ブラック・ナイト
『常勝無敗のネームレスヒーロー』という小説の番外的なお話になります。
そちらと比べ、少し設定が変わっています。
『始まりの怪物が現れた』
日本から世界へのその一報は、世界滅亡へのカウントダウンだった。
百年前、それは何の予告も前触れもなしに、突如アメリカのニューヨークへ現れた。
黒い物体。当初、それは形を成していなかった。
一番高いところで10メートル。水たまりの様に幅20メートルにわたって広がっている。
流動性と粘着性の持つそれは、まるで黒いスライムのようだった。
地下から突如現れたそれは、最初「ヘドロか何かじゃないのか」と思われた。
しかし、規制線を張っていた警察官の話ではどうも違うらしい。
遠目からの映像では判然としない。専門家は揃って首を捻った。
何か分からない。もしかしたら危険なものかもしれない。
一帯が封鎖され、調査団が派遣される。
有毒なガスが発生しているかもしれないからガスマスクを装着し、間違っても触れてしまわないよう防護服を着用し、厳重な装備で調査団はカメラを手に現地に入った。
『弾力がある』
映像では、一人の調査員がその物体に触れていた。
ガスマスクをしているからその声は少し籠っている。
『スライムみたいだ』
掌を押し付け力を込める。
その分だけ。手は押し返された。
『温かい……。少し動いている?』
コンニャクを叩いたときの様な、ぺちぺちと小気味のいい音がする。
調査員がカメラの方を振り返った。
『採取しよう。誰か、シャーレと――――』
その時だった。
調査員が物体から目を逸らした瞬間。
まるで、その時を待っていたかのように物体は大きく口を開いた。
調査員の背後に広がる大穴。
周りにいた他の調査員は警告することも出来ず、小さく「あ」と声を漏らした。
『え』
そうして、大穴は調査員を呑み込んだ。
穴は塞がり、ブシュリと生々しい音がする。隙間から赤い血が噴き出した。
カメラのレンズが赤く染まる。
あちこちから叫び声が木霊する。
同時に、似たような生々しい音が、断末魔と共に響き渡った。
カメラは投げ捨てられ、地面の振動を記録している。
やがて、何の音もしなくなった。
ぐじゅりと言う音を最後に、映像は途絶えた。
黒い塊は徐々にその姿を変えていった。
最初は、何のことはない子供の玩具の様だったそれは、人を食らうに連れ段々と小さく、そして二足歩行で移動を始めた。
頭が出来、腕が出来、口が出来て目が出来た。
二階建て一軒家ほどの身長の"人モドキ"
そこまで変化するのにかかった時間は一日。
どうして姿を変えたのか、はっきりとしたことはわかっていない。
ただ、『人を食ったからでは?』と言うのが大衆の見解である。
それに銃弾はおろかミサイルすら効果はなかった。
火に溢れた町の中を悠然と闊歩する。
土煙の向こうから現れる姿に、人々は絶望を抱いたという。
三日間。
それは暴れまわった。
対抗するために持ちだれた兵器はその全てが呑まれた。
いよいよ核兵器を使用するか否かと言う話が持ちあがったころになって、ようやくそれは姿を消した。
現れたときは地下から。いなくなる時は忽然と。
最初からなかったように、ただ爪痕だけを残しそれは消え去った。
死傷者約千人。
行方不明者数千人。
それが、奴がこの世に存在した証である。
100年後。
東京に、避難勧告が出された。
なんだなんだと言う間に、人は次々消えていく。
数百の人の波のあったスクランブル交差点。
そこには、黒い異形がただ一つ。ぽつんと存在するだけだった。
二足歩行で、人より少し大きい。
異形は動く。
己の目的を達成するために。
日本における東京は、首都で在る以上に、国にとって全ての中心地である。
経済も政治も商業も。そのすべてが東京に依存していた。
今まで、地方にしか『アトロス』が姿を現さなかったのが増長させたのか。
地震の脅威があると言われ数十年。『アトロス』の脅威があると言われ約100年。
東京一極集中は、留まるところを知らなかった。
災いしたと言えばいいのか。
油断したと言えばいいのか。
とにもかくにも、東京の人口は、それが現れて一瞬で数百人目減りした。
減少は、今も止まらない。
悲鳴はなく、断末魔もなく、血の一滴すら零さずに人は次々消えていく。
それを目の当たりにした少女は、己の肩書に反して、ひたすら走っていた。
人通りの多い大通りを避け、路地裏に入り、逃げようとしていた。
