第四話:恋姫
島の代表者である恋姫が住む花札屋敷は南エリアの端に位置していた。花札が描かれた鮮やかな塀が屋敷を囲んでおり、中からは琴の美しい音色が流れている。
「久しぶりだわ………」
タクシーから降りた絵梨佳が屋敷を見て呟く。小鳥のさえずりと琴の和風の音が懐かしい。
「ここが……花札屋敷?」
見慣れない建物に驚いているのか、伊瑠香がぎゅっと絵梨佳の服の裾を掴んでくる。
「そうよ。言葉通り外観が花札模様で造られてるからこう呼ばれてるの。……で、何で付いて来てるの陸子?」
背後を見るとやけに笑顔な陸子がそこにいた。
「いや~花札屋敷のお茶は格別ですからね。せっかくここまで来たんだから一杯っと」
「あのねー、私達は遊びに来たんじゃないわよ。協力してもらうために来たんだから」
「ええわかってますよ。絵梨佳さん達は恋姫様とお話しててください。私は雅と一緒にお茶してますので」
絵梨佳はため息をついた。
「まったく……」
門に備え付けられた呼び鈴を押す。チャイムの音が響く。
『はい、どちら様でしょうか?』
しばらくして大人の女性の声が呼び鈴の横から聞こえる。
「絵梨佳です」
『え……絵梨佳さん!』
声の主が驚いた声を出すと同時に門がごごごと鈍い音をたててゆっくりと開く。
「お久しぶりです絵梨佳さん!」
門が開くと一人の着物姿の女性が深くお辞儀をしたままそこに立っていた。結い上げられた黒髪に、銀縁の眼鏡を掛けている。
「はい、お久しぶりです雅さん」
着物人形・雅、花札屋敷に仕える人形のリーダー的存在で、恋姫や恋々の側近でもある。常に礼儀正しく、だが感情豊かで暖かなイメージを持つ彼女は花札屋敷の顔として活躍している。
「遊びに来てくれたのですか?」
「いえ、今日は恋姫様に御願いがあって来ました」
そう言ってずっと絵梨佳の影に隠れていた伊瑠香を前にそっと押し出した。
「あら?」
「ほら……伊瑠香、挨拶しなさい」
「うう………」
うつむく伊瑠香に、雅はにこりと笑い語りかける。
「初めまして可愛らしいお嬢さん。私は雅、この花札屋敷に仕えております着物人形です、よろしく御願いいたします」
丁寧に、しかし優しく伊瑠香にお辞儀をする。そんな態度を見て警戒心が解けたのか、伊瑠香は口を開く。
「伊瑠香……。空想人形・伊瑠香」
「そう、伊瑠香さんと言うんですね。よろしく御願いします」
伊瑠香は顔を真っ赤にしつつ頷いた。
「さて、自己紹介も済んだことですし………」
「ちょ、ちょっと待って雅!私の事はシカトですか!?」
その時、後ろに控えていた陸子が前に進み出た。
「あら陸子、いたんですか?」
「いますよ!めっちゃいましたよ!久しぶりの再開ですよ!それなのにあなたは………」
「はいはい、冗談ですよ。どうせお茶目当てで来たんでしょ」
そう言って雅は陸子の腕を取った。
「絵梨佳さん、伊瑠香さん。私は陸子にお茶を入れてきますので千畳の間に向かってください」
「さっすが雅、話が分かりますね~。それでは二人とも後でお会いしましょう!」
陸子は嬉しそうに、雅も迷惑そうな顔をしつつもこれまた嬉しそうな表情で去って行った。そんな光景を伊瑠香はわけがわからないと言った感じで見ていた。
「ああ、二人はね幼馴染みなのよ」
「幼馴染み?」
「ええ、同じ時に創られ、職種で分かれる時までいつも一緒だったらしいわ。すごく仲がいいのよ」
「絵梨佳には幼馴染みいる?」
「ええ、もちろん。皆少し変わってるけどいい娘達よ。今から会いに行く恋姫様の妹の恋々もその一人だしね」
会話をやりとりしつつ絵梨佳達は長い廊下を進む。彼女達が向かうのは恋姫が客人を向かえるためにある部屋、『千畳の間』。その名の通り、そこは畳千枚の広さを持つ部屋である。やがて絵梨佳達は長い廊下を超え、『千畳の間』の襖に辿り着いた。鶴と松の模様が描かれた襖である。
「いい伊瑠香、この先は恋姫様の場所。お行儀良くね」
伊瑠香は無言で頷く。それを合図に絵梨佳は襖を開いた。
