に、それを察知したリクトが地を蹴り走り去る。
「救世の魔導士でアルバラード王国第一王女のスカートの中だってのにアンタは……っ!」
「オレだって救世の勇者だ! つーか、問題はそこじゃねぇ!」
逃げるリクトをアナスタシアが追う。
動きこそ百戦錬磨のそれだが、やっていることはまるで子供の追いかけっこだ。二人の行動にセレスティナは呆気にとられる。互いに笑い、はしゃぎながら追いかけっこをするリクトとアナスタシアの姿を見ている内に、セレスティナはなんとなく疎外感を覚えてしまった。二人の仲に付け入る隙などまったくないように見えてしまって。もちろん、もともと『付け入ろう』などとは思ってもいないけれど。
二人を眺めていると、セレスティナの隣にエドガルドがやって来た。
「あ~あ、始まっちゃった」
エドガルドはそう言って溜め息を付いた。そして、セレスティナに向かって言う。
「ごめんね、セレスティナ。まぁ、いつものことだから」
「お姉様とリクト様は、本当に仲がよろしいんですのね」
「そうだね、あの二人は兄妹みたいだ」
兄妹。そうかしら。私にはお似合いの恋人同士に見えるわ。苦楽を共にし、お互いを知り尽くした……。
セレスティナはエドガルドに悟られないよう、唇を引き結んだ。
「もぉーっ! すばしっこいわね!」
まったくリクトに追いつけないアナスタシアが業を煮やし、魔力を右手に込める。
「ちょっと、アナ!」
「大丈夫、よっ!!」
慌てたエドガルドの制止も聞かず、アナスタシアは魔法を放った。突き出した右手から、リンゴ大の水の塊が三つ、リクトめがけて一直線に飛び出す。
水球は逃げるリクトを正確に追尾し、リクトの背中と肩、そして頭に命中した。
パシャ!
ビチャ!
バシャン!
「おわっ!?」
ぶつかられた勢いで転んだリクトが、受け身を取ってアナスタシアの方を振り返る。上半身が完全にずぶ濡れだ。アナスタシアは追うのを止め、お腹を抱えて笑っている。
「てんめぇ、濡れたじゃねぇかー!」
「あはははは!!」