「あれは、まずいでしょ」
息継ぎの合間。言い訳の様に呟かれた言葉。
自分の行動を正当化するための言葉が、己が何者なのかを少しだけ思い出させてくれた。
端末を取り出し、連絡を取ろうとする。
緊急信号。
相手は即座に応答してくれた。
『メイ。どうした?』
聞きなれた低音が、普段と変わりなく耳になじむ。
それだけで、心が落ち着くのを実感した。
「『アトロス』が出たわ」
『……いま、どこにいる?』
「渋谷」
暫し、沈黙が訪れた。
おそらく状況確認をしているのだろうとメイは思ったが、端末が振動したことでその考えは打ち消された。
見ると避難勧告が発令されていた。
『いいか、お前ひとりで何とかしようとするんじゃないぞ』
仕事が早い。
たかだか自分の様な小娘一人の言葉を信じてすぐに避難勧告を発令するとは。
いや、自分の言葉だからこそ信じるに値するのかもしれない。
『状況を確認したい。どんなのが現れた?』
「黒い人型。大きさも人ぐらいね。少し大きいかも……?
体表が流動してた。いつも通り突然現れて、次の瞬間には人がたくさん消えたわ」
『……奴がなにをしたか分かるか?』
「さあ。何かを伸ばしたのは見えたけど、それを躱すのに集中してたから。気づいたときには誰も居なかったわ」
『そうか』電話向こうで考え込む気配がする。
「一先ず安全な所まで逃げるわ」
『ああ、またすぐに連絡する』
メイは端末を操作し周囲の状況――――規制線や避難状況を確認する。
とは言っても避難勧告が出て間もないため、警察もろくに対応出来てはいなかった。
こうしている間にもおそらく人は死んでいる。
そのことに何も感じないわけではなかったが、自分一人では何もできないと分かっている。
逃げなくては。無駄死には御免だ。
今の被害よりも後の被害を抑えなければいけない。
そう自分を説得して、メイは路地裏を飛び出す。
化け物のいる方向とは逆に向けて走り出した。
――――はずだった。
「ギギギツ」
低い唸り声が聞こえた。
人の物とは思えない、鉄扉が軋む様な音。
それは空から聞こえてきた。
メイは上を向く。
建物の中ほど。虫のようにひっついている。黒い何か。
それは、先ほどまで一つ向こうの道で暴虐の限りを尽くしていた化け物。
化け物は獲物を見るような眼でメイを捉え、間髪入れずにメイの元へ飛び込んでくる。
その時、化け物が建物を蹴った反動で、まるで車が突っ込んだように建物の外側が崩れてしまった。
まるで鉄骨が落ちて来たかのように、化け物は着地し、その衝撃でメイは吹っ飛ぶ。
パラパラと建材が降り注ぐ中、メイは必死に立ち上がろうとし、いつの間にか目の前にしゃがんでいた化け物と目が合って、身体が硬直した。
「ギギ」
化け物はゆっくりとメイを注視している。
少しでも動けば殺されるとメイは分かっていた。
だから、息すら殺してメイは身動きしない。
化け物はメイの細部まで観察している。
頬を垂れる汗までも、一挙一動見逃さずに、黒い空洞の中にある目がメイに注がれている。
やがて、口らしき空洞からまた低い唸り声が聞こえる。
「ヂガぅ」
ちがう。
そう聞こえた。
メイは自分の耳を疑った。
今まで、人の言葉をしゃべる『アトロス』に出会ったことがなかった。
困惑するメイを他所に、化け物は立ち上がった。
背を向け、歩き去ろうとする。
メイは自分が見逃されようとしていることに気が付いた。
『アトロス』が人を見逃そうとしていることも、メイにとっては初めて目にすることだった。
化け物が遠ざかって、メイは大きく安堵の吐息を漏らす。
――――助かった。
命の危険から返す返す一転した落差は、どうしようもなくメイの心を無防備にしていた。
いつもだったら傾かないよう、必死に抑えていた天秤も、今や自然の摂理に任してグラグラと傾いている。
致命的な油断だった。
化け物の背中が轟く。水に石を放り込んだように波紋が広がり、唐突に幼い女の子の顔が飛び出した。
溺れた人間が助けを求めるように、浅い呼吸を繰り返す少女は、メイのことを見た途端、絞り出すような声で懇願した。
「たすけて……」
言ったっきり少女の顔が化け物の中に消える。
考える間もなく、メイは駆け出していた。
隠していた魔力を最大限放出し、己の手を魔力で押し固め、今しがた少女の沈んだ化け物の背中に向けて手を突き入れた。
少女らしきものに手が届く。
――――引きずり出せ!!