「失礼致します恋姫様」
そこは広々とした木の床が敷かれた部屋であった。香が焚かれているのかよい香りが広がっている。奥の方は壇となっており、そこに一人の女性が座ってこちらを見ていた。
歳は人間でいえば二十代前半ぐらいで、十二単を着込み、腰まで伸びた艶やかな黒髪、白い雪のような肌が特徴的な美女。その美女こそがこの人形島の長的存在である統括人形・恋姫である。
「久しぶりですね絵梨佳。相変わらず元気そうで」
奥に進み、いつのまにか用意された座布団の前で立ち止まった絵梨佳に恋姫は優しく声をかけた。
「はい恋姫様」
「―――」
絵梨佳の隣で、伊瑠香は背筋を伸ばして立っていた。しかし顔は真っ赤で緊張のため身体が小刻みに震えていた。
「可愛らしいお客様、そんなに緊張しなくてもいいのですよ」
そんな姿が可笑しいのか、恋姫はクスクスと笑う。
「もうご存知かと思いますが私は恋姫、統括人形・恋姫です。この島のまあ長みたいな事をやっております。どうぞよろしくお願いします。伊瑠香さん」
「え!」
突然、初対面の人形に名前を呼ばれ驚く伊瑠香。伊瑠香は戸惑いつつ、絵梨佳に助けを求める。
「恋姫様はね、この島全体を見渡せる力を持ってるのよ。だからこの島で何がどう起こってるのかは全てお見通しなの」
島の長を勤める統括人形だけが持つ能力、『千里眼』その力はこの人形島全てをまるでその場にいるようかのように見る事が可能になる能力である。
「と言いましても見えるのは人形がいる場所限定で、寝てる時や体調が悪い時はうまく能力は発揮できないので万能ではないのですよ」
「――じゃあ私も見えてたの?」
少し疑るように伊瑠香は恋姫に問う。
「ええ、絵梨佳の部屋に見慣れない女の子がいたのでびっくりしました。また手を出したんだろうと思っていたんですが、どうやら違ったようですね」
「ちょ、恋姫様!どういう事ですか?」
「そのまんまの意味ですよ。ところで要件は何ですか?」
「はい。実は………」
絵梨佳は昨夜、伊瑠香と出会い、彼女のために無くした空賊帽を探す手助けをしてることを恋姫に話した。
「なるほど。つまり帽子の行方を探してほしいと」
「はい。誰かが拾ったなら帽子が恋姫様の眼に視えるはずです。どうか力をお貸しください。お願いします」
絵梨佳は深く頭を下げる。それに気づいた伊瑠香も無言であるが習って頭を下げた。
「頭を上げなさい二人とも」
そんな二人を見て、恋姫は優しく命じる。二人はその言葉にゆっくりと顔を上げた。絵梨佳達の目に映る恋姫の顔は、まるで我が娘を優しく見守る母に見えた。
「絵梨佳、私はこの島の長であり、この島にいる娘達皆の母であるつもりです。可愛い娘のお願いを断る母親がどこにいるのでしょうか?」
「で、では恋姫様」
「ええ、任せなさい」
「ありがとうございます!」
再び頭を下げる絵梨佳に、伊瑠香も慌ててそれに習った。
恋姫は深呼吸し、静かに眼を閉じる。
「――検索、開始」
それは瞑想する僧侶のようであった。ぴくりとも動かず、誰一人として話さない無音の世界が生まれる。しかしその世界はすぐに恋姫の一言により終わりを告げた。
「――見つけましたわ」
「本当?」
伊瑠香が恋姫の言葉にすぐさま反応する。
「ええ、森の中の樹に引っかかってます」
島に緑を増やそうと作られた森林。島の東に位置するこの森は、自然管理人の小屋が中央にあるだけでそれ以外は誰も住むことのない場所である。
「そこにいけば……あるの?」
「はい。森に遊びに来ていた娘達の周辺にありました。しかし詳しい位置は分かりません」
少し残念そうな顔する恋姫。
「でもこれで場所はつかめたので助かりました。ありがとうございます」
「ありがとう…」
「どういたしまして。管理人形・樹里に連絡を回しときますので向かうといいですわ」
そう言って恋姫は立ち上がる。
「はい、ではさっそく行ってまいります!」
「行って……来ます」
二人は部屋を後にするのであった。