本能のままに掴んだそれを引きずり出す。
化け物の中から現れたそれは、生きた女の子ではなく、白い骨だった。
――――え。
呆気にとられ、化け物の振り向きざまの反撃を躱すことが出来ず、少女を助けることが出来ないまま、メイは吹っ飛ばされた。
「がッ……は……!」
たかだか振り向きざまの攻撃。
だというのに信じられない怪力がメイの身体を襲う。
勢い殺すこと叶わず、メイは建物に激突。ガラスを突き破り、店の中あらゆる物をなぎ倒し、ようやく止まることが出来た。
その一撃で、メイの身体はずたぼろになっていた。
鋭い痛みが全身を苛む。起き上がろうとして吐血した。
折れた骨が内臓に突き刺さったのか、内臓がつぶれてしまったのか、とにかく深刻なダメージを負ったことは確かだった。
たった一撃で、手も足も出ずに這いつくばっている。
ありえない。強すぎる。
こんな『アトロス』今まで戦ったことがない。
もし、こんな化け物がいるとするなら――――。
先ほど怪物の中から飛び出した少女を思う。
現れた瞬間に伸ばされた何かを思い出す。
心当たりは一つだけ。
それだけに信じたくなかった。
「くろ、きし……」
呼称としては間違っていない。
でも、映像でみたそれと形が違う。
100年前に現れたそれは、最後にはもっと本当に騎士の様な姿かたちをしていたはずだ。
この100年で形を変えているだろうことは想像に難くないが、しかしなぜ退化のような変化を遂げている?
いや、考えている暇はない。ゆっくりとこちらに歩いてくる黒騎士は、決して私を見逃すことはないだろう。
今はこの情報を送らなければ。
無理に身体を動かし、腰の端末を操作する。
こういう時のために設定してあったクイックコールだ。
「聞える?」
『どうした?』
「しくったわ」
一瞬間が空いた。
しくったとそれだけで言いたいことは伝わっていた。
『もう数分で七風とアッヘンベルが到着する。もつか?』
「無理ね。二人とも引き返させてちょうだい」
『なにを――――』
「黒騎士よ。多分ね」
『――――』
絶句している雰囲気が通話越しからでも分かった。
それを面白く思い、血と一緒に笑いをこぼす。
視界がかすみ始めた。
痛みが和らいでいる気がするが、同時に寒気を感じていた。
もう、ごく間近に黒騎士はやってきている。
黒騎士はメイの頭を掴むと無造作に持ち上げた。
全身の重みが首にかかる。
今や黒騎士と同じ目線まで持ち上げられているようだったが、眩む視界のせいで、そうとはっきり認識することが出来ない。
口の端から血が止めどなく溢れる中、せめてもの抵抗とメイは口角を持ち上げ、あざ笑うかのように笑って見せた。
果たしてそれが化け物に伝わるのかどうか。
根拠はなかったが、恐らく伝わるんじゃないかと何とは無しに思う。
「ばいばい……ばけもの」
覚悟を決めてメイは眼を閉じた。
一瞬の浮遊感。頭を掴んでいた手が放された。
そして衝撃。鈍痛が全身を駆け巡る。
だが、まだ生きている。なぶり殺しにするつもりか?
しかし次の攻撃は一向にやってこない。おかしいと目を開けた。
いま、メイはうつ伏せに倒れていた。
さっきの衝撃はただ単に手を放されただけのようだ。
顔を上げる。
あるはずの黒騎士の足が何処にも見えない。
どこにいった? まさかまた見逃されたとでも?
死にかけだから、わざわざ殺す必要を感じなかった?
全身を苛む痛みで思考は纏まらない。
起き上がろうとしても、身体に力は入らない。
黒騎士に殺されることがなくても、この身体は死に向かっている。
すでに寒気すら感じているぐらいだ。このまま何の処置もなくここにいれば間もなく死んでしまうだろう。
ふと、割れたガラス片を踏む音がした。
それは黒騎士の鈍重な足音ではなく、もっと軽い生き物――――人間の足音だった。
その音は近づいてきている。
避難勧告は出ているはず。物見草の一般人?
『アトロス』を舐め腐る人間なんか精々無知な小学生ぐらいだ。
普通はありえない。
しかしその足音は確かに聞こえてくる。
これが死に際の幻聴でない保障なんてどこにもないが、近づいてくる足音は確実に人間の足音だった。
「うっ……に、げ」
声が出ない。
いくら気力を振り絞ろうと、死に行く身体は少しも待ってはくれない。
眩む視界、暗転する世界の片隅で、メイは子供の顔を見た気がした。
その日渋谷は壊滅した。
高層ビルは軒並み破壊された。
頭上から降り注ぐ瓦礫で道路は陥没し下層の建物は被害を免れなかった。
地下街に行くための道はそのほとんどが破壊され、地下に避難した人間を救うのに、のべ三日かかってしまった。
しかし、世界は日本を称賛した。
追悼でも弔いでもなく、日本の偉業を、魔法少女たちへの賛美を世界各国は口々に褒め称えた。
――――黒騎士を討ち取った。
かつて現れた黒騎士とその日討ち取った黒騎士が同一のものだという根拠は実はない。
性質が同じというだけで、もしかしたら全くの別物かもしれない。
けれど、世界はその可能性を論じる前に、朗報として世界各地に発信した。
もしかしたら、これですべてが終わるかもしれないと僅かな希望を抱いて。
事実として、黒騎士が倒され一週間。
世界で『アトロス』の出現がぱったりと止んだ。
この100年で初めて訪れた平穏を、メイは病室で新聞をめくりながら甘受していた。
「平和ね」
呟いた言葉に、リンゴを向いていた金髪の少女がわずかに反応した。
しかしすぐにリンゴの方に集中する。
「平和ね」
もう一度メイは繰り返した。
それでようやく少女は頭を上げた。
「それは自分に言っているのか?」
「独り言よ気にしないで」
少女は眉を顰めてリンゴに向き直る。
5分もして向き終わったリンゴを皿に乗せ、メイに突き出した。
メイはそれを一瞥するだけで手を付けることはしなかった。
「食わんのか?」
「今一信じられないのよ。どこも怪我してないなんて」
正確には、内臓に損傷がなかったということである。
あれだけ血反吐吐いたのだから、間違いなくどこかしこ内臓が逝っていると思ったのだが、検査の結果それはなく、単純に肋骨が数本折れていただけだった。
「ふん」と少女がリンゴをひとつ摘まむ。
うまいともまずいとも言わず、無表情に食べるその姿に、メイはやきもきした。
「で、見つからないのよね」
「見つからんな」
その言葉の意味を、二人は正しく理解していた。
何と言わずともこれで十数回に及ぶ問い合わせである。
少女にしてみれば飽き飽きとするほど答えてきたのだ。
「あの日、あそこに自分たち以外の何者かが居たことは確かだ。しかし、結局それが誰なのか、見当もつかん」
「監視カメラは?」
煩わしそうに少女は手を振った。
「いくつか無事なのもあったが、映っていない。だいたい、この国のカメラは下向いているのばかりだ。上を撮影しているカメラなぞほとんどない」
ましてや対象が高速で動く物体とくれば絶望的だな。
締めの言葉はいつも通りのものだった。
「……でも、誰かいたことは確かよ」
「それが誰なのか、確かめる術がない。もはや確かめる必要もないかもしれん」
少女は眩しそうに窓の外を見ていた。
深い青の中、白い鳥が羽ばたいている。
メイは胡乱気に少女を見やる。
「ほんとうに、『アトロス』の襲撃が止むと思ってんの?」
「止めばいいとは思っている。人類は続く戦いで疲弊しきっているからな。これ以上戦いを続けてもジリ貧だ」
「ふんっ」メイは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「見てなさい」と続く言葉は明確に苛立っていた。
「すぐに次が来るわ」
「来たとしても」少女は青い眼で見透かすようにメイを見た。
「魔力のなくなったお前には、もうなにも出来まい」
あの日、意識を失ってから、何故かメイの身体から魔力の痕跡が跡形もなく消えた。
怪我を負ったことで魔力を扱うのに必要な何かを失ってしまったのか。
契約した精霊は、こんなことはありえないと取り乱してばかりで話にならない。
とにかく、今のメイにはもはや戦う術はない。
それでも。メイは舞台から降りる気はなかった。
「裏に回るわ」
少女は無表情にメイを見つめた。
「正気か?」と問う声は低く、またわずかに震えている気がした。
「特務隊から、こんどは対策室入りか? いつまで『アトロス』に関わる気だ」
「続く限りいつまでも、よ。あいつらを殲滅しないと平和になんてならない」
「黒騎士が倒されても、まだ平和にならないという根拠はなんだ?」
「黒騎士は、なにか目的があって渋谷に現れた。それは報告したわね」
少女は頷いた。
にわかには信じがたいことに、黒騎士は言葉を話したという。
聞き間違いだろうと一蹴することは簡単だが、黒騎士の性質を鑑みる限り、言語を学んだ可能性は捨てきれない。
「その目的が、あの日あそこにいた正体不明の何某だったとしたら?」
「……」
「『アトロス』にとって危険な何かを確実に殺しに来たんだとしたら? そのために黒騎士が送り込まれて、『アトロス』にはそれを考えるだけの知能があるんだとしたら?」
無意識に少女はつばを飲み込んだ。
「もし、この推測が正しいのなら、奴らにはプレーンがいる。組織体制もある程度整ってるかもしれない。
今は、力を溜め込んでいるだけよ。じきに来るわ。たぶん日本を狙い撃ちにしてね」
「ありえない……」
「かもね。でも、私が考える最悪はそれよ。私は最悪の結末を防ぐために出来ることをするわ」
少女は何か言おうと口を開けた。
しかし何を言えば良いのか分からず、ただパクパクと開け閉めするだけになる。
メイは少女のそんな姿を見て知らず知らず微笑んでいた。
静かな病室に、端末のアラームが木霊する。
「……奴らが出たらしい」
端末を確認した少女が見たままを言った。
この病院からは遠い。しかし行かなくては。
それじゃあと背を向ける少女に、メイが言葉を投げかけた。
「大丈夫よ、クリス」
少女は答えず振り向かない。
その背中に、メイは安心させるように言う。
「人は勝つわ」
「……」
最後まで答えずに、クリスは出て行った。
不安と重圧に押しつぶされそうな彼女に、あえてメイはその言葉を送った。
あるいはそれは、自分自身に送った言葉だったのかもしれない。
彼女と同じように重圧に押しつぶされそうな自分に向かって。
「絶対に勝つわ」
もう一度メイは繰り返